加藤清正(C)amanaimages
女遊びがすぎて49歳にして衰弱
一方、遊女との関係に夢中だったのが、秀吉の家臣として数々の武功を挙げ、後に家康のもとで初代熊本藩主となった加藤清正だ。
「女遊びがすぎて49歳にして精液が枯れて衰弱し、腎虚のような状態で死んだとも言われています」(同前)
戦場で白拍子(踊りを舞う遊女)と遊び、朝鮮出兵の際にも現地で遊女を囲ったという。
「一説には死因は遊女から貰った梅毒とも言われています」(同前)
ちなみにこの梅毒について誰よりも警戒していたのが家康だった。生涯現役を貫いた家康だが、性病対策として遊女には近づかないよう徹底していたことが伝わっている。渡邉氏が語る。
「戦国武将たちの子孫繁栄への使命感は非常に強く、世継ぎを得るために複数の側室をもうけるのも当然のことでした。性に貪欲であることが、むしろ好まれた時代だったと言えます」
戦場での死を常に覚悟しながら、性行為にいそしんだ戦国武将たち。現代人には想像もつかない覚悟を持って、性に向き合っていたようだ。
※週刊ポスト2026年1月30日号
