私が殺されてもわからなくなる
11年ぶりに単独でシリアに足を踏み入れた。夢にまで見たパルミラの地は戦闘の残骸が残り、街は変わり果てていた。乗っていたタクシーに連れて行かれた親族宅では、軟禁状態に置かれた。秘密警察の指示や、彼らへの協力を惜しまない市民の意思があった。
「その自宅を出るとインターネットが通じないので、仮に殺されて埋められるとか私の身に何かあってもわからなくなる。そういう気持ち悪さは感じました」
かつてガーセムが暮らした家も、イスラム教徒を冒涜するような光景が広がっていた。全てを写真に収めるか否か。著者は葛藤した。
「写真家だったら全て撮っていたと思いますが、私は写しませんでした。それは私が家族としてこの家に関わる道を選んだからで、ありのまま写すことで家族を傷つけたくなかった」
家族の一員だから撮れない写真がある一方、家族だから、外側からは見えない世界も知った。その象徴が、夫に「第二夫人を娶りたい」と告げられ、悩んでいた時に身内の女性たちから受けたアドバイスだ。
「取材者が男性だったらあの話を聞き出すのは難しいと思います。第二夫人の騒動が起きなければ、決して掛けられない言葉でもあります。あの経験で、彼女たちの性文化をよりリアルに理解できました」
現場が海外であるフリーランスにとって、頭を悩ませるのが取材費の捻出だ。著者はこれまでに10回以上は渡航しているが、1回にかかる経費は約70万円。日本で撮影や執筆、講演などの仕事をこなして取材費を稼ごうとしたが、なかなか貯まらない。夫も日本では職探しに苦労したため、当てにはできなかった。
「取材費が足りない場合はカンパを募りました。お金がないから行けないよりはと恥を忍んで、毎年のようにやっていました。
イギリスでは私と子供2人で夕食を食べただけで1万円は超えます。だからアラブ人が露店で売っている2000円のケバブを2本買って3人で分けました。それが一番安いんです。フランスでは移民の取材をしながら、移民たちと一緒にNGOの炊き出しをいただいたこともあります。取材のために借金をすることも多く、雑巾から僅かな水を絞るように、必死で生きていました」
夫からも「難民の取材をするからお金がなくなるんだ」と、取材中止を何度も求められた。それでも踏みとどまらなかったのは、良い意味で著者が持つ「頑固さ」ゆえだ。
「彼らが難民になる前の日常を目にしていたので、ライフワークとして継続すべき取材だと。毎年のように情勢も移り変わるし、激動の世界を目にしていたので、現場に立ち続けなければという焦燥感にかられました」
長年の取材に裏打ちされた冷静な考察も本書には随所にみられ、人々の息づかいとともに、遠い国の実情を身近に感じさせてくれる。今後もシリアを描き続けるのかとの問いに、著者は笑顔で即答した。
「その予定です。ただ、子供が大きくなり、現地へ連れて行く難しさを感じます。内戦の影響を受け、銃器を使うことへの子供の憧れが強くなり、それを親としてどう捉えるかは考えます」
そんな悩みすらも作品に昇華させてしまう著者の眼差しこそが、本書の大きな魅力である。
【プロフィール】
小松由佳(こまつ・ゆか)/1982年、秋田県生まれ。東海大学文学部卒。2006年に世界第2位の高峰K2に日本人女性として初めて登頂し、植村直己冒険賞を受賞。その後、風土に根ざした人間の営みに魅せられ、ドキュメンタリー写真家に転身。草原や砂漠を旅し、2012年からはシリア内戦・難民を取材。2020年刊行の『人間の土地へ』で第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、2025年本作品で第23回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書は他に『オリーブの丘へ続くシリアの小道で』。158cm、O型。
構成/水谷竹秀
※週刊ポスト2025年12月26日号