あまりのことに船員たちが私物を渡して代金の代わりにしてくれと言ったところ、医師はしぶしぶ応じたという。しかし約束は守られず、結局漁撈長は死んだ。船員たちはやむを得ず火葬に付すことにしたが、ここでも費用がかかると断られた。そこで船員たちは再び私物を出し合い、韓国人に売り払ってようやく費用を捻出した。
もちろん、船員たちはすんなり帰国できたわけでは無い。「李承晩ライン侵犯」の容疑で厳しい取り調べを受け、抑留された。この間、漁撈長を射殺したことに対してなんの謝罪も無かった……。
当然、日本国中が憤激した。
次に紹介するのは一九五三年二月二十四日、つまり事件から二十日後の『毎日新聞』朝刊のトップ記事だ。
〈フリゲート艦派遣を考慮 大邦丸事件・政府見解を表明
実力行使も辞せず
岡田保安庁政務次官答弁 不法行爲に対応
岡田保安庁政務次官は二十三日の参院水産、法務、外務連合委員会で伊達源一郎氏(緑)から「朝鮮近海での韓国船による日本漁船の相つぐ捕獲事件は全く不法であり海賊行為に等しい。政府はこれを取締り日本船を保護するためにフリゲート艦を使用する意思はないか」との質問に対し「正当防衛、緊急避難行為としてフリゲートによる実力行使も考慮せざるを得ないだろう」と次の通り答弁した。
保安庁としては米国から借りたフリゲートが本年七、八月ごろには整備されるので、これを数船隊にわけて日本周辺海上に配置し、沿岸の警備、安全に当らせる方針である。日本近海で不法行為があればフリゲートも当然これに介入し理由、事情を究明する。もしそれでも不法行為が止まなければ正当防衛、緊急避難行為として実力行使することも止むを得ない。ただ国際紛争の起るのをなるべく避ける意味からフリゲートの実力行使に当っては慎重にやるよう注意したい。〉
この時点では日韓基本条約締結前なので国交は無く、大使の交換はしていない。だから抗議は代表部に対するものになる。また伊達議員の後にある(緑)とは、当時参議院の最大会派であった「緑風会」のことである。ちなみに伊達議員は元『読売新聞』主筆で、日本海に面した島根県が選挙区である。
ただし念のためだが、この問題に関しては漁業関係者だけが怒っていたのでは無い。日本国民すべてが怒り心頭に発していたと言っても過言では無い。この年の三月に他ならぬ『読売新聞』が実施した「世論調査」の結果を紹介しよう。
これも念のためだが、当時はまだ個人所有の電話は少なく、世論調査と言えば郵便を利用するのが常識だった。事件の経過を説明するなど、これまで紹介した記事と重複する部分が多くあるので、この記事については世論調査の内容の部分だけを抜粋して紹介する。出典は、一九五三年三月十七日付の『夕刊 讀賣新聞』である。
〈大邦丸射殺事件をどう見るか 第122回紙上討論
この問題を国民はどう見ているかを掲げた今回の討論は全国から四百廿九通に上る多数の投稿がよせられた。
国際法上また人道上許されない行為だとし、政府は強く韓国の反省を求めよとするものが二百四十通で、全体の五割六分を占めた。次いで国際的に認められていない李ラインの撤廃を求める、不当な暴挙に対し賠償、責任者の処罰、韓国側の陳謝が当然だ、韓国政府首脳の対日悪感情の反省を強く要望する、ダ捕(=拿捕。引用者註)船、未帰還者の早急返還を迫れなどが百六十八通、政府は国論を結集してわが方の正義を主張、自主独立外交で解決に直進せよ、特別の外交使節団を派遣せよ、などが七十二通、両国交渉不調の際はアメリカの仲介斡旋を依頼せよ、国連へ提訴せよなど六十七通、もっと安全出漁対策(警備船増置)などを積極的にせよ、新たな漁業交渉を開始せよ、が四十一通であった。
慎重論としては、韓国の戦乱の現況にかんがみいたずらな刺激をさけ長期交渉で反省を求めよ、報復措置に出るな、面子にとらわれず虚心に話合えが六十三通であった。このほか日韓合弁による漁業会社をつくれ、自衛軍の必要を痛感するなどが、十八通であった。
なお応募者の中には在日韓国人も多数あり、これらは“現に共産軍の防壁となって死闘している韓国の現状を日本人は理解すべきだとし、共産ゲリラ隊の潜入を防ぐための防衛水域に出漁することは慎しむのが当然である”などと主張していた。応募者全体の意見を通じて対韓国要求の個々の問題の貫徹は当然としても交渉の基調はあくまで善隣友好精神に求めるべきであるとの意見が多く、年齢別では高年齢層からの投稿が目立っていた。〉
現在の目から見るとわかりにくいところがあるので少し補足すると、まず「自衛軍の必要を痛感する」というのは、日本はアメリカの強い指導の下に軍備と国際紛争の武力による解決を放棄した日本国憲法を制定しているということだ。巡視艇(警察)はあるが、軍艦(海軍)は無い。
アメリカは当初日本を徹底的に「丸腰」にする予定だったが、ソビエトや中国の台頭によって日本を「反共の防壁」にするために手のひら返しをする。それが自衛隊の創立につながるのだが、それは一九五四年(昭和29)の話である。つまり、李ラインというのは「丸腰日本」の弱みにつけこんだ悪辣な陰謀なのである。
そして、そのアメリカの手のひら返しのきっかけとなったのが、前回も述べた北朝鮮の韓国に対する一方的な侵略「朝鮮戦争」だった。一九五〇年(昭和25)六月に始まった戦いは、一九五三年七月にようやく「終わった」が、これは休戦協定が結ばれただけで、それ以後も現在に至るまで両国は「交戦中」である。だから在日韓国人は「われわれは北朝鮮と戦って共産勢力がアジアを席巻するのを防いでいるのだから、日本も多少のことは我慢しろ」と考えていた。それが「日本は韓国の現状を理解すべき」という意見の背景にある。
しかし、いかに戦時下でも軍人が武器を使用し、交戦国でも無い第三国の一般市民を殺害していいということには絶対にならない。
しかも問題はこれだけでは無い。じつは、韓国軍が殺害した日本人漁民は瀬戸重次郎漁撈長だけでは無いのだ。
(第1471回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年11月7・14日号