6歳の頃の山田(事務所提供)
山田はその後、当時芸能界に多くのグラビアタレントを送り出した芸能事務所『イエローキャブ』の元社長・野田義治氏と出会い、デビューすることになる。彼女は野田氏のことを、敬意を込めて「野田」と呼ぶ。
「野田は当時なんの能力もなかった私に『出世払いだ』と言って、母と私と弟が住むための部屋を用意してくれて、生活をサポートしてくれた。野田はまさに命の恩人です。
そんな都合もあって、私の給与は当時から月給制。そもそもの動機が『弟を高校まで行かせる』とか、家族の生活を成り立たせるためだったので、それでよかったんです。野田に対しても恩を返すため、もう就職したような感覚で、遮二無二働きました」
「家庭でエネルギーを満タンにできなくなった」
結果的に山田は芸能界で輝きを放ち、弟が私立高校を卒業するまで学費を払い続けた。その弟が高校を卒業したその日、彼女は草野との結婚式を挙げた。。2人の出会いは、舞台での共演だった。
「夫とはすでに3年間同棲していたし、私もそろそろ子供がほしいという理由で、結婚しました。夫は人に手をあげたりすることはしない、むしろできない人。縁あって息子を授かり、お互い息子を溺愛していました」
しかし5年ほど前、2人は別居に至ることになる。家庭への思い入れが強い山田が、新たな家庭の形を選んだのは、なぜだったのか。