昭和20年8月6日、広島に投下された原子爆弾のキノコ雲(時事通信フォト)
佐藤:ルーズベルトは日中開戦の翌年から日本への経済制裁を強め、日米通商航海条約の破棄、石油の全面禁輸を経て、昭和16年11月にハル・ノートを突き付けます。そして真珠湾攻撃がアメリカ国民をまとめるのにどれだけ役立ったことか。
片山:当初こそ勇ましかった日本軍の劣勢も明らかとなる。昭和20年3月の東京大空襲の後、ルーズベルトの死去を受けてハリー・S・トルーマンが就任します。
佐藤:トルーマンが広島、長崎に原子爆弾を投下し、日本が8月14日にポツダム宣言を受諾します。昭和天皇のご聖断によってアメリカの戦後占領が始まり、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ちます。昭和天皇とのツーショットは有名ですね。
片山:ええ。占領軍は当初、日本のファナティックな軍国主義を国家神道に求め、現人神としての天皇を関係づけようとした。玉砕や特攻の根源には天皇を絶対視する天皇教があり、近代ヨーロッパのナショナリズムとは違った異常な国家主義=超国家主義があると。
占領軍の一部に、天皇を温存しておくわけにはいかないと考える者もいたが、徐々に敗戦後も天皇の威光が日本国民の統治に利用できると気づいていく。そして、人間宣言によって天皇制が維持されます。
佐藤:それに占領軍は当初、直接統治の含みも持っていたが、間接統治にできた点も重要です。私は厚木進駐部隊を受け入れた参謀本部第2部長・有末精三が果たした役割が大きかったと思います。第1部の将校が陸軍の機密書類を燃やし、敗戦処理から逃げるなかで、当時は低く見られた第2部の情報将校が奔走して間接統治を勝ち取った。
有末は優れたインテリジェンス・オフィサーでした。間接統治と天皇制が維持され、日本国家としての連続性が保たれたのです。