長官が語った「我々には強くなる以外、選択肢がなかった」
モサドは過去には数多くの悪名高い工作を成功させている。古くは、1960年にナチスドイツの生き残りである戦犯で、アルゼンチンで逃亡生活を送っていたアドルフ・アイヒマンをモサドが拘束し、秘密裏にイスラエルへ連れ帰り、裁判の末に死刑に処した。
1972年にドイツのミュンヘン五輪で、武装したパレスチナ人テロリストらにイスラエル選手とコーチの11名が選手村で殺害された事件を受け、モサドは実行犯らを一人ずつ見つけ出し、次々と暗殺した。
1986年にはイスラエルの核開発計画を英紙にリークしたイスラエル人エンジニアに、モサドの女性工作員がハニートラップを仕掛けて誘き出し、イスラエルに強引に連れ戻して裁判で有罪にしたこともある。
さらに2010年には、ハマスのマフムード・マブフーフ司令官を旅行先のドバイのホテルで筋弛緩剤を打った上に窒息させて暗殺。その工作の一部始終が監視カメラに残されており(わざと監視カメラに映像を残したとも指摘されている)、その手際の良い周到な工作は世界の情報関係者を驚かせた。
こうした工作は枚挙にいとまがなく、2016年にはハマスのドローン製造を担っていたチュニジア人エンジニアが、モサドが取材だと偽装して送り込んだ偽のジャーナリストに暗殺されている。
モサドはほかの諜報機関とは違い、活動に制限はほとんどない。ハニートラップから暗殺までを容赦なく行ない、それこそがモサドが「最恐」のスパイ機関とも言われる所以である。
2024年9月、レバノンで反イスラエルの武装勢力ヒズボラの戦闘員のポケベル3000個が一斉に爆発して、戦闘員らを死傷させた事件は世界で大きく報じられた。この作戦もモサドが取り仕切った。世界各地にいくつものペーパーカンパニーを作り、最終的には台湾の企業がポケベルを販売するように見せかけてヒズボラを騙すことに成功。
実際は、ひとつひとつに3グラムの爆薬ペンスリット(PETN)を仕込んだポケベルをモサドが製造し、遠隔操作で爆破する仕様にしてヒズボラに納品した。
筆者は以前、モサドで35年にわたり諜報員を務め、2011年から2016年までモサド長官を務めたタミル・パルド氏にインタビューをしたことがある。パルド氏は「我々には強くなる以外、選択肢がなかった。壁際に追い詰められ、何らかの対処をしなければならない。そんな状況下ではクリエイティブに解決策を見つける必要がある。攻撃される前に対応しなければ意味がない」と語っていた。
その考え方は、今回のイラン攻撃にも受け継がれていると言えよう。モサド内部にはこんなモットーがある。「賢明な方向性がないなら、人は倒れる。だが助言者たちがいれば、そこには安全がある」
モサドの仕事はまだ終わっていない。今後、核開発を完全に消滅させるために、それを指揮してきたハメネイ師の暗殺も視野に入っているだろう。地下を転々と移動するハメネイ師の動きはすでに監視されている。
【著者プロフィール】
山田敏弘(やまだ・としひろ)/1974年、滋賀県生まれ。国際ジャーナリスト。1999年米ネバダ大学ジャーナリズム学部卒業。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版編集記者などを経て、米マサチューセッツ工科大学で国際情勢やサイバーセキュリティ、インテリジェンスの研究・取材活動にあたった。帰国後はジャーナリストとして活躍。著書に『世界のスパイから喰いモノにされる日本』(講談社)など。
※週刊ポスト2025年7月11日号