大原麗子一覧/2ページ

【大原麗子】に関するニュースを集めたページです。

伝説のゲイバーママ「高倉健さんとは何もなかったのよ!」
伝説のゲイバーママ「高倉健さんとは何もなかったのよ!」
 昭和のスターは、芸能界から政財界、文壇、スポーツ界まで幅広い交友を持ち、夜な夜な酒を酌み交わすものだった。そんな自由で輝かしい彼らの親交を、誰よりも間近で見てきたのが、六本木の伝説のゲイバー「吉野」のママ、吉野寿雄氏(88)だ。今年米寿を迎えた吉野ママが、「終活の一環として思い出を記録に残しておきたい」と、スターの集った貴重な店内風景を明かした。 * * * 美空ひばり、石原裕次郎、長嶋茂雄、三島由紀夫など、今思えば各界のスターたちが皆お店に来てくれていたわ。有名人が集うレストランは他にもあったけど、うちは何処よりも濃密だった。なぜかって? そりゃ、「ゲイバー」だからよ。〈夜毎、名だたるメンバーが顔を揃えた「吉野」。数多くのスターに愛された同店で38年間ママを務め、訪れるスターたちの恋や仕事の相談に乗ってきたのが吉野ママだ。 吉野ママは終戦後、新橋にできた日本初のゲイバー「やなぎ」でゲイボーイとして修業を積んだ後、独立し、銀座「ボンヌール」を開店。当時から越路吹雪や高峰三枝子など客層は華やかだったという。同店で多くのファンをつかんだ吉野ママは1963年、六本木に「吉野」をオープンした。「吉野」は時にスターたちの“密会の場”となり、彼らが素顔を見せるやすらぎの場となった。〉 当時のゲイバーは、今ほど市民権を得ていなくて、得体の知れない雰囲気があったからね。雑居ビルの2階で看板も出していなかったし、一般の方が気軽に入れる場所じゃなかった。常連だけの超濃密な空間だったのよ。マスコミもいないし、スターがお忍びで来るにはちょうど良かったんじゃないかしら。 営業時間は夜9時から朝の5時。あの頃はそんな時間までやっている店はなかったから、銀座で飲んだ後に流れてくる芸能人も多かったわ。〈「吉野」の評判は口コミで広まり、前出のメンバー以外にも、坂本九、大原麗子、森進一、沢田研二など数多くの著名人たちが訪れる“秘密の社交場”となっていった。なかでも足繁くこの店に通っていたのが、俳優・高倉健だ。高倉と言えば酒を飲まないことで知られ、芸能人との交流も好まなかったと言われるが、その高倉が「吉野」の常連となっていたのだ。 吉野ママと高倉の出会いは東京オリンピック前年の1963年。店を贔屓にしていた俳優・中村錦之助が連れてきたという。〉 錦ちゃんが「連れが外の車で待っているから呼んできてくれ」と言うから迎えにいったけど、健さんは車も降りずに、仏頂面して帰っちゃった。初めてのゲイバーで抵抗があったのかも(笑い)。〈再会したのは、高倉が主演を務める映画『網走番外地』の監督・石井輝男氏と一緒に来店するようになってからだ。その頃はまだぶっきらぼうだったというが、石井監督が吉野ママを一目で気に入り、その場でスカウト。同シリーズ4作目の「北海篇」(1965年公開)で、ゲイの囚人役として映画デビューすることになる。〉 冗談かと思っていたら、オファーされた翌々日には撮影だった。ぶっつけ本番だったけど一発OKだったわ(笑い)。 このロケの間は、健さんの部屋は旅館の「特別室」だった。その隣がなぜか私の部屋だったの。健さん、寝起きが悪いのよ。朝になると、スタッフに「およしさん、お願います!」と頼まれて、私が毎日、健さんを起こす係になっていた。特別室では、夜になると、一緒にレコードをかけてゴーゴーを踊るの。健さん、踊りは不器用だったわね(笑い)。そうやって一緒に過ごすうちにだんだん親しくなっていったのよね。〈「毎日のように一緒にいた」という高倉は、吉野ママには銀幕の中とは違う一面を見せた。〉 健さんは時間があると、「およし、ご飯を食べに行こう」って、南青山の私の家まで、ポルシェで迎えに来てくれて、2人で飯倉のイタリアン「キャンティ」に行く。そのあと、うちの店に来るのがお決まりのコース。健さんはお酒を飲まないから、カウンターの端に黙って座って、インスタントコーヒーを飲んでるの。私は何が楽しいんだろうと思っていたけど、健さん目当ての女性のお客さんが来るから店は大繁盛(笑い)。 健さんは自分からは喋らないけど、私のバカ話を聞いて「お前、また男食ってるのか?」って笑ってた。 その頃、健さんは、水前寺清子の歌が好きで『大勝負』をかけては、歌詞に聞き入りながら、ハラハラと涙を流すの。ロマンチストなのよ。 あまりにウチに入り浸っているもんだから、健さんにあっちの噂も立っちゃって。お店で、女優の清川虹子さんに「あんた、私だけには本当のことを言って頂戴。健さんとはデキているでしょ?」と詰問されたけど、本当に私たちは何もなかったのよ!●取材・文/宇都宮直子※週刊ポスト2019年8月30日号
2019.08.22 16:00
週刊ポスト
大原麗子さん他、50周年『週刊ポスト』表紙女性 70年代編
大原麗子さん他、50周年『週刊ポスト』表紙女性 70年代編
『週刊ポスト』がこの8月で創刊50周年を迎える。創刊は1969年8月22日号。当初の表紙はイラストだったが、1か月経つとモデルを起用。1970年2月6日号からは、女優のポートレートで名を馳せた故・秋山庄太郎氏が撮影担当になった。 初回の大空眞弓をはじめ、1970年代前半は浅丘ルリ子や松原智恵子などの映画スターが次々と表紙を飾った。『スター誕生!』(日本テレビ系)の開始などを機にアイドルブームが起こり、1975年1月には小林麻美、山口百恵、桜田淳子、浅田美代子と4週連続で若者に人気のタレントがモデルを務めた。大ヒット曲を放った、ちあきなおみやジュディ・オングらも登場し、多彩な“時の女”たちが顔となった。 ここでは、1970年代に『週刊ポスト』の表紙を飾った女性たちを紹介しよう。◆大原麗子(1971年7月2日号) 1974年のNHK大河ドラマ『勝海舟』でのお久役など、ドラマ・映画で存在感を発揮した。◆岩下志麻(1970年7月3日号) 1969年『心中天網島』、1970年『無頼漢』など、篠田正浩監督の作品に出演。◆浅丘ルリ子(1970年8月21日号) 1955年より日活の看板女優に。1970年『戦争と人間 第一部』などに出演。◆吉永小百合(1970年9月25日号) 高校在学中の1960年に日活に入社。『キューポラのある街』『愛と死をみつめて』などのヒット作を続々と生み、日活黄金期を支えた。日本映画を代表する女優として歩み続け、2018年には映画出演120本目となる『北の桜守』がヒット。今年10月11日に新作『最高の人生の見つけ方』が公開される。◆関根恵子(1970年11月27日号) 1970年に大映に入社し、8月公開の『高校生ブルース』で主演デビュー。◆竹下景子(1973年7月20日号) 高校時代にNHK『中学生群像』に出演し、1973年の『波の塔』で本格デビュー。◆風吹ジュン(1974年5月31日号) 1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、1974年5月に歌手デビュー。◆桜田淳子(1975年1月17・24日号) 1974年12月発売の『はじめての出来事』で自身初のオリコン1位を獲得。◆岡田奈々(1975年8月1日号) 1975年に『ひとりごと』で歌手デビュー。ポッキーの初代CMガールに。◆大竹しのぶ(1978年2月24日号) 1973年に女優デビュー。1978年には『事件』の映画版・ドラマ版に同役出演。◆夏目雅子(1978年3月31日号) 1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールに選ばれ、CMで大ブレイク。●撮影/秋山庄太郎 文/岡野誠※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.06 16:00
週刊ポスト
大原麗子と美空ひばり 親鳥と小鳥、カラオケの絆
大原麗子と美空ひばり 親鳥と小鳥、カラオケの絆
 2009年に亡くなった大女優の大原麗子さん(享年62)と、1989年に惜しまれながらこの世を去った国民的歌手・美空ひばりさん(享年52)。2人は姉妹のように親しくつきあっていたが、その交遊について語られることはなかった。大原さんにとってひばりさんが「姉」だったように、ひばりさんにとっても大原さんは大切な「妹」であり、心の支えだった。1961年から1989年までひばりさんの付き人をつとめ、5月にひばりさんとの思い出を綴った『お嬢さんと私』(主婦と生活社)を上梓した関口範子さん(79)が証言する。 * * * ふたりはよくショッピングに行っていまして、ある日、鳥の置物をいくつか買ってきたことがあったんです。ひとつは親鳥と小鳥で一対になったもので、「親鳥は姉さんで、小鳥は私なのよ」って、麗子さんが嬉しそうに見せてくれました。 もうひとつはペアの鳥の置物で、それぞれ家に飾っていたんですが、ひばりさんが亡くなった後、「(2羽を)一緒にしてあげたい」って麗子さんがおっしゃったので、差し上げました。〈大原は、女優業の合間を縫って、ひばりのために“歌唱練習”までこなしていたという。〉 麗子さんは「ひばりさんの歌を覚えるの」と一生懸命練習していらして、カラオケの十八番は、ひばりさんの代表曲『長崎の蝶々さん』。石井ふく子先生のお誕生会とか、なにかというとその曲を披露してくださるんです。私も聞きましたが、本当にお上手でした。 ひばりさんが病に倒れた際は、何度もお見舞いに来てくださってね……。わざわざ福岡の病院にも来ていだだいて、あの時はひばりさんも感激していました。 ひばりさんにとって、麗子さんの存在は、闘病生活だけでなく、人生そのものの支えでもありました。●取材/宇都宮直子、大屋敷未世子※週刊ポスト2019年7月19・26日号
2019.07.16 07:00
週刊ポスト
美空ひばりと大原麗子は深い絆で結ばれていた(共同通信社)
大原麗子、美空ひばりに贈られた椅子を宝物の様に飾っていた
 2009年8月に自宅で“孤独死”した大原麗子さん(享年62)の位牌は、東京・三鷹の住宅街に建つ古刹の永代供養墓に並んでいる。今年は没後10年の節目とあって、メディアでは多くの追悼特集が組まれているが、触れられていない秘話がある。大原さんが“姉”と慕った国民的歌手・美空ひばりさん(享年52)との交友だ。大原さんの付き人を40年にわたって務めた佐藤嘉余子氏(85)が、ひばりさんの晩年に寄り添っていた大原について振り返る。 * * *〈1987年4月、重度の慢性肝炎と突発性大腿骨頭壊死症の療養に入ったひばりは、1988年4月、東京ドームの「不死鳥コンサート」で復帰。1989年2月6日、「歌は我が命」と銘打ったツアーを福岡でスタートさせた。だが、翌2月7日、九州厚生年金会館(北九州市)でのコンサートが、最後のステージとなった。〉 麗子さんは最後のコンサートにも行っていたんです。自分でチケットを購入して。青山にあったお気に入りのお花屋さんで大きな花束を作ってもらって、それを持っていきました。会場に着くと、麗子さんは「この花束、いつ渡せばいいのかしら」って悩んでいたみたい。 だけど、舞台裏ではそれどころではなく、ひばりさんが倒れるかどうかという大変な状態だったそうです。結果的にあれがラストコンサートになってしまったんですけど……。〈1989年6月13日、ひばりは間質性肺炎による呼吸不全で重体に陥り、24日に帰らぬ人となった。〉 麗子さんはひばりさんが亡くなる直前にも病院にお見舞いに行っていたんですが、「カヨさん、お姉さんの目は、もうこの世の目ではなかった。あっちに行ってしまっていた」って泣くんです。ひばりさんの死を感じたのでしょう。 ひばりさんが1989年に亡くなられて、今年で30年。麗子さんは2009年に亡くなるまで、ひばりさんの命日には毎年欠かさずお花と御香料を届けていました。〈2009年8月6日、大原の遺体が自宅で発見された。連絡が取れないことを心配した親族が警察に相談し、自宅に入ると、寝室のベッドで仰向けに倒れていたという。死後3日が経っていた。密葬後に公開された自宅のリビングルームには、大きな鏡台の手前に、「To Reiko from Hibari 1988.10」とサインされたディレクターズチェアが置かれていた。〉 それは麗子さんのNHK大河初主演(1989年放送)『春日局』を記念して、撮影開始前にひばりさんから贈られたものでした。 麗子さん、この椅子を宝物のように大切にしていて、最後の最後までリビングに大事に飾っていました。 いまはもう、お2人とも天国にいます。きっと、あちらでも会話に花を咲かせているのでしょう。●取材/宇都宮直子、大屋敷未世子※週刊ポスト2019年7月19・26日号
2019.07.12 16:00
週刊ポスト
美空ひばりと大原麗子は深い絆で結ばれていた(共同通信社)
大原麗子さん、美空ひばりさんに寄り添ったのはなぜなのか
 ギラン・バレー症候群を患い、2009年8月に自宅で“孤独死”した大原麗子さん(享年62)。没後10年の節目とあって、メディアでは多くの追悼特集が組まれているが、触れられていない秘話がある。大原さんが“姉”と慕った国民的歌手・美空ひばりさん(享年52)との交友だ。大原さんの付き人を40年にわたって務めた佐藤嘉余子氏(85)が振り返る。 * * *〈大原がひばりの孤独に寄り添ったのは、大原自身の過去と関係があるかもしれない。老舗和菓子店の家に生まれた大原は裕福な生活を送っていたが、父親の暴力が原因で、母は幼い大原を連れて家を出た。〉 麗子さんも父親からひどい虐待を受けていて、お母様と一緒に命からがら逃げ出してきたんです。ところが、女優として有名になってから、父親に自宅を知られてしまって……。 撮影の時に指から血が出て、体に青アザができていたので「どうしたの?」と聞いたら、ボロボロ泣きながら「実はね……見つかっちゃった……」って。 だから、麗子さんがひばりさんを支えるだけじゃなくて、ひばりさんもそんな麗子さんの心の支えになっていたんです。〈それぞれに孤独を抱えながら、お互いの心の穴を埋め合うように親交を深めていたひばりと大原。それでも2人の関係は明るかった。〉 ひばりさんと一緒に食事に行った後、麗子さんが「ひばりさん、ナイフとフォークの使い方を知らなかったのよ!」と言っていたこともありました。私が「ひばりさんくらい多忙になると、外のことは知らないものなのよ」と言うと、「そうだよね~」って笑っていました。 それから、ひばりさんのところには、日々いろいろな人が挨拶に来るじゃない? 芸能関係のお偉いさんから、わけのわからない格好をしたバンドの方まで。どんな人たちでも、ひばりさんはその方の挨拶をきちんと受ける。で、後で隣にいる麗子さんに「今の方、どなた?」って聞くんです。 麗子さんも分からないから、「誰かしら」って(笑い)。 ひばりさんに美容師さんを紹介したのも麗子さんでした。麗子さんが通っていた美容師さんで、「この人は日本一だから」って。ひばりさんは「麗子がそう言うなら」とその方にお願いするようになったんです。●取材/宇都宮直子、大屋敷未世子※週刊ポスト2019年7月19・26日号
2019.07.11 07:00
週刊ポスト
美空ひばりと大原麗子は深い絆で結ばれていた(共同通信社)
大原麗子さん、夜中3時まで美空ひばりさんに寄り添っていた
 美空ひばりさん(享年52)と大原麗子さん(享年62)。誰もが知る国民的歌手と大女優だが、2人の“接点”となると、ほとんど知られていない。令和元年の今年は、ひばりさんが没後30年、大原さんが没後10年という節目の年。これまで表に出ることがなかった2人の交友を、大原さんの付き人を40年にわたって務めた佐藤嘉余子氏(85)が初めて明かした。 * * * 麗子さんはひばりさんのことを「姉さん」、ひばりさんは「麗子」と呼んでいました。2人は9歳違いでしたけど、本当の姉妹のように仲が良かった。〈2人が知り合ったのは1960年代、麗子さんがデビューしてすぐ。〉 ひばりさんのご自宅でのすき焼きパーティーに招待された麗子さんが、卵を割ってそのまま肉をつけた時に、「麗子、卵はかき回すのよ」と教えられたそうです。後で「実家では卵をつけないで食べていたから、恥ずかしい思いをしちゃった」なんて笑っていましたね。〈1960年代の大原は、映画『太陽に突っ走れ』、『浪曲子守歌』とヒット作に恵まれ、瞬く間にスターダムに登り詰めた。一方のひばりも、デビュー20周年を迎え、不動の地位を築いた黄金期。互いに多忙で会える機会は少なかったが、折に触れて手紙をやり取りしていたという。〉 特に関係が深まったのは、1970年代後半、ひばりさんのお母様の容体が思わしくなくなってからですね。麗子さんはひばりさんに「来て」と言われるとすぐに駆けつけて、夜中の2時、3時までひばりさんに寄り添っていました。 1981年、ひばりさんのお母様が亡くなられた時も、麗子さんは自分で車を運転して行って、明け方まで傍にいてあげたそうです。 その後も、麗子さんはしょっちゅうひばりさんのお家に泊まりにいって、朝まで会話に花を咲かせていたと聞いています。 ひばりさんは麗子さんが来る時は、付き人の女性に「麗子が来るから、何か買ってきて」と言って、買い物に行かせる。それでお洋服とかを買って帰ってくるんだけど、麗子さんは洋服のセンスにはこだわりがあるから、「嬉しいんだけど、ちょっとね(笑い)」って。実際に着ることはほとんどなかったですが、大切にしていましたよ。 一方のひばりさんは、モノに対する執着が全然なくて。自分が着るものも、みんなが選んで持ってきてくれたものをただ着るだけ、という感じでした。 あれだけのスターなのに、お金に呑み込まれてしまうようなことは一切なかった。「お金があると、人は汚くなる。でも、姉さんは違った。お金を持ちながら、人間として綺麗だった」と、麗子さんは話していました。●取材/宇都宮直子、大屋敷未世子※週刊ポスト2019年7月19・26日号
2019.07.09 16:00
週刊ポスト
週刊ポスト 2019年7月19・26日号目次
週刊ポスト 2019年7月19・26日号目次
週刊ポスト 2019年7月19日・26日号目次年金だけで、一生暮らす。「生活スタイル」と「家計収支」5つのモデルを大公開!・“じぶん年金”の作り方 ・参院選後に「議員年金」復活だと!?特集◆その医療検査で「見つかる病気」「分からない病気」◆令和10年の「新宗教」勢力図  信者半減する団体も 信者数と資金力の栄枯盛衰◆回転寿司「中国産ネタ」一覧メニュー 5大チェーンでこんなに違う◆ヤクザと新聞 ヤクザの言いなりになる記者と、警察の言いなりになる記者と──◆美空ひばりと大原麗子 知られざる「義姉妹」交歓秘話◆セブン–イレブン・永松文彦新社長「コンビニ限界説」を直撃90分◆リストラしてから業績が「伸びた会社」「沈んだ会社」3700社の通信簿 ◆「総理になってほしかった政治家」ランキング◆男と女の大激論座談会◆白鵬を引退に追い込む「ガチンコ6人衆」に注目せよ◆【球界地獄耳】「あの選手、飼い殺すならウチにくれ!」ワイド◆トランプが握る「金正恩の甥っ子」の処遇◆九州豪雨「196万人避難」ところで、避難所の収容人数は?◆佐々木朗希 大谷翔平との“共通点”◆原英莉花・河本結グラビア◆ビートたけし責任編集 昭和・平成爆笑人列伝◆昭和・平成 エロ本全史◆アグネス・ラム ビキニの女神 砂浜の恋人◆PLAYBOYの表紙を飾った謎の日本人女性 紗世◆美女アスリート測定会◆麗しき女 深田恭子「世界一、幸せな瞬間」◆二度と撮れない絶景花火◆局アナ美女剣士 全国三女傑見参◆飛鳥凛 28歳、艶めいて◆ビキニでご当地ビール ゴックン!◆シリーズ初脱ぎ 河西乃愛さん。22歳。連載・コラム◆呉智英「ネットのバカ 現実のバカ」【小説】◆柳広司「太平洋食堂」【コラム】◆短期集中東田和美「60歳からの『儲ける競馬』」◆広瀬和生「落語の目利き」◆堀井六郎「昭和歌謡といつまでも」◆秋本鉄次「パツキン命」◆戌井昭人「なにか落ちてる」◆春日太一「役者は言葉でできている」◆大竹聡「酒でも呑むか」◆綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」◆大前研一「『ビジネス新大陸』の歩き方」◆高田文夫「笑刊ポスト」【ノンフィクション】◆井沢元彦「逆説の日本史」【コミック】◆やく・みつる「マナ板紳士録」◆とみさわ千夏「ラッキーな瞬間」◆中島守男「袋小路家のニチジョー」【情報・娯楽】◆のむみち「週刊名画座かんぺ」◆恋愛カウンセラー・マキの貞操ファイル◆ポスト・ブック・レビュー◆医心伝身◆ポストパズル◆プレゼント◆法律相談◆新連載 二題噺リレーエッセイ 作家たちのAtoZ◆坪内祐三の美術批評「眼は行動する」
2019.07.08 07:00
週刊ポスト
孤独死から10年の大原麗子さん 支え続けた元夫渡瀬恒彦さん
孤独死から10年の大原麗子さん 支え続けた元夫渡瀬恒彦さん
 女優・大原麗子さん(享年62)の波乱万丈の人生を振り返ったのは、6月20日に放送された『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)だ。大原さんが「姉」と慕った女優の浅丘ルリ子(78才)や、実弟である大原政光さんが登場し、「整形失敗」「中絶」「薬漬けの闘病」など生前の大原さんをめぐる衝撃の事実を明かした。 しかし、この番組には、大原さんが18才でデビューした翌年からマネジャーを務め、亡くなる直前まで寄り添い続けた元マネジャーの佐藤嘉余子さんは登場しなかった。番組放送後、本誌・女性セブンの取材に佐藤さんが重い口を開いた。「放送は見ていませんが、多くの人から連絡があり、内容は把握しています。いろいろな思いが込み上げますが、私が言いたいのは、あの番組では触れられなかったことがあり、大原さんの“死の真相”を伝えきれていないということです」(佐藤さん) 今明かされる大原さんの真実とは──。◆離婚後も支え続けた渡瀬夫妻の思い 1973年に渡瀬恒彦さん(享年72)と結婚し、5年後に離婚した大原さん。1980年には森進一(71才)と再婚したが、わずか4年での離婚となった。 離婚のたびに結婚生活に関連するものをすべて処分していた彼女が、唯一捨てられなかったのがウエディングドレスだったという。「渡瀬さんとは結婚式ができなかったので、麗子さんは森さんと結婚する時に自分のお金で『ユキトリヰ』のウエディングドレスを購入しました。彼女は離婚したらなんでも必ず処分しましたが、そのドレスだけは捨てずに私に預けてきた。 森さんとの結婚生活に未練があったのではないでしょうが、仕事を頑張って、自分でお金を出して買った憧れのドレスだから、こればかりは捨てられなかったのだと思います」(佐藤さん) 八回忌を終えた後、佐藤さんは大原さんから預かったウエディングドレスとブーケを、大原さんと母親が供養される件の寺院に持ち込んだ。「執着はいけない」と諭す住職の教えに従い、佐藤さんはそれまで大事に保管していたドレスとブーケを預けたのだという。 クールで冷静、小悪魔的イメージの大原さんだが、人間味のある一面も隠し持つ。そんな彼女の理解者が、佐藤さんのほかにもう1人いた。 晩年に精神状態が悪化し、親しい人がみな離れていって孤立を深める大原さんに、最後の救いの手を差し伸べたのは最初の夫の渡瀬さんだった。 事実、渡瀬さんは自身が主演を務めるドラマ『十津川警部シリーズ』(TBS系)に大原さんをキャスティングし、2004年12月に放送された特別ドラマは大原さんの遺作となった。 大原さんとの離婚の翌年、渡瀬さんは一般女性と再婚しているが、大原さんが病気で苦しんだ際も、夫婦で大原さんを支え続けたのだ。佐藤さんは「渡瀬さんとの関係は本物でした」と語る。「麗子さんは渡瀬さんのことが本当に大好きでした。5年で離婚したけど嫌いで別れたのではなく、『兄妹みたいな関係』と言って、離婚してからも連絡を取り合っていました。家でテレビを見ている時、画面に渡瀬さんが映ると、麗子さんは『カヨさん、渡瀬さんが出ているわよ、ウフフ』と言って、あのかわいらしい顔でうれしそうに微笑んでいました」(佐藤さん) 孤高に生き、秘かな親愛を貫いた大原さん。孤独死から10年、彼女の魅力は色あせない。※女性セブン2019年7月11日号
2019.06.28 16:00
女性セブン
大原麗子さんの「中絶」、坂上忍の番組が触れなかった事実
大原麗子さんの「中絶」、坂上忍の番組が触れなかった事実
《女優・大原麗子 孤独死の真相》。突然の死からまもなく10年。女優・大原麗子さん(享年62)の波乱万丈の人生をこんなタイトルで振り返ったのは、6月20日に放送された『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系、以下『シンソウ』)だ。 番組には大原さんが「姉」と慕った女優の浅丘ルリ子(78才)や、実弟である大原政光さんが登場し、「整形失敗」「中絶」「薬漬けの闘病」など生前の大原さんをめぐる衝撃の事実を明かした。 だがこの番組には、生前の大原さんを最もよく知る女性が登場しなかった。大原さんが18才でデビューした翌年からマネジャーを務め、亡くなる直前まで寄り添い続けた元マネジャーの佐藤嘉余子さんである。 本誌・女性セブンは『シンソウ』が放送される直前、佐藤さんから一通の手紙を受け取っていた。《もうすぐ麗子さんが亡くなってから10年が経ちます》 と書かれた文面には10年もの間、片時も大原さんを忘れることのなかった佐藤さんの思いの丈が綴られていた。 番組放送後、女性セブンの取材に佐藤さんが重い口を開いた。「放送は見ていませんが、多くの人から連絡があり、内容は把握しています。いろいろな思いが込み上げますが、私が言いたいのは、あの番組では触れられなかったことがあり、大原さんの“死の真相”を伝えきれていないということです」(佐藤さん) 今明かされる大原さんの真実とは──。◆「中絶」は仕事の都合だけではない 1946年に生まれた大原さんは高校卒業後にデビュー。映画やドラマで華々しく活躍し、「すこし愛して、ながく愛して。」というキャッチコピーのウイスキーCMでも一世を風靡した。 私生活では1973年に渡瀬恒彦さん(享年72)と結婚。5年後に離婚した。1980年には森進一(71才)と再婚したが、わずか4年で破局を迎えた。『シンソウ』では、森との結婚の2年後、妊娠した大原さんが「お腹が大きくなると撮り直しになる」と女優業への支障を心配し、中絶したことを政光さんが明かした。 だが佐藤さんは「麗子さんが中絶した理由は仕事だけではないように思う」と話す。「そもそも麗子さんが子供を欲しがったことはありませんでした。その理由は彼女の家族にあります。彼女は暴力的で浮気を繰り返していた父親との確執が大きく、“家族”によいイメージを持っていなかった。だからこそ家庭より仕事にこだわったんです。 森さんとの子供を中絶したことの根の部分には、家族に対する不信感もあったのではないでしょうか」 晩年、ギラン・バレー症候群や乳がん、うつ病に苦しんだという大原さんは、2009年8月6日に東京・世田谷区内の自宅で遺体となって見つかった。不整脈による脳内出血ですでに死後3日経過しており「孤独死」と騒がれた。 公には彼女は、大原家の菩提寺である本覚山妙壽寺の墓に入ったとされる。だが佐藤さんは、「麗子さんにはもう1つお墓があるんです」と打ち明ける。「お父さんと確執があった麗子さんは、森さんと離婚後に『大原ではなく、お母さんの旧姓の飯塚に戻したい』と強く希望し、家庭裁判所で手続きをして『飯塚麗子』になりました。彼女の死後、遺骨は確かに妙壽寺に納められましたが、実はお母さんが眠る都内の寺院でも供養されています」 大原さんと母親を供養する寺院の住職が回想する。「大原さんは小学生だった頃、お母さんに連れられてこの寺を訪れました。お母さんは家庭内暴力と浮気が原因で家を飛び出してきたばかり。当時は離婚した母娘が2人だけで生活するなんてことは考えられない時代でしたが、お母さんは覚悟を決められて『私と娘が死んだらここで一緒に弔ってほしい』と言いました。私どもはその約束を守り、共同供養塔で2人を弔っています。ここに大原さんの遺骨はありませんが、これからも母娘の位牌を供養していくつもりです」※女性セブン2019年7月11日号
2019.06.27 16:00
女性セブン
平成21年プレイバック 民主党圧勝、WBC連覇、「草食男子」
平成21年プレイバック 民主党圧勝、WBC連覇、「草食男子」
 平成の時代もいよいよ残りわずかとなった。平成とは、一体どんな年だったのか? 平成21年(2009年)を振り返ってみよう。 衆院選で民主党が圧勝。鳩山民主党政権が誕生したこの年は、新型インフルエンザが世界中で猛威を振るった。世界保健機関(WHO)は6月、警戒水準をフェーズ6に引き上げ世界的大流行を宣言。12月には死者数約1万人に。国内でも感染は急増し、翌年2月中旬までの国内死者数は190人を超えた。 8月、東京地裁を皮切りに全国で裁判員制度が開始。初の裁判員裁判は無職の男が女性を刺殺した事件。抽選で選出された裁判員は女性5人、男性1人。裁判3日目に女性裁判員が体調不良のため、男性裁判員が1人補充され、裁判4日目に懲役15年の刑が言い渡された。 スポーツでは原辰徳監督率いるサムライジャパンがWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会決勝で、韓国と対戦。5-3で優勝連覇。イチロー、ダルビッシュ有、田中将大らが活躍。 大相撲では白鵬が年間86勝の新記録を打ち立て、4度目の全勝優勝。ボクシングでは、亀田興毅が2階級制覇。 6月、世界的スーパースター、マイケル・ジャクソンの突然の訃報。翌月にはロンドン公演も控えていただけに、多くのファンが耳を疑った。“キング・オブ・ポップ”と称されたマイケルの自宅前には大勢のファンが追悼に集まった。 芸能界でお騒がせニュースとなったのは、酒井法子の逮捕劇。現在、酒井はディナーショー等で活躍。昨年7月には「子ども健全育成大使」に就任。 またこの年、本木雅弘が納棺師役を熱演した映画『おくりびと』が第81回米アカデミー賞・外国語映画賞を受賞。 ベストセラーでは村上春樹の『1Q84』。ヒット商品には燃費のよい『プリウス』(トヨタ自動車)、スイーツでは『堂島ロール』(モンシェール)が女性たちに大人気。この年の流行語は「政権交代」「こども店長」「草食男子」など。■平成21年の主な出来事1月20日 米・バラク・オバマ大統領が就任3月24日 原辰徳監督率サムライジャパンがワールド・ベースボール・クラシックで連覇3月28日 ETC搭載車対象の地方高速休日1000円乗り放題に4月5日 北朝鮮がミサイル発射実験。2段目が日本上空を通過し太平洋上に落下5月2日 忌野清志郎が死去(享年58)6月7日 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで全盲の辻井伸行が優勝6月11日 WHOが新型インフルエンザのパンデミック宣言6月25日 マイケル・ジャクソンが急死(享年50)8月3日 裁判員裁判が東京地裁で開廷8月3日 大原麗子が死去(享年62)8月16日 ジャマイカのウサイン・ボルトがベルリンで開催の世界陸上男子100m決勝で世界新記録をマークして優勝8月30日 衆議院で民主党が308議席を獲得し、自民党に圧勝11月10日 千葉市川市での英国人女性死体遺棄の容疑で指名手配中の市橋達也を逮捕11月11日 行政刷新会議の事業仕分けがスタート※女性セブン2019年2月7日号
2019.01.30 07:00
女性セブン
平成の大河ドラマ 女性が主人公の作品が高視聴率を獲得
平成の大河ドラマ 女性が主人公の作品が高視聴率を獲得
 昭和の時代から大きな支持を得てきたNHKの大河ドラマは、平成の時代でも多くのヒット作を生み出してきた。そこで、平成の時代に高視聴率を叩き出した大河ドラマのベスト10を紹介する。【NHK大河ドラマ期間平均視聴率】第1位 『春日局』1989年度 32.4%第2位 『秀吉』1996年度 30.5%第3位 『八代将軍吉宗』1995年度 26.4%第4位 『太平記』1991年度 26.0%第5位 『信長 KING OF ZIPANG』1992年度 24.6%第6位 『篤姫』2008年度 24.5%第7位 『毛利元就』1997年度 23.4%第8位 『翔ぶが如く』1990年度 23.2%第9位 『利家とまつ 加賀百万石物語』2002年度 22.1%第10位 『天地人』2009年度 21.2% このランキングについて、テレビ解説者でコラムニストの木村隆志さんはこう解説する。「1980~1990年代の作品が多い中、6位に2008年の『篤姫』が入ったのは異例。大河は男のドラマというイメージが強い中、この作品は、主演・宮崎あおい、原作・宮尾登美子、脚本・田渕久美子と、女性たちが主導権を握った、平成の象徴のような作品です。1位の『春日局』(原作と脚本・橋田壽賀子、主役・大原麗子)も、平成最後の『西郷どん』(原作・林真理子、脚本・中園ミホ)も同様。平成の大河は女性が主役ですね」※女性セブン2019年1月3・10日号
2018.12.22 16:00
女性セブン
「クリソツ」「マイカー」「タカビー」若者に死語アンケート実施
「クリソツ」「マイカー」「タカビー」若者に死語アンケート実施
 普通に使っている言葉が、もしかしたら若者には通じていないかも? 「古い!」「何それ!」、そんな既に若者にとっては死語になってしまった言葉は何か、本誌・女性セブンが10代~20代の男女200人にアンケートを取ってみた。 名詞で「もはや知らない」が半数近いのは『お局さん』。「読み方すらわかりません。おきょくさん?」(17才高校生) 故・大原麗子さん主演の大河ドラマ『春日局』(NHK、1989年)が大流行したのも今は昔。『お局さん』は行き遅れた古参OLを指すこともあるが、晩婚化が進む現在は死語に近いようだ。これには独身の記者Gもニンマリ。 同じく時代の変化を表すのが『マイカー』だ。「初めて聞いた。そもそも自分の車を持つことがカッコいいと思わないから、堂々と使わないのでは」(16才高校生) 昔はマイカーを持つことがステータスだったが、若い世代は「車=カッコいい」という価値観が希薄となり、死語の仲間入りをしたようだ。 トレンディードラマの代名詞である『月9』は「まだまだ使う」が65%で知名度こそ高いが、テレビ局は喜んでばかりいられない。「『月9』は知っているけど、恋愛ドラマというより、“視聴率が取れない枠”とのネガティブなイメージが強い」(22才OL) 言葉は同じでも、世代によって内包するイメージが異なるのだ。 形容詞で「もはや知らない」が多かったのは、『タカビー』や『クリソツ』。「えっ、高飛車でタカビー!? 聞いたことありません」(19才大学生) 芸人で日本語学者のサンキュータツオさんが指摘する。「『クリソツ(そっくり)』や『ショナイ(内緒)』など、読み方をひっくり返す言葉は昔のテレビ番組でとんねるずがよく使っていた業界用語です。特に昔のテレビは時代を作り出すメディアで、バラエティーもドラマも元気で影響力が強かった。今の40代以上にとって、テレビで暴れていたとんねるずはお兄さん的存在で、みんなが言葉をマネしました。でも今はメディアが細分化してフラットになり、言葉が一気に流行することが激減した」『シースー(寿司)』、『ミーノー(飲み)』などの用語も、若い世代からイタい認定を受けそうなので気をつけたい。※女性セブン2018年9月13日号
2018.09.03 16:00
女性セブン
倍賞千恵子、大原麗子ら昭和の浴衣美女からの残暑見舞い
倍賞千恵子、大原麗子ら昭和の浴衣美女からの残暑見舞い
 猛暑日が続く平成最後の夏。少しでも涼をお届けすべく、昭和の浴衣美女写真をお届けする。●倍賞千恵子/昭和16年東京都生まれ。 松竹歌劇団を経て松竹に入社。『斑女』(昭和36年)で映画デビュー。『下町の太陽』(昭和38年)に主演して以降、山田洋次監督作品に欠かせない女優となり、『男はつらいよ』シリーズ(昭和44年~)のさくら役で幅広い層から支持を得た。(C)Yuji hayata/JDC●高田美和/昭和22年京都府生まれ。 父は松竹を代表する時代劇俳優の高田浩吉。映画『青葉城の鬼』(昭和37年)で女優デビュー。『座頭市兇状旅』(昭和38年)、『眠狂四郎勝負』(昭和39年)などの時代劇や、『青いくちづけ』(昭和40年)をはじめとした青春映画で演じた可憐な娘役で人気を博した。(C)池谷朗●扇千景/昭和8年兵庫県生まれ。 宝塚歌劇団41期生として昭和29年に初舞台。昭和31年には『夜霧の女』で新人演劇賞を受賞。退団後、連続テレビ小説『たまゆら』(昭和40年、NHK)、『大奥』(昭和43年、関西テレビ)などで好演。昭和52年に国会議員に転身、平成16年には女性初の参議院議長に選出された。(C)Yuji hayata/JDC●大原麗子/昭和21年東京都生まれ、平成21年没。 昭和40年に『孤独の賭け』で銀幕デビュー。『網走番外地』シリーズ(昭和40年~)で人気を集めた。『男はつらいよ』ではマドンナ役を2度務め、ドラマやCMでも活躍。幅広い役を演じきる実力派女優として高く評価された。(C)MASAAKI NISHIMIYA※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.10 16:00
週刊ポスト
写真家・秋山庄太郎氏 撮影に遅刻の美空ひばりに憤慨した
写真家・秋山庄太郎氏 撮影に遅刻の美空ひばりに憤慨した
 1946年、26歳から写真家として活動を開始してから2003年に急逝するまで、秋山庄太郎は女性ポートレートを中心に撮影を続けた。原点は女優・原節子だった。その特別な思いは多数の著書から窺うことができる。 秋山は、山形県米沢市に「山粧亭」というスタジオを兼ねた別荘を建て撮影を行なっていた。名前の由来は秋山庄太郎と山形県米沢市から来ている(『山粧う(やまよそおう)』とは「秋」の季語。「秋山」と「山形」の『山』、米沢市の「米」と庄太郎の「庄」を組み合わせて『粧』で、山粧亭とした)。「大原麗子さんや浅丘ルリ子さんなど、多数の女優さんがいらっしゃいました。もう取り壊してしまいましたが、一度あそこで大原さんについて、『人懐っこくて良い子なんだよなあ』と語っていたのが思い出されます。まだ人も多くなかったので、風景や花、ヌードなどの撮影をしやすかったんだと思います。特に東てる美さんは、ここでの撮影をかなり気に入っているようで、今でも旅番組で米沢と秋山の思い出を懐かしそうに紹介してくれます」(秋山庄太郎写真芸術館・館長の上野正人氏) 秋山は写真家としての地位を確立してからも、被写体を和ませ、穏やかな表情で撮影するということに生涯努力していたという。「自宅や別荘では、原稿を書くときでもなんでもテレビはつけっぱなしで映画やバラエティ番組が流れていました。こういう番組が好きなのかと尋ねたら『好きとか嫌いとかじゃない。これから売り出すタレントさんや女優さんとかが出てるから、撮影の時にちゃんと名前が言えるかどうか。礼儀だよ。相手のことを勉強しないと写真家失格だ』と」(上野氏) 秋山は何より「礼儀」を重んじる人間だった。被写体に対しても厳しい面があり、相手がどんなビッグネームだろうと同じだった。 撮影に遅刻した美空ひばりが、挨拶もお詫びもなく撮影に臨もうとしたので、秋山は「失礼だぞ」と憤慨しながら2枚だけ撮影。以降、秋山とも美空とも親しかった編集者が土下座して撮影を頼んだが、秋山は「自信がない」と断わり続けたという。 逆に挨拶がきちんとできる人は撮影もスムーズだったという。「その点で特に印象深いのは黒木瞳さん。礼儀正しくスタジオに入られる様が今でも思い出されます。宝塚歌劇団の皆さんは見事でした。背筋を伸ばして隊列を組み、タッタッと足並み揃えるようにして来られました」(上野氏) ちなみに宝塚歌劇団の男役で人気を博した越路吹雪のことはこう振り返っている。「女ってのを超えてるところがあるね。色っぽいとかそんなんじゃない。すごく人間のスケールが大きかった。楽しい人でしたよ。写真は撮りにくかったね」(著書から) 2003年で急逝するまで、女性の自然な姿を引き出す姿勢を貫いた。「女よ、より美しくあれと願って、シャッターを押し続けた」(同前) その軌跡は、日本の写真界の歴史に燦然と刻まれている。(文中一部敬称略)※週刊ポスト2018年5月4・11日号
2018.05.05 07:00
週刊ポスト
大原麗子、松坂慶子ほか 新年を寿ぐ「昭和女優の晴れ着姿」
大原麗子、松坂慶子ほか 新年を寿ぐ「昭和女優の晴れ着姿」
 新年、艶やかな晴れ着姿の女性が街を彩った。ここでは、「日本の美」を象徴する昭和の大女優4人の貴重なカットを紹介しよう。●大原麗子──昭和21年東京都生まれ。昭和39年、テレビドラマで芸能界デビュー。映画『網走番外地』シリーズ(昭和40年~)で注目され、時代劇から悪女まで幅広く演じた。和風美人の容貌から、男性からの人気がとくに高かった。●松坂慶子──昭和27年東京都生まれ。幼い頃より女優を志し、昭和44年に銀幕デビュー。昭和48年に大河ドラマ『国盗り物語』での好演で知名度を飛躍的に広げ、映画『蒲田行進曲』(昭和57年)などの話題作で主演を果たした。●岩下志麻──昭和16年東京都生まれ。昭和33年にテレビドラマ『バス通り裏』でデビュー。その後、小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』のヒロインに抜擢されるなど、松竹の看板女優として活躍した。●内藤洋子──昭和25年茨城県生まれ。高校在学中だった昭和40年に黒澤明監督の『赤ひげ』に出演。翌年に出演したドラマ『氷点』(テレビ朝日系)が高視聴率を記録。人気絶頂の昭和45年に結婚し芸能界を引退した。(C)Yuji Hayata/Marland※週刊ポスト2018年1月12・19日号
2018.01.08 16:00
週刊ポスト

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