『戦争の美術史』/宮下規久朗・著
【書評】『戦争の美術史』/宮下規久朗・著/岩波新書/1496円
【評者】辻田真佐憲(近現代史研究者)
日本の戦争画が美術の一ジャンルとして「再評価」されるようになって久しい。なかでも藤田嗣治の「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」などは、折りに触れて言及される代表作となった。その背景には、藤田が西洋絵画の伝統を強く意識しながら制作に挑んでいた事実が明らかになり、かれの戦争画がたんなる時局便乗ではなく、美術史のなかで位置づけやすくなったという事情がある。
本書は、この藤田にも流れ込む戦争美術の系譜を、主として絵画を軸にしながら、包括的に整理した労作である。その範囲は、古代オリエントの彫刻から、ヨーロッパの古典的作品を経て、日本の錦絵やナチスのプロパガンダにまで及ぶ。日本でほとんど知られていない作品も数多く紹介されており、読者の知見を豊かにしてくれる。
現代では世界史全体を見渡すような試みはしばしば忌避され、専門分野への沈潜が好まれる。しかし、ひとつの対象を深く掘り下げることで、かえって全体性へと到達できることがある。本書はその好例だろう。
そのうえで著者は藤田の戦争画に厳しい評価を下す。実際の戦闘経験をもたない藤田の作品は、一定の迫真性を備えながらも、西洋の模倣を脱しきれず、「遅れて来た歴史画」と言わざるをえないと。それまでの周到な整理があればこそ、この主張にはたしかな説得力がある。
そのいっぽうで、第二次世界大戦後の記述についてはやや散漫な印象がぬぐえない。現代美術において絵画の比重がますます低下している状況を考えれば、これは避けがたい面もあるだろう。いまや戦争美術という問題意識は、古典的な枠組みを越え、SNSの動画などにも応用可能となっている。われわれが向き合うべき領域はじつに広い。それでも、その大洋へ漕ぎ出すための海図として、本書がきわめて有効であることは疑いえない。
※週刊ポスト2026年1月30日号
