作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十六話「大日本帝国の理想と苦悩」、「大正デモクラシーの確立と展開 その8」をお届けする(第1473回)。
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前回、ストレプトマイシン通称「ストマイ」について「余談」をした。余談は余談だが、歴史というものを深く知るためには、こうした「話」が絶対に必要だということは理解していただけたと思う。
ストマイは結核を「必ず死ぬ病」から、「治療すれば治る病」に変えた。これ自体は人類医学の輝かしい勝利なのだが、ストマイがもたらした弊害もあったことも歴史家として述べておかねばなるまい。ストマイ接種者には、副作用としてしばしば耳が聞こえなくなる、つまり難聴になることがあった。当時このことを「ストマイつんぼ」と呼んだ。
小説『婉という女』で人気の作家大原富枝のデビュー作のタイトルも『ストマイつんぼ』である。この言葉は現在「差別語」として使われなくなったが、こうした言葉を小説のタイトルにしても当時は問題無かったわけだ。これも一つの歴史である。
いまは「難聴」という事態をより正確に表現できる言葉があるので、私もことさらにこの言葉を使う気は無いが、一九五六年(昭和31)ごろは、この言葉があたり前に使われていたという事実は、歴史の一コマとして記録しておかねばならない。
この『逆説の日本史』シリーズの古くからの愛読者ならばよくご存じのことだと思うが、その後一九七〇年代には左翼の主導による「差別語狩り」が、まるで戦前の陸軍による「敵性語(英語)禁止」のように日本中を席巻し、文豪谷崎潤一郎の傑作まで「差別語が使われている」という理由で抹殺されそうになった。
私は、それは歴史の破壊であり、たとえ本当に差別を助長するような言葉だとしても「使われていたという歴史」は抹殺すべきでは無いと主張したが、左翼歴史学者からは極悪人扱いされた。「差別語を抹殺すれば差別は無くなる」というのは言霊信仰にもとづく迷信で、左翼学者がもっとも嫌う戦前の日本陸軍が行なった「敵性語禁止」とまるで同じものなのだが、宗教を無視して歴史を研究することが理性的だと考える彼らは、そんなこともわかっていなかった。
最近は、あからさまな差別語狩りは一応無くなった。旧作映画の放映では「現代では不適切とされる表現もありますが、時代状況と製作者の意図を考慮して……」などという注意書きが添えられるようになった。それはいい。「歴史の改変」では無いからだ。しかし、表面上見えなくなっただけで秘かに行なわれているケースがあるから注意を要する。
笠置シヅ子には『買い物ブギ』(村雨まさを作詞、服部良一作曲)というヒット曲があるが、じつはこの歌詞にも「つんぼ」という言葉が登場する。一九五〇年(昭和25)の作品だから当然と言えば当然なのだが、NHKの朝の連続テレビ小説『ブギウギ』ではこの部分をカットしていた。仮に著作権者の了解を得ていたのだとしても密かにやるのは問題だ。それは「歴史の改変」だからである。
それでも、公共の電波に乗せたのだからまだマシかもしれない。若い人はともかく、中年以上の日本人なら誰でも知っている大スター植木等の歌手としての大ヒット曲である『無責任一代男』(青島幸男作詞、萩原哲晶作曲)も、傑作アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ『力石徹のテーマ』(寺山修司作詞、八木正生作曲)も共通の「差別語」があるという理由でだろう、事実上の「放送禁止曲」になってしまった。
