野球殿堂入り祝福される米田氏(左は稲尾和久氏、右は金田正一氏)
「パ・リーグは途中からDHだったから」
1956年に阪急入りし、プロ野球歴代1位の626試合に先発登板して歴代2位の350勝をマークした米田氏。驚異的なスタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」と呼ばれた。大投手として数々の記録を持つが、投手でありながら通算33本塁打を記録しており、「元祖二刀流」としての実績も残している。
ちょうどメジャーではドジャース・大谷翔平が二刀流としての復活を期すシーズンを送っている。取材中、大谷についての話題が出ると、米田氏はこう反応した。
「乗っているよな。いいところで打つ」
そして「ボクもホームランは33本打っている。カネさん(金田正一氏)が38本だから投手で2番なんです」と続けた。
通算勝利数も400勝の金田氏に次ぐ350勝ですね、と水を向けると、現役時代に複数回、阪急から巨人へのトレード話があったことを踏まえ、こう話すのだった。
「400勝も巨人に移籍していたら届きそうだったが、越してたら大変や。ホームランにしてもパ・リーグは途中からDHになったからな。DHでなければ(カネさんを)抜いていたよ。ことごとくついていない。人間、運というのはあるよ。ボクは年間5本を2回打っているが、6本になるとホームラン賞に税金がつくとかで狙わなかったんです」
事件を受け、落ち込んでいるのかと思っていたが、そう尋ねると米田氏は「ピンピンしている」と答えるのだった。