金子真人オーナーとの出会いが調教師人生の大きなターニングポイントだったという(国枝栄氏)
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、ブラックホークと金子真人オーナーの戦術眼についてお届けする。
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ブラックホークに初めて会ったのは1996年、1歳の冬。冬毛が出ていたこともあって、馬というより牛みたいだなと思ったのを憶えている。体は大きかったが、シャープさを感じなかったのだ。金子真人オーナーともその頃初めてお会いした。
デビューは3歳になった1月6日。関東のトップジョッキーである岡部幸雄さんが騎乗、単勝1.7倍という人気に応えることができた。体も500キロを超えており、車でいえば排気量が国産車より大きなベンツ。見た目は軽さを感じないのだが、楽々動いてしまうという印象だった。
しかしこの馬が本格化したのは4歳になってから。春先に1600mを連勝して迎えた4月の重賞ダービー卿チャレンジトロフィーでは、岡部騎手の手綱で逃げた人気馬をゴール前で一気に差し切った。開業から9年目、1428戦目の初重賞勝利、ずいぶん時間がかかったなあ。
そして何よりこの後キングカメハメハやディープインパクトを始めダービーを4勝するなど、日本どころか世界一の馬主と言われる金子真人オーナーにとっても初の重賞勝ち。これでご縁をいただいたことが私の調教師人生にとって最大の「強運」だろう。
しかしGI安田記念(11着)の後、脚元に不安が出たので放牧、1年2か月間レースに使うことができなかった。復帰3戦目の5歳秋に1400mのスワンSを勝ち、今度こそとGIマイルチャンピオンシップに武豊騎手で臨んだが3着。このレースで他の馬に乗っていた横山典弘騎手の進言で距離を縮めることにした。
当時有馬記念の前の週に行なわれていた1200mのスプリンターズステークス。1番人気は日本馬として初めて海外GIを勝った武豊騎手の関西馬アグネスワールドだったが、ゴール前で見事に差し切った。金子オーナーにとっても私にとっても初のGI勝ち、ご縁がさらに強くなった。表彰式では祝福してくれるファンやカメラマンの数が桁違いに多くて、馬より私の方が入れ込んで物見をしてしまったよ(笑)。