修復を試みようと2拠点生活を始めるも…
──関係の修復を模索して、夫婦間で距離を置いた時期もあったようですね。
「家でも一緒、仕事でも一緒となってくると、お互いに逃げ場がないから『環境を変えてみよう』という話になったのは2年くらい前でした。曲作りや大学のレポートを書くときは、ホテルを借りてやっていたのですが、それを続けるのは健康的じゃない。
普段の家事や、子どもたちの習い事の送迎は私がやっているので、家族が住む自宅の近くに、もうひとつ家を借りて、2拠点生活を始めました」
──最終的に離婚を選択されたわけですが、それはどちらから切り出したのでしょうか。
「私です。環境を変えても関係は変わりませんでした。私は彼をクリエイターとして尊敬しているので、その気持ちまでなくなると“仲のいい家族”ではいられなくなってしまう。家族関係を壊すことだけは避けたいと思いました。
彼もこのような未来は描いていなかったと思いますが、『家族で仲良くいられるのだったら“夫婦であること”に固執しなくてもいいのかな』と言っていました」
──3人のお子さんたちに、離婚についてはどう話されたんでしょうか。
「2年くらいかけて家族で話していて、子どもたちが最初に心配していたのは『兄弟で別れて暮らしたくない』ということでした。3人の子どもたちはすごく仲がいいので、私も彼も子どもたちを別々にするつもりはありませんでしたが、家族5人で話したときに『仲がいいこの家族を守るために、自分たち夫婦が関係を変えればいい』と。子どもたちもそのプロセスを経ているので、『ふたりが仲良くしてくれれば、そうしていいよ』と受け入れてくれました」