アントニオ猪木の最期を看取った江端裕巳氏(撮影/藤岡雅樹)
“燃える闘魂”アントニオ猪木(享年79)は2022年10月に亡くなったが、最期の2か月に彼と寝食をともにした人物がいたことは語られてこなかった。猪木の最期を看取ったのは、介護士の資格を持ちながら、会社経営者、物まねタレント「原辰」としても活動する江端裕巳氏(66)。ノンフィクション作家の細田昌志氏による江端氏へのインタビューにより、猪木の最期の2か月をたどる。【全3回の第3回】
──四六時中一緒にいたら、いろんな話もされたと思うのですが。
「ええ……。毎晩、眠る前に『江端さん、いつも申し訳ない』って言うんです。『会長、やめましょう』って言うんだけど、その気持ちはずっとあったと思う。ましてや私は肉親ではないわけで」
──確かに。
「また『何でズッコさん(田鶴子夫人)と結婚したんですか?』って尋ねたら『俺にもよくわからない』って不思議そうに言うんです。眼を輝かせて話すのはパラオの珊瑚礁の話。『今度、一緒に行こうよ』って。あと『伊豆に別荘があるけど、江端さんにあげる』とか『伊豆に有名な温泉旅館があって、女将はブスだけど料理は美味い』とか(笑)」
──アハハ。
「それでも猪木さんが最期まで関心を寄せたのは地球温暖化の問題で、九州大学の教授に来ていただいて、話を聞いたこともありました」
後悔が残る「最後の晩」
──8月28日には、日本テレビ系の『24時間テレビ』に出演していますね。
「突如、降りてきた案件で私は反対しました。いつ体調が急変するかわからないからです。そこで『具合が悪くなったら即Uターンする』って約束させたんです。前夜の午前3時頃、“江端さん、『24時間テレビ』に履いていく靴、どうしよう”って猪木さんが言うんです。10足ほど並べて一緒に選びました」
──テレビ出演は特別なんですね。
「両国国技館に到着したら、徳光(和夫)さんがずっと付いてくれました。パーソナリティだった嵐の二宮(和也)君に車椅子の操作を教えたり……。でも、やっぱり、あの日は冷や冷やしましたよ」