織田信長(C)amanaimages
濱田氏が語る。
「そこには『茶の湯・鷹狩・女狂いなどは、秀吉の真似をしてはならぬ』とあるので、秀吉は自らを“女好き”と認めていたことになります」
その秀次も20人以上の側室をもうけ、秀吉に勝るとも劣らぬ性豪ぶりを発揮した。側室を迎えた際に12歳の連れ子も寝所に連れ込んで親子どんぶりを繰り広げ、家臣の母親や老妻にも手を出したと伝わる。
訓戒に従わなかった秀次は、秀吉と茶々の間に子供ができると次第に疎まれ、最後は切腹に追い込まれた。彼の40人近い妻妾も京都の三条河原で処刑されたという。
一方、『豊臣兄弟!』の主役である弟・秀長の性生活については資料に乏しいそうだ。
「秀長にも複数の側室がいたことはわかっていますが、兄のように性に奔放だったといったエピソードは伝わっていません」(濱田氏)
