閉場直後の築地市場正門からは、せわしなく関係者の出入りしていた(2018年10月撮影:小川裕夫)
銀座にあった踏切
築地に新設された建屋は、弧を描くように設計されました。弧を描くように設計された理由は、長編成の貨物列車が入線できるようにとの考え方に基づいています。築地市場内部に敷設された線路とプラットホームは、貨物列車に積載されていた農産物・水産物をそのままセリ場へと運べるような構造になっていました。
築地市場で取引される鮮魚は、早朝に地方から同駅へと到着していました。そして、そこから再び各地へと発送されていきます。
国鉄では早朝のセリに間に合うように貨物列車のダイヤを調整していました。戦後、東海道本線は夜行列車が多く走っていたこともあり、早朝に間に合うようにダイヤを調整することは至難の技でした。築地市場へと向かう貨物列車は時間厳守のため、国鉄のダイヤ作成担当者は常に頭を悩ませていたようです。
築地市場の近隣には汐留貨物駅がありましたが、築地場内にも東京市場駅があり、1997年まで両駅では物資輸送が続けられました。汐留貨物駅から東京市場駅の間には都道316号線が横切っていて、1970年代以降は自動車が激しく往来する道路になっていました。運転本数が少ないとはいえ、この道路を貨物列車がゆうゆうと走り、その間は遮断機が降りて自動車の往来が塞がれていたのです。その自動車交通を止める役割を果たしていた踏切は名物になり、東京市場線が廃止された現在もひっそりと残されて過去の歴史を伝えています。
完成後の豊洲市場。内部が報道公開された(2016年11月撮影:小川裕夫)
豊洲市場。開場前に盛り土問題が指摘され、移転が不透明に。東京都は安全性を周知するため、地下を報道公開した(2016年9月撮影:小川裕夫)


