「これぞ名牝中の名牝」とアパパネについて振り返る調教師・国枝栄氏
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、アパパネの引退、その子供たちの活躍についてについてお届けする。
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2012年、5歳の秋を迎えたアパパネは府中牝馬ステークスを予定していたが調教中に浅屈腱炎を発症してしまった。3歳三冠を達成、古馬になってヴィクトリアマイルも勝ったので「次の仕事」へ向かう時期だと考え引退、金子真人オーナーが繁殖牝馬として所有することになった。アパパネはこの時代に結果を出した牝馬では珍しく、サンデーサイレンスの血が入っていないため、ディープインパクトをつけられた。
2014年2月に生まれた初めての産駒は父と母のGI勝利数を合わせて「十二冠ベビー」ともてはやされた。預からせていただくことになって最初に見たとき、「これはいい子が出たなあ!」と感嘆したよ。初仔は小柄なことが多いが、とにかく馬っぷりがよかった。これはダービーを勝てるかもしれないと思った牡馬は「モクレレ」と名付けられた。ハワイの言葉で飛行機という意味だそうだ。
ところがこいつがとにかくやんちゃ。牧場にいるときから乗り手を怪我させてしまったりして、基本的な調教がスムーズにできなかった。何か教えようとすると、嫌だよ、僕はやらないよというような拒絶反応を示したり、こちらに向かってきたりして、まるで前向きじゃない。ハンドル操作が利かないという馬は手掛けたことがあるけれど、そもそもなかなかエンジンがかからないのだ。
それでも8歳まで走って4勝。普通の血統ならばよく走ったということになるのだろうが、この両親にしては物足りない。3勝が7、8月の暑い時期だったというのはアパパネ譲りだったかな。
次男のジナンボー、三男ラインベックは私の厩舎ではなかった。2頭ともオープン入りし重賞でも入着したが、やはりモクレレ同様、扱いが難しい馬だったようだ。
