各地でクマの被害が相次いでいる(左・共同通信)
10月28日、盛岡市中央通りにある岩手銀行本店の地下駐車場でクマが1頭確認された。程なくして吹き矢で麻酔を撃ち捕獲したが、周囲は緊迫感に包まれた。このクマは誤って市街地に迷い込んだのか、それとも「住宅地は安全」と知っている“確信犯”だったのか──。
かつて熊被害といえば、きのこ狩りや山菜採りにいった人が遭遇して襲われるケースが多いとされていた。しかし今、全国を恐怖に陥れているのは、住宅地や市街地など、人間の生活圏に進出する「アーバン熊」だ。
優秀な頭脳を持つ「アーバン熊」は、さらに人間について学び、“アーバン熊2.0”へと進化しているという。そのアーバン熊の実態について、2024年1月に発行された別冊宝島編集部編『アーバン熊の脅威』から、一部抜粋・再構成して紹介する。【前後編の前編】
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なぜ日本だけで熊が大量発生しているのか
2024年以降、日本は未曽有の「熊害」に怯えることになるのではないか。人身被害が170人を超えた2023年の熊被害レベルのみならず、今後、人の活動領域が熊によって奪われていくことが予想されるからである。
いかに現在の日本が異常なのか。それは本州のツキノワグマ生息数が、実に4万5000頭に迫る勢いで伸び続け、北海道のヒグマも1万数千頭へと急伸している点からも理解できる。つまり1億2000万人がひしめく経済大国で実に4万頭に及ぶ「猛獣」が生活圏を接するようになっているのだ。しかも、その猛獣とは、殺傷能力を持った人間を恐れない「アーバン熊」なのだ。アフリカのサバンナ並みの危険度と言いたくなる。
そもそも熊は絶滅危惧種だ。世界の生息地域では「人間の保護」がなければ多くの固有種が絶滅しかねない状態にある。熊害は日本だけに起こった異常事態なのだ。
とはいえ日本も1980年までは世界のトレンドに近い状態にあった。九州では1950年代に絶滅(野良となった元飼育熊が1990年代頃まで生息、絶滅認定は2012年)、四国も実質的な絶滅状態(現在の生息数は数十頭で回復の見込みはない)。本州では中国・近畿・関東・北信越では国定公園といった自然保護区を中心に数十頭から100頭程度の小グループが複数点在するのみだった。唯一、熊の餌となるブナの原生林が広がっていた東北地方で1000頭以上のグループを複数確認という程度まで落ち込んでいたからである。
熊は巨体を維持するために莫大な餌を必要とする。生息域における餌の供給総量で熊の生息総数が決まるわけだ。とくに人口と経済活動が安定した室町時代から戦前・終戦直後までは煮炊きや暖房で薪や建材などの材木需要は高く、生息地は人が立ち入らない原生林・山岳地帯(国土の4割)にかぎられ、最大でも1万頭が限界値となってきた。
ところが1970年以降、国内林業の崩壊と急速な少子高齢化によって国土の4割に相当する人工林を含んだ里地里山の2割相当を人間が「放棄」した。植生が乏しい原生林とは違って、この放棄地には堅果類のなる広葉樹林帯と放棄果樹(柿や栗など)、餌となる魚類・昆虫・小動物が豊富にある。
文字通りの「熊の楽園」が開放されたのだ。熊は一日で30 キロ移動できる。若熊たちは、この“開放区”を求めて本州全土へと移動し、新たな生息地で急激に数を増やした。増えた頭数より開放区(放棄地)の拡大のほうが大きく、この開放区の限界値は2万頭を超えると推定されているほどなのだ。
この開放区の限界値を超えて生まれた熊たちは、当然のごとく新たな新天地として人間の活動域へと侵出する。これがアーバン熊となり、人間の生活圏へと出没してきた。
