芸能

ろう女優の忍足亜希子が語るこれまでの軌跡と使命感「生涯、女優として生きていきたい。そのための努力は惜しまない」

手話をする忍足亜希子

手話をする忍足亜希子

 全国で上映中の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、耳のきこえない両親のもとに生まれた、きこえる少年(吉沢亮)の実話が原作で、親子の絆を描いた、しみじみと心揺らす物語だ。その少年の母親役を演じたのが、ろう者の女優である忍足亜希子だ。25年のキャリアがある忍足が、これまでの軌跡を振り返る。【前後編の後編。前編を読む】 

人間関係がどんどん苦しくなった銀行員時代 

 高等部卒業後の進路に、忍足は短大進学を希望した。「聴者と共に過ごす環境を一度は知ってみたい」がその理由だった。「好奇心旺盛なんです」と笑うが、ここに彼女の人生に対する、前向きなひたむきさを感じることができる。両親は躊躇したが担任が背を押してくれた。9校を受験。だが、当時はハンディを持つ人間に門戸を開いてくれたのは1校のみであった。1989年春、都内の青葉学園短期大学に入学。 

「不安もありましたが、自分から動かねばと。『私は耳がきこえません。できれば協力をお願いします』と、紙に書いて級友たちに渡しました」 

 ここでの2年間は、友人らにも恵まれ幸福で、平穏なものとなった。卒業後は学校の推薦を受けて、障害者雇用枠のある、横浜の銀行本店に就職している。だが、ここで高等部在学中以来の、精神的圧迫を受けることになり、鬱っぽくさえなった。 

「ろう者の場合、仕事の範囲がとても狭いんです。データ入力とか、資料のコピーとか、お茶くみとかばかりで、全部私がやる。そこに疑問を感じ始めるともうだめでした。それと人間関係、コミュニケーションもうまくいかなくて。皆、仕事が忙しいから筆談しようにも応じてもらえないし、関係が悪化していくといいますか。どんどん苦しくなってしまって……。母に話したら『もう辞めていいのでは』と、言ってくれました」 

 高等部時代、頑なまでに登校させた母が、すぐさま同意してくれた。それは娘の心の疲弊を痛いほどわかってくれていたのだろう。5年間の勤務ののち、退職した。 

「それから旅に出たりしながら、私に何ができるのかを考え始めました。自分に合う仕事、天職と思えるような仕事に出会いたいと、強く思いました。自分の人生だから。どこまでやれるかわからないけれど、失敗してもいいから、経験を積み重ねていけば、いつかはきっと生きがいを見つけられるはずだと」 

 そう語る目は、四半世紀も前に初めて会ったときと変わらなかった。凜として、ただ真っ直ぐにこちらを見つめてくる。ろう者だからという枠を自分に課せず、自分の人生の可能性に懸けたい。それは多くの女性たちが、自身の生き方に悩む思いと同じだ。 

ろう者は寂しいという固定観念を壊したかった 

 1999年、ろう者と聴者が共に作る映画『アイ・ラブ・ユー』のオーディションの話を知らされた。 

「友人から『あなたに出てほしいの』と。役者だなんて、聴者のやる仕事であって、無縁だと思っていた。でも思ったんです。これまでろう者が出ているものは、暗くて寂しい、孤独なろう者ばかりが描かれている。実際は明るくて闊達な人たちが多いのに。納得できない、固定観念をぶち壊したいって思ったんです」 

 忍足には「脳裏に焼き付いている」、ひとりの女優の姿があった。マーリー・マトリン。かつて映画『愛は静けさの中に』で、米アカデミー主演女優賞に輝いた、ろう者の女優である。その姿を見たとき「あの人のように強くなりたい」と心に刻んだ。そして応募した忍足は、主演の座をつかむ。このとき彼女を起用した監督のひとり、大澤豊は「忍足さんの手話は、正確でかつ品があった。そして清楚さと愁いのある表情は新鮮でした。なおかつ内面には、役者に必要な負けず嫌いの激しい闘志と、チャレンジ精神を秘めている」と、語っている。 

 今作の監督、呉美保も「品があって、華があって、何より笑顔が素敵です。あえてあっけらかんとしてみせる天真爛漫さも魅力で、吉沢さんの母親役として引けをとらない」と、起用理由を述べている。 

「今、思い返すと、29歳のあのとき、よく(応募する)勇気があったなって。人前に立つことが苦手でしたし、世の中に理解されづらい存在だから、聴者に対して私はこうです、としっかり言えずにいた。でもあの映画のお陰で、チャレンジできたんです」 

 そして、と手話に力を込めた。 

「聴者の世界にろう者が参入することで、少しずつ変わっていきますよね。一緒にどういう工夫をしたらよいのか相談しつつ進めていくことで、理解しあい、新しい形が生まれていくというのか」 

 過ごしてきた年月。演者としての苦悩はなかったかと尋ねた。 

「それは……ありました。始めて2年ほどして、演技の難しさ、気持ちの作り方に限界を感じて、続けるのは無理かもって」 

 そのとき、やめようという気持ちを留まらせたのは、講演で訪れた地方のろう学校の子どもたちの存在であった。忍足を見て、自分も役者になりたいという、夢を抱いていた。 

「あの子たちの夢を叶えるためにも、続けなくてはと思ったんです。それにやめたなら、やっぱりろう者に役者は無理だねと思われる。仕事は頼めないって。それは悔しい。それだけは絶対、許さない! と思って(笑い)」 

関連キーワード

関連記事

トピックス

『ザ!鉄腕!DASH!!』降板が決まったTOKIOの国分太一
《どうなる“新宿DASH”》「春先から見かけない」「撮影の頻度が激減して…」国分太一の名物コーナーのロケ現場に起きていた“異変”【鉄腕DASHを降板】
NEWSポストセブン
混み合う通勤通学電車(イメージ)
《“前リュック論争”だけじゃない》ラッシュの電車内で本当に迷惑な人たち 扉付近で動かない「狛犬ポジション」、「肩や肘にかけたままのトートバッグ」
NEWSポストセブン
日本のエースとして君臨した“マエケン”こと前田健太投手(本人のインスタグラムより)
《途絶えたSNS更新》前田健太投手、元女子アナ妻が緊急渡米の目的「カラオケやラーメン…日本での生活を満喫」から一転 32枚の大量写真に込められた意味
NEWSポストセブン
リフォームが本当に必要なのか戸惑っているうちに話を進めてはいけない(イメージ)
《急増》「見た目は好青年」のケースも リフォーム詐欺業者の悪質な手口と被害に遭わないための意外な撃退法 
NEWSポストセブン
出廷した水原被告(右は妻とともに住んでいたニューポートビーチの自宅)
《水原一平がついに収監》最愛の妻・Aさんが姿を消した…「両親を亡くし、家族は一平さんだけ」刑務所行きの夫を待ち受ける「囚人同士の性的嫌がらせ」
NEWSポストセブン
夫・井上康生の不倫報道から2年(左・HPより)
《柔道・井上康生の黒帯バスローブ不倫報道から2年》妻・東原亜希の選択した沈黙の「返し技」、夫は国際柔道連盟の新理事に就任の大出世
NEWSポストセブン
新潟で農業を学ことを宣言したローラ
《現地徹底取材》本名「佐藤えり」公開のローラが始めたニッポンの農業への“本気度”「黒のショートパンツをはいて、すごくスタイルが良くて」目撃した女性が証言
NEWSポストセブン
妻とは2015年に結婚した国分太一
《セクハラに該当する行為》TOKIO・国分太一、元テレビ局員の年下妻への“裏切り”「調子に乗るなと言ってくれる」存在
NEWSポストセブン
1985年春、ハワイにて。ファースト写真集撮影時
《突然の訃報に「我慢してください」》“芸能界の父”が明かした中山美穂さんの最期、「警察から帰された美穂との対面」と検死の結果
NEWSポストセブン
歴史学者の河西秀哉氏
【「愛子天皇」の誕生を希望】歴史学者・河西秀哉氏「悠仁さまに代替わりしてから議論しては手遅れだ」 皇位継承の安定を図るには“シンプルな制度”が必要
週刊ポスト
無期限の活動休止を発表した国分太一
「給料もらっているんだからさ〜」国分太一、若手スタッフが気遣った“良かれと思って”発言 副社長としては「即レス・フッ軽」で業界関係者から高評価
NEWSポストセブン
ブラジル訪問を終えられた佳子さま(時事通信フォト)
《クッキーにケーキ、ゼリー菓子を…》佳子さま、ブラジル国内線のエコノミー席に居合わせた乗客が明かした機内での様子
NEWSポストセブン