江夏豊氏が認める歴代阪神の名投手は誰か(撮影/藤岡雅樹)
今季、球団創設90周年を迎えた阪神タイガース。その輝かしい歴史の中でも「黄金バッテリー」と呼ばれたのが、江夏豊氏(77)と田淵幸一氏(78)だ。江夏氏は1967年に阪神に入団し、1975年まで在籍。1968年にはシーズン401奪三振の日本記録を達成したが、そんな江夏氏が認める歴代阪神の名投手は誰か? 江夏氏が選出する。
* * *
やっぱり甲子園は、最高であり特別だった。改めて感じたのは、この前、甲子園でやった巨人戦(4月25日)のサプライズ始球式だ。マウンドに上がった途端、力が湧いて立ち上がれた。甲子園は野球人にとって誇り高き聖地。立った者にしか分からない何かを感じる場所だと思い出した。そこに立つに相応しいピッチャーを歴代投手陣から選ぶ。偉そうではあるが、振り返ってみたい。
まず、俺にとって別格であり憧れだったのが村山実(阪神在籍・1959~1972年、以下同)というピッチャーだ。マウンドに立つ姿は常に威風堂々、投げる様から表情まで、そのすべてに風格があった。
1967年のルーキー時代から、ムラさんが何をどう食べるかまで一挙手一投足を注視したもんだ。とにかくムラさんは捕手泣かせ、田淵がよう嘆いていた。セカンドにランナーが出たらサイン盗みを警戒して、サインと違う球を投げるんだから。俺の場合、その手が使えない。球種がストレートとカーブしかないからね。だから、ストレートのサインでも首を何回も振って撹乱してストレートを投げていた。
針の穴を通すコントロールの小山正明さん(1953~1963年)、ムラさんというのは阪神の筆頭の先発二本柱であるのは言うまでもない。自分のことを言うのはあれだが、ムラさんの後を継いで「阪神のエース」として甲子園のマウンドに立てたことは俺の人生の誇りだ。
ほかの先発陣、俺の時代で言えば、古沢憲司(1964~1978年)かな。あだ名が「バーディー」なんだけど、当時虎風荘(選手寮)で犬が飼われていて、この犬がバーディーって名前でまたアホなんや。アイツもアホだから、バーディーってなった(笑)。だけど、古沢の球は力があったよ。持って生まれた癖というか、真っ直ぐを投げると必ずスライドする。独特の変則ピッチャーで味があった。王(貞治)さんが一番嫌がったピッチャーだった。
先輩で言えばゴンさん(権藤正利、1965~1973年)。可愛がってもらって、パチンコの景品のショートホープをよくもらったものだ。28連敗という不名誉な記録の持ち主だけど、絵に描いたような人格者。負けはしたけど、球は良かった。縦に割れる大きなカーブは、あの金田(正一)さんも一目置くほどキレがあった。