『24時間テレビ』に出演した8月28日の記録(江端氏提供)
──出演場面を見て「猪木、元気そうじゃん」って安堵したのを思い出します。
「実際に体調はよかったんです。帰りの車中で『腹が減った』と言うので、戻ってから太巻き1本、ウナギ、餃子2個、刺身。午後9時にはキムチ、サラミ、チョコレート。午後11時には昆布のおにぎり2個たいらげています」
──いい感じで9月に突入しましたね。
「食欲も衰えなかったし、ウチの次女が、10月に結婚するのが決まっていて、猪木さんからお祝いを預かりました。自分で名前を書いていたし、妻とも電話で話せましたから。それが9月25日頃から食欲が失せて『身体が痛む』とか言うようになったんです」
──次第に弱っていったんですね。
「それで30日ですよ。午前中『おかしい、何かおかしい』って自分で口にし始めたら会話が途絶えて意識を失いました。そこからは心臓マッサージ。白眼をむいていたので『このまま逝っちゃうのかな』と悲観したんだけど、夕方頃、意識を戻したんです。開口一番『会長、お帰りなさい!』って言いました」
──戻って来たんですね。
「『そんなに酷かった?』って訊くので『ダメかと思いました』って。私はその夜は久しぶりに自宅に戻ったんです。そうしたら、翌朝6時頃に『様子が変です』って一報が入って、駆けつけたんだけど、息を引き取ったのが午前6時53分。『あのままいればよかった』って後悔してないと言えば嘘になります」
──そうでしたか……。アントニオ猪木も、亡くなって3年近く経ちます。
「早いですね。過酷な日々だったし、言いたいことはたくさんあるんだけど……。まず、アントニオ猪木という稀代の人物の側で貴重な経験をさせてもらえたことに感謝しています。そして、介護の実情は綺麗事ではなくて、相当大変だった。そのことは、どうしても伝えておきたいです」
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【プロフィール】
細田昌志(ほそだ・まさし)/1971年岡山市生まれ。鳥取市育ち。『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)で第43回講談社 本田靖春ノンフィクション賞、『力道山未亡人』(小学館)で第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊は『格闘技が紅白に勝った日~2003年大晦日興行戦争の記録~』(講談社)。
※週刊ポスト2025年6月6・13日号