高市総裁の思想や政治方針は、故・安倍晋三元首相の影響が大きいとされる(共同通信社)
政界入りして政党を転々とした後、自民党に入党したのは1996年のことだ。落選の憂き目に遭うなど、しっかりとした軸足が定まらなかった高市氏の運命を変えたのが、1993年の“当選同期”である故・安倍晋三元首相との出会いだった。
「自民党入党後、高市さんは名門派閥でのちに安倍派となる清和政策研究会に所属し、安倍さんとの距離が近づいていった。もともと保守思想ではなかったものの、安倍さんから学ぶことは多かったのでしょう。考え方や政治思想も安倍さんと近しいものになっていきました」(有馬さん)
同期の信頼は厚く、高市氏は2006年に第一次安倍内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣し、2012年に第二次安倍内閣で女性初の自民党政調会長に抜擢され、その後2014年に総務大臣に就任した。やがてアベノミクスなどを「安倍さんと一緒に作り上げた自負がある」と公言するようになり、2020年に安倍元首相が辞任し、続く菅義偉元首相の退任によって2021年に行われた自民党総裁選に初めて出馬した。
その際、なぜ総裁選に出るのかと尋ねた有馬さんに高市氏はこう即答した。
「私は、安倍さんの考え方がいいんです!」
有馬さんが振り返る。
「当時の高市さんは安倍さんの再登板に向けて奔走するも本人に固辞され、“それなら私が代わりに出るから応援してください”と出馬しました。彼女は派閥を抜けて無派閥で仲間がおらず、安倍さんの助けで推薦人を集めることができた。高市さんと安倍さんは師弟関係のようなもので、安倍さんという重鎮がいなかったら彼女は1回目の総裁選に出られていない。もちろん、自民党の総裁になることもなかったでしょうね」
安全保障や歴史認識、外国人問題などで保守派をアピールする一方、阪神タイガースの熱狂的ファンでトヨタのスポーツカー・スープラを愛する高市氏は「目立ちたがり屋のエンターテイナー」でもあると舛添さんは指摘する。
「ドラムやバイクなど趣味の面も含め、彼女は目立ちたがりで人を楽しませるエンターテイナーの素質があります。阪神タイガースやX JAPANの熱狂的なファンであることなど、“意外性”“ギャップ”というものを効果的にアピールしていました。
女性政治家にとって自身の意外とも思われる側面を見せることは重要な素質ですが、それだけではトップに立てない。盤石な地盤を築くためには自民党を支える保守層へ、政治思想のアピールをすること以外にはありえません」
(第3回に続く。第1回から読む)
※女性セブン2025年10月30日号