亡くなった椋本さんは語学単能な女性だった
語学堪能な“国際派”だった椋本さん
死亡した椋本さんは中国江西省景徳鎮市の「景徳鎮陶瓷(陶芸)大学」に勤める日本語講師だったとみられる。同大学のサイトには彼女の顔写真とともにプロフィールが掲載され、〈2007年に佐賀大学卒業〉〈2019年に景徳鎮陶瓷大学文化伝播学院の外国人教師として採用〉(日本語に翻訳)などと経歴も紹介されている。
江西省景徳鎮市といえば、伊万里市と同じような“陶芸の街”で、中国でも最も有名な産地のひとつ。中国国内でも自然豊かで、伊万里との共通点も多い。そんな街で彼女は単身、日本語講師として生活していた。昨年撮影された、中国メディア『新華社』のインタビューで椋本さんは、景徳鎮市で働く理由について流暢な中国語でこう話している。
「大学のとき、『外国語を学ぶなら中国語にした方がいい。中国経済は急速に発展しているから、将来役にたつ機会が多い』と言われました。あと、もともと中国語の文字に興味があり、第2外国語として中国語を勉強していた。
友人から『景徳鎮陶瓷大学』での生活や仕事は楽しいと聞き、それで興味をもってここの日本語教師になろうと決めたんです」(訳)
伊万里市の広報誌によれば、中学1年生の頃には「中学校英語暗唱大会」で優秀賞を取るなど、学生時代から語学堪能だった椋本さん。インタビューでも「(陶芸をする)外国人の友達がたくさんいて、充実した生活を送っている」と話しているように、公私ともに国際交流を盛んに行う“国際派”の女性だった。
前出の大手紙社会部記者が語る。