ウクライナ出身の安青錦
波乱続きだった安青錦の歩み
ここに至る安青錦の歩みは、まさに波乱続きだ。
7歳で地元ウクライナで相撲を始めた安青錦は、15歳の時、大阪・堺市で開催された世界ジュニア相撲選手権(2019年)に出場するために初来日。その時に知り合ったのが、のちに角界入りの道を拓く関西大学相撲部(現在はコーチ)の山中新大氏だ。
大会中、安青錦の相撲スタイルが目に留まり、たまたま前を通りかかった際に山中氏が声をかけたという。その後、インスタグラムのアカウントを通じてやり取りが続いたと山中氏は振り返る。
「相撲について色々と質問が来るなど、興味津々でした。将来は大相撲の力士になりたい、と」
2021年にはヨーロッパ相撲選手権100キロ未満級で優勝するなどキャリアを重ねたが、直後にロシアの軍事侵攻が始まった。山中氏が続ける。
「『大丈夫?』と連絡したんです。その時は『僕の街は西部なので大丈夫』とのことでしたが、10日後に『日本に避難できないでしょうか』と言ってきた。私も相撲をやる一人として何かできないかと両親に相談したら、(自宅で下宿させることに)賛成してくれました」
ロシアの侵攻後、ウクライナでは18歳以上に徴兵義務が課されたが、安青錦は「17歳11か月」での渡航申請だったため、出国可能になった。
両親は避難先のドイツでクリーニング店を経営し、兄はウクライナに残り大学に通うが、離れて暮らす家族については多くを語らない。外国特派員協会での会見時も、母国について聞かれると「相撲の話をしましょう」と答えるのみだった。来日後は山中家での生活がしばらく続き、安治川部屋に入門が決まるまでに紆余曲折もあった。
「外国出身力士は各部屋1人まで。すでに枠が埋まっていたり、受け入れない部屋も少なくありませんでした。色々な部屋に声をかけ、断わられました」(山中氏)
