昭和20年3月の東京大空襲の後、ルーズベルトの死去を受けて就任したハリー・S・トルーマン(写真中央。dpa/時事通信フォト)
講和条約と60年安保
片山:はい。昭和26(1951)年には首相の吉田茂がサンフランシスコ講和条約に調印します。西側諸国のみとの片面講和論と、ソ連・中国も含めた全面講和論に割れるなか、吉田政権が片面で推し進めた。昭和29年の造船疑獄で政権が倒れ、55年体制を迎えます。そして昭和35年1月、岸信介が日米安保条約に調印します(60年安保)。
佐藤:新安保条約は当初、あまり反対の機運が盛り上がっていなかった。しかし、ドワイト・アイゼンハワー来日までに既成事実を作りたい岸政権が国会に警官隊を入れ、反対する社会党議員らを排除して強行採決し、国民の反発を招きます。
片山:事前に来日した大統領新聞係秘書のJ・ハガチーも数百人のデモ隊に囲まれ(ハガチー事件)、アイゼンハワー訪日は中止となってしまう。
佐藤:これはデモ隊による偶発事件で、日本政府からすれば失態でした。
片山:そうですね。日本国民に反米感情が強いことが改めて実感的に米国側に刷り込まれました。
佐藤:はい。ただ、岸政権への反発と、当時22歳の樺美智子さんの死が国民の憤りを招いた一方、新安保条約の中身について理解している国民は少なかったと思います。
片山:そうですね。新安保条約は、講和条約と同時に調印した旧安保条約にあった内乱条項を除き、より明確な形で日米間の相互防衛条約に近づけるため、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対して共同で対処する旨を明記しています。これはしかし、国内の米軍基地が攻撃されたら日本も戦争に巻き込まれるのではないか、という懸念をもたらします。
(第2回に続く)
【プロフィール】
片山杜秀(かたやま・もりひで)/1963年、宮城県生まれ。思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』にて司馬遼太郎賞受賞。『近代日本の右翼思想』『歴史は予言する』『大楽必易』など著書多数。
佐藤優(さとう・まさる)/1960年、東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。『自壊する帝国』にて大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞。『国家の罠』『獄中記』『日米開戦の真実』など著書多数。
構成/前川仁之(文筆家)