『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』(保阪正康・著/文藝春秋/2024年11月刊)
今年は、昭和元年から数えてちょうど100年の節目。つまり「昭和100年」にあたる。戦争と敗戦、そして奇跡の高度経済成長へと、「昭和」はまさに激動の時代であった。『週刊ポスト』書評欄の選者が推す、節目の年に読みたい1冊、読むべき1冊とは? 作家の関川夏央氏が取り上げたのは、『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』(保阪正康・著/文藝春秋/2200円 2024年11月刊)だ。
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昭和史家の保阪正康が、半藤一利に「雲の上の人」に会わないかと誘われ、平成の天皇皇后両陛下と面会したのは平成二十五年(二〇一三)二月であった。以来、二十八年六月まで六回、合計二十時間余にわたる「歴史を人間味を込めてお話しするだけの、ただの雑談」を両陛下はたのしまれた。
平成の天皇は歴史、とくに昭和六年(一九三一)の満洲事変に関心を持ち、関東軍の謀略が以後十四年の戦争を呼び込んだと悔やまれた。平成の世には、戦争による死者の慰霊を自らの重たい務めとされた。
昭和天皇の一歳下の弟、軍人であった秩父宮は、昭和十一年二月二十六日、首都で反乱との報に接すると、勤務地・弘前の連隊から急遽東京に向かい、上京後は「先帝」(昭和天皇)を補佐した。その評伝を書いた保阪正康が、「秩父宮が青年将校にかつがれる危険性があったという見解は間違いだと思っています」といった。
〈すると陛下は意外なことに、/「そうですかあ」/と腑に落ちない表情でおっしゃった。語尾の「か」が上がった明らかな疑問を呈する言い方だった〉
面談後の「反省会」でも著者は半藤氏と語りあいながら、「天皇家のほかの宮家への警戒感を感じずにはいられなかった」。
平成の天皇の大きな仕事は「生前退位」であった。八十歳を超えて国事行為に臨む負担だけではない。「先帝」の病状が悪化したときの「自粛ムード」が、自分のときにも起きるのではないかという懸念もあっただろう。
しかし保阪・半藤両氏とも、そのひそかな決意にはまったく気付かなかった。平成の天皇は何気なく光格天皇の名前を上げたのだが、それが二百年前、譲位して上皇となった最後の天皇だと知るのは、懇談最終回二ヵ月後の平成二十八年八月、「生前退位」を公に述べられたときであった。
平成の天皇・皇后両陛下の人柄・考え、民主制のもとに確立された現代天皇制のあり方を、人の体温で知る得がたい本である。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号