阿部寛、永野芽郁、道枝駿佑のスリーショット(公式インスタグラムより)
テレビ局による自己批評と自虐
ここにきて傾向が顕著なのは、ドラマによるテレビ業界の自己批評や自虐。
それが最も表れているのは『キャスター』で、主人公の進藤は「生ぬるい報道体制をただすことが使命」と断言し、真実を伝えるために手段を選ばず突き進む姿を見せています。進藤がキャスターを務める『ニュースゲート』の「放送開始から40年の歴史を誇るが、時を経て、番組は時代と共に変化し現在の視聴率は低迷している」という設定を見ても、現在の報道番組に対する自己批評がうかがえるのではないでしょうか。
また、『恋は闇』は情報番組「モーニングフラッシュ」の総合演出・野田昇太郎(田中哲司)が“視聴率至上主義”“被害者の人権軽視”を思わせる言葉を連発し、万琴ら現場のスタッフたちを戸惑わせるシーンが散見されます。同様に『続・続・最後から二番目の恋』も、動画配信のNetflixをうらやみ、地上波の月9を自虐する千明のセリフがありました。
これら自己批判や自虐の背景にあるのは、「自分たちの業界だから露悪的に描いても批判されづらいだろう」「世間の人々から言われがちなことだから自ら描いてしまうほうがウケはいいのではないか」などの思惑。
かつてはドラマの制作現場が、報道・情報番組、ドラマ、バラエティ、引いてはテレビ局の組織や業界の体質をここまでシビアに掘り下げることはありませんでした。ここに来て自己批評や自虐が増えているのは2022年秋の『エルピス』以降、業界内にそれが許容される雰囲気があることの証にも見えます。
人的・予算的な制作効率のよさ
しかし、増えたことで視聴者から「『自己批評や自虐をしておけば、世間の人々から評価される』と思っているのではないか」と見透かされているようなムードが漂いはじめているのも事実。これからは「それはテレビ局やテレビ業界における問題の本質を突き、視聴者の思いを代弁するような自己批評や自虐なのか」がより問われていくのではないでしょうか。
いずれにしても、放送収入の低下や配信視聴へのシフトが進むなど、テレビ局やテレビ業界が過渡期であることがこの流れを生んでいるのは間違いありません。主人公やヒロインをテレビ局の社員にすることで逆境を当てはめやすく、ドラマティックな展開につなげやすく、企画が成立しやすいことも理由の1つでしょう。
さらにその他の背景としてあげておきたいのは、「ロケの手配や準備などの手間が省ける」「美術や小道具などの経費削減につながる」こと。人的にも資金的にも、かつてほどの余裕がない今、テレビ局が舞台の作品は撮影効率がよく、それでいてリアリティのある脚本・演出ができるなど、制作上のメリットは大きいのです。
だからこそ古くからテレビ局が舞台のドラマは作られ続けてきました。主なところをあげていくと、1987年の『アナウンサーぷっつん物語』、『荒野のテレビマン』、1994年の『上を向いて歩こう!』、1998年の『ニュースの女』、2001年の『女子アナ。』、2003年の 『美女か野獣』、2006年の『トップキャスター』、2010年の『パーフェクト・リポート』、2018年の『FINAL CUT』など。
これらはいずれもフジテレビ系のドラマであり、数年に一度放送されてきました。一連の騒動を受けて、自己批評や経費削減が求められる現状を踏まえると、今後もフジテレビはテレビ局が舞台のドラマを継続して制作していくのかもしれません。一方、他局は増えすぎて飽きられはじめている感もあるため、異なる舞台設定のドラマを制作していきたいところでしょう。
【木村隆志】
コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者。雑誌やウェブに月30本前後のコラムを提供するほか、『週刊フジテレビ批評』『どーも、NHK』などの批評番組に出演し、番組への情報提供も行っている。タレント専門インタビュアーや人間関係コンサルタントとしても活動。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。