日米開戦以降の苛烈な戦場を生き抜き、戦後は「復員輸送船」として外地に取り残された約1万3000人を日本に送り返した「雪風」(写真:近現代PL/アフロ)
太平洋戦争で主力として送り込まれた甲型駆逐艦38隻のうち、唯一ほぼ無傷で終戦を迎え、“幸運艦”と呼ばれた「雪風」。今夏最注目との呼び声も高い映画『雪風 YUKIKAZE』(8月15日公開)は、この駆逐艦の史実に基づく物語だ。スクリーンの裏側にあった知られざるエピソードを、脚本家の長谷川康夫氏が明かす。
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「物語なのだから、事実をしっかり把握した上なら、あえて創作する部分があっても構わない。しかし無知を自覚せずに、都合よくフィクションをはめ込んではいけない」
2011年の映画『聨合艦隊司令長官 山本五十六』の脚本作りの折に、原作者の半藤一利さんから投げられた言葉です。
以来これが、プロデューサーの小滝祥平と私にとっての金科玉条となり、今回の『雪風 YUKIKAZE』でも、資料や関連書籍を徹底して読み込むことから始まって、国会図書館へも二人で何週間も通いました。
ただ脚本作りで力になるのは、やはり実際にその場にいた方の証言です。
小滝とは30年ほど前から、太平洋戦争を舞台とする映画をいくつか作ってきましたが、当時はまだそんな方々がご存命で、百名単位でお話を伺うことができました。
しかしさすがに戦後これだけの時間が経つと、全国を回ってお会いできたのはほんの数名。その最後が、愛媛県にお住いの今井桂さんでした。
今井さんは「大和」の沖縄特攻の折、十代で駆逐艦「初霜」に電信員として乗艦し、「雪風」らと共に出撃された方です。
2023年の9月、小滝と西条市のご自宅を訪ね、長々とお話を伺いましたが、お別れするときに、「もう戦争のことを話すのは、これが最後です」と仰ったあと、ポツリとひと言、こう呟かれたのです。「……戦争だけはやってはいけない」
このとき、僕も小滝も覚悟を決めました。必ずこの映画を作り、今井さんに観ていただかねばならない、と。
その想いは何とか繋がり、翌年の5月、「雪風」は撮影に入りました。
2025年6月5日、松山でのマスコミ向け試写会に、一般の方としてはただ一組、二人の娘さんと共に、99歳を迎える今井桂さんの姿がありました。映画を観終わったあと、真っすぐ私と小滝に頷いて下さり、我々はこのときようやく映画の完成を実感できたのです。
その今井さんがお亡くなりになられたのは6月30日でした。実はかなり前から、病が全身に広がっていたとのこと。今井さんは映画を待っていてくれ、そしてしっかりそれを見届けて下さった上で、逝かれたのです。
エンドロールの波音に重なって試写会場に響いた今井さんの拍手は、今でも我々の胸に、消えることなく残っています。
【プロフィール】
長谷川康夫(はせがわ・やすお)/1953年、札幌市生まれ。早稲田大学政経学部入学後、劇団「つかこうへい事務所」で『蒲田行進曲』など多くのつか作品に出演。劇団解散後は劇作家、演出家、脚本家として活躍。
※週刊ポスト2025年8月8日号