山田久志氏は長嶋茂雄さんを「ピンチでは絶対に対峙したくない打者でした」と振り返る(時事通信フォト)
「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんが亡くなった。日本プロ野球史上最高のサブマリン、元阪急の山田久志氏(76)が、惜別の弔事を寄せた。1971年の日本シリーズで対峙したミスターの「執念」を振り返る。
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私はパ・リーグの選手だったので、長嶋さんと対戦するのはオールスターや日本シリーズだけでした。当時の野球ファンはパ・リーグに関心がなく、日本シリーズで巨人と戦って、それも長嶋さんを打ち取ってようやく全国区になれた。
そういう意味では、長嶋さんが現役時代の強い巨人と日本一をかけて、2年連続(1971~1972年)で対戦できたのは良い思い出です。
長嶋さんはデータが全く参考にならないバッターで苦い思い出ばかり。当時も相手チームのデータはありましたが、わざとストライクゾーンを外して投げても、長嶋さんはボール球をパカーンとセンター前に弾き返す。ボール球をヒットにされるのだから投手としては投げるところがなくなり、ピンチでは絶対に対峙したくない打者でした。
よく覚えているのは、初対決となった巨人がV7を目指した1971年の日本シリーズです。1勝1敗で迎えた第3戦に先発した私は巨人打線を抑え込み、阪急が1対0でリードして9回裏の巨人の攻撃を迎えました。
しかし、ツーアウト一塁・三塁で4番の王さんに投げた内角ストレートをライトスタンドに運ばれて逆転サヨナラ負け。マウンドに崩れ落ちて、しばらく立ち上がれない私の姿はこのシリーズの象徴的なシーンとして語り継がれています。
ところが私の記憶に強く刻まれているのは、王さんの前に打席に立った3番の長嶋さんとの対決です。2死一塁の場面で空振りか凡打にさせることを狙って、右打者の外角に逃げていくカーブを投げたら、長嶋さんは体を泳がせながらバットにボールを当てました。打球はボテボテのゴロでしたが、遊撃手のグラブをかすめながらセンター前に転がっていきました。
その直後、王さんに痛恨のサヨナラホームランを打たれてしまった。この一発でシリーズの流れが変わり、巨人が続く第4戦、第5戦を連勝してV7を達成しました。
長嶋さんに投げた一球は見送ればボールでした。しかも完全に打ち取ったボテボテの当たりがセンター前に抜けた。セオリーが通じない長嶋さんが放った執念のヒットが今も忘れられません。
【プロフィール】
山田久志(やまだ・ひさし)/1948年、秋田県生まれ。1968年に阪急に入団。1976年には26勝をマーク。最多勝3回、最優秀防御率2回。通算284勝。
※週刊ポスト2025年6月20日号