集団の前でニノミヤさん
「沖縄の辺野古で、土砂の搬入時間にあわせて、基地のゲートに座り込んだり、昨年の 8月6日には、前夜から原爆ドーム前で野営をしたりしました。
昨年 7月には、日米安全保障協議会(2+2)にあわせて、初めて拡声器を使いみんなの前で話す機会にもめぐまれました。沖縄の米兵の少女暴行事件や、平和記念資料館に行った感想と、私が今回のインタビューで話したような、これまでにどういう抑圧、差別を受けてここに立っているのか、といったことを話しました。
とても緊張しましたが、これまで生きてきてあまり自分の意見を言わなかったので、思っていることを忖度なく言えてすごく解放感がありました。『全学連』のみんなは『そうだ!』と相づちを入れてくれるのですが、それがとても話しやすいんです。『そうだ』と言われて、『うん、やっぱりそうだよな』と思いながら話して(笑)」
──ご家族や親しい方はニノミヤさんのこのような活動についてどのような意見を持っていますか。応援してくれるものなのでしょうか。
「両親はすでに離婚していますが、そのどちらにも言えていません。特に父はこのようなことを私がしていることは許さないと思います。かつてのパートナーは、私の活動を知り『なるべく捕まらないで』と言っていました。そのパートナーの女性は、『中核派』での活動を反対していた。でも私が熱心に話をしていく中で、応援してくれるようになったんです。自分が活動を続けたら、みんな分かってくれるはず、と思っています。まずは活動に集中します」