田中健一覧

【田中健】に関するニュースを集めたページです。

俳優・田中健が語る「食べ続けていくには?」
田中健「いい作品に出るより、どうやって食べていくかが大事」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・田中健が、時の総理大臣や悪役を演じる面白さと難しさ、さらには楽器ケーナとの出会いについて語る。 * * * 田中健は二〇〇五年と〇六年に現在進行形の政局をドラマ化したテレビ東京の『ザ・決断!』で時の首相である小泉純一郎を演じ、その再現性の高さが話題になった。「僕にはモノマネはできませんから、資料をいっぱいもらいました。でも、その資料は記者会見とか、普通に我々が観ている映像なんです。執務室でどうだったのかが分からない。 それで記者の方々にたくさん聞きました。『小泉さん、普段はどんな人ですか?』と。すると、みんな『ほとんど人の話を聞いてないです』と答える。『うんうん』と聞きながら、どこか遠くを一点に見ている。その時、他のことを考えているわけです。 人に何を言われても自分ではすでに何か先のことを考えている。そういう性格が見えてきて大きなヒントになりましたね」 近年では時代劇や刑事ドラマなどで悪役のポジションに回ることも増えてきた。「本当は、もっと早くに悪役をやっておけばよかったと思っています。 悪役って難しいんです。善人より難しい。いっぱい考えないといけませんから。ですから、あまり自信がなかったんです。 悪役って、何をどうやってもいい。セリフにしても、笑いながらでも怒りながらでもいい。しれっとしていてもいい。全て本心を隠した腹芸をするのが悪役ですから。 演技をどう選別するかを自分で考えるのが悪役です。そこはとても面白いですし、勉強になります。 若い頃は『言葉の裏側』などを考えることもできませんでした。その純粋さがかえって良かったのかもしれません。裏のない、直滑降に自分の想いをぶつける役ばかりでしたから。 それが今は裏側しか考えられない。この言葉の裏には何があるんだろう、と」 自信がない中で始まった俳優人生も、半世紀近くになる。「『健ちゃん、よくもったね』とはよく言われます。それだけ、相当酷かったんでしょうね。 結局のところ、芝居に対してどうしたいというのは実はあまりないんです。劇団の方とかが物凄く考えてやっています。僕はそこにあまり興味がない。芝居を作り込んだり、演技論を戦わせたりというのも、あまり好きじゃないんです。 そういう人間がなぜ続けられたのかというと──やはり食うため。根本はそこですね。 ですから、いい作品に出ることよりも、どうやって食べていくことができるだろう、みたいな。残念ながら、そこの方が大事でした。 笛を始めたキッカケも最初はそれです。このままでは食えないと思えて付加価値を考えていた時に何年も世界中の音楽を探して、ケーナと出会ったんです。 実は『望郷』で賞をいただいた後が、いちばん仕事がありませんでした。ですから、いい作品を残したって、食べていけなきゃしょうがないというのが、どこかにある。その辺は昔からあったみたいです。食べ続けていくにはどうしたらいいのかは、絶えず考えています」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年5月28日号
2021.05.23 07:00
週刊ポスト
田中健が数々の大先輩と共演した際の思い出を振り返る
田中健が語る舞台の難しさ「第一声がその日の芝居のトーンになる」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・田中健が、若山富三郎、森繁久弥、森光子や黒柳徹子などの大先輩たちと共演した思い出について語った言葉を紹介する。 * * * 田中健は一九七七年、幕末の長州藩を描いたNHK大河ドラマ『花神』で、人斬りとして暗躍する天堂晋助を演じた。「今まで僕がいただいた中でいちばんいい役じゃないですかね。 二天一流の凄い剣豪なんですが、当時は役作りをよく分かっていませんでした。どうやって役作りしていいのか──。ただ、大河は事前に稽古場で殺陣の稽古をさせてくれるんです。びしっと稽古して本番に向かうことができました」 七九年の松竹映画『衝動殺人 息子よ』では、悲劇の発端となる息子役。父親は若山富三郎が演じている。「若山さんには凄く可愛がっていただきました。東映で会うと怖いんですが、松竹だと『飯食ったか』とか言われて、本当の息子みたいに。東映だと時代劇スターとして振る舞っていないといけないんでしょうね。 共演していても物凄く包容力のある方で、何をしても受け止めてくれる感じがありました。 それは森繁久彌先生も同じで、舞台でご一緒させていただいた際、難しい役なので『どう演技しようか』と迷っていたら、舞台袖で『お前は好きにやれ。あとは俺に任せろ』って。普通、そんなこと言えませんよ」 舞台では森光子や黒柳徹子の相手役も務めている。「舞台は自分で役を立ち上げていかないといけないんで、キツいですね。特に第一声。その声の出し方が当日の芝居のトーンになるんです。疲れている時だと、その日の芝居が全て低く落ちてしまいます。 そこが確実にできていたのが、黒柳徹子さんと森光子さんでした。いつも第一声からカーンと出る。森さんは舞台袖で直前まで普通にしゃべっているのに、パッと出せますから」 九三年の映画『望郷』(斎藤耕一監督)では主人公の父親役で、多くの映画賞を受賞している。「当時は僕もちょうど転換期でした。主役が来なくなって、結構ショックだったりして。 そんな時に斎藤監督から『ちょっとお前には早いかもしれないけどな』と言われて出ることになりました。『津川雅彦に決めていたんだけど、お前、やってみるか』って。確かに津川さんにぴったりなんです。でも、監督のスカウトで俳優になって、僕のことをずっと見ていてくれたんでしょうね。それで『ぜひやらせてください』と。 ロケハンにも同行しましたし、鹿児島での少年役のオーディションの際には全員の相手役もしました。それで、『映画ってこうやってできていくのか』と初めて知るわけです。監督もスタッフも、みんなの想いが分かりました。そういう所から入れたのが良かったのだと思います。 監督はきっとこういうことがやりたいんだと分かっていると、凄くやりやすい。僕は文学を知らないので、空想ができない。 ですから現実でそうやって会っていないと。自分で立ち上げられないんで、みんなと話す中で確認していく。ですから、演出家によって凄く変わるんです。話ができる演出家だといいんですが、それがないと全然ダメになってしまいます」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年5月21日号
2021.05.14 16:00
週刊ポスト
田中健が「オメダ」を演じた思い出について語る
田中健 いきなり殴られても何もしない、それが「オメダ」だった
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、テレビドラマ『俺たちの旅』で主演グループの一人「オメダ」を演じた思い出について語った言葉を紹介する。 * * * 田中健は一九七五年にテレビドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ)で中村雅俊、秋野太作とともに主演グループの一人を演じ、人気を博す。「実は『俺たちの旅』の途中くらいまでは俳優をやめたかったんです。現場は楽しいのですが、キャメラの前に立つのがつらくて。あまりに演技ができない。どうやっていいかも分からない。 ずっと『本番が唯一の練習』みたいにやってきたもので、役作りの仕方も、役の捉え方も、セリフの背景の考え方も、なにも分からないんです。だからスタッフになりたかった。現場でみんなで物を作ること自体は楽しかったので。 でも、人気が凄く出てきたんです。『俺たちの旅』のロケ現場には千人くらいギャラリーが来ていましたから。そうなってくると、やはり考えるんです。やっていけるんじゃないかと。 それでも相変わらずキャメラの前に立つのは嫌なわけです。芝居が怖いというのは、それからもずっとありました。『俺たちの旅』は二十四歳から二十五歳までやりました。二十五になった時に、ある先輩から『三十までに自分の意思で決めないと、遅いぞ』と言われまして。他に選ぶ道もなかったので、『よし、役者で行こう』と決めました。自分で決めたらしょうがない、ということで、そこからは迷わなくなりましたね」 自信なさげな当時の田中の様子は、『俺たちの旅』で演じた「オメダ」のキャラクターが重なってくるようでもある。「まさしくそうでした。ですから、今みるとそれなりにいい芝居をしてるんです。全然芝居をしていないから。 現場では秋野さんが芝居を動かしていました。凄く様子を見ながらやる人なんです。 たとえば、本番で僕がぼうっと芝居していると、アドリブでいきなりバーンと殴ってくる。今なら『先輩、何するんですか!』とか対応できるかもしれないですが、当時は何もできなくて止まってしまう。 でも、それがオメダなんです。そこで止まるのがオメダ。芝居じゃなくて、自分そのままをやっていたんです。 あそこでちゃんと返していたら、あのオメダの純粋さは出なかったかもしれません。そこまで秋野さんが理解してやっていたのかは分かりませんが──」 その後、『俺たちの旅』は十年おきにスペシャル版が制作され、彼らのその後が描かれた。「十年後に、たとえば中村君と会うわけです。すると、お互いどう成長しているのか気になりますよね。ですから、最初に見つめ合って芝居するシーンは毎回ドキドキしていました。見透かされるような気がして。 ただ、それが過ぎると十年も経っていないような気がして──不思議ですよね。 僕は『俺たちの旅』がなかったら、おそらく今は俳優をやっていないんじゃないですかね。そのくらい大事な、歌手にとっての大ヒット曲のようなものです。その前も『青春の門』などのいい作品をたくさんいただきましたが、やっぱり全国区にしてくれたのは、これですから」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年5月7・14日号
2021.05.02 16:00
週刊ポスト
俳優・田中健が初主演のオーディションや撮影について振り返る
田中健 監督に言われた「上は見るな、とにかく下を見ろ」の意味
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・田中健は、初主演映画『青春の門』のオーディションや撮影など、当時の思い出について語った言葉を紹介する。 * * * 田中健は一九七五年、浦山桐郎監督による映画『青春の門』の主演に抜擢されている。「いきなり最終オーディションからでした。五木寛之さんがいて、浦山さんがいて、プロデューサーがいて。そこで僕が福岡の八女の出身だと言ったら、五木さんもそうで。方言もそのままいけると。で、望んでもいないのに受かってしまいました。 浦山さんは現場を大事にされている方でした。最初に言われたのは、『役者は肉体労働だ』ということです。それで『照明のバッテリーを担げ』と。休みの日もバッテリーを担ぎましたし、北九州へロケに行った時はボタの草刈りをしました。 今から考えると、そうすることでスタッフに可愛がってもらえたと思います。現場を知れ。そのためには、まず手伝え。そういう監督の親心だったのではないでしょうか。主役だからといって特別な存在ではなく、役者というパートにいるだけだと教えてもらいました。 浦山さんは僕ら新人には優しい方でした。当時、録音のマイクの性能がよくなくて、僕のセリフがうまく録れない時があったのですが、録音技師が『もうちょっと大きな声でセリフを喋ってくれ』と言ったところ、監督が『こいつはまだ金取れない役者なんだから、お前らがちゃんと録れ』と諭してくれました。『用意』のかけ方も普通ではありませんでした。『はい、緊張して。用意、はい!』で本番が始まるんです。それで全員がピリッとする。果たしてそれがいいのか悪いのかは分からないんですけど、画面の隅々に何かが生まれる気はしました」 父親役に仲代達矢、母親役に吉永小百合、さらに小林旭など、豪華キャストが組まれた。「実はあまり緊張しなかったんです。というのも、仲代さんも吉永さんも小林さんも、当時の僕はよく分かっていなかったから。あのメンバーで一枚看板の主役なら、今ならびっくりします。でも、その時はプレッシャーもなく、ただ監督の言われた通りにやっていた。 監督から言われたのは、『上は見るな。とにかく下を見ろ』ということでした。『あの時代は上を見ている奴はいなかった』と。そのくらいなら、当時の僕でもできます。そうやって、分かりやすく指示を出してくれたので、やりやすかったですね」 恋人役は、大竹しのぶだった。「あの頃、しのぶちゃんとはかなり共演しましたね。『青春の門』に大河ドラマ『花神』、映画『衝動殺人 息子よ』も婚約者役でした。あの人は本当に上手かった。浦山さんも相当気合いを入れて演出していました。まるで催眠術でもかけるみたいに。そうやって絶対の信頼関係を築いていました。しのぶちゃんは浦山さんの演出方法にめちゃくちゃはまっていました。 普通、撮影が終わると『カット!』と言います。でも、しのぶちゃんがブワーッと芝居をすると、監督は『よっしゃー!!』って叫ぶんですよ。そう言われたら、誰だって嬉しいものです。 僕も『よっしゃ!』が来ないかなと思ってやっていましたが、結局一回もなかったですね」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年4月30日号
2021.04.21 19:00
週刊ポスト
田中健が俳優を始めたときの思い出を語る
「健ちゃん、大丈夫?」 田中健が振り返る八千草薫さんの思い出
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、歌手としてデビューした田中健が俳優を始めたときの思い出について紹介する。 * * * 田中健は高校卒業後に福岡から上京、一九七二年に歌手デビューする。「卒業してすぐ食べられる道が音楽でした。高校時代からグループサウンズをやっていて、ヤマハのライト・ミュージックという九州のコンテストで優勝したりしていたんです。それで、それなりの知名度はありました。 大学に行かず、面接を受けなくても食えるのがバンドだった。当時はバンドを掛け持ちすると、大卒初任給が四万円くらいの時代に十万くらい取れていました。悪い仕事じゃなかった。 そんなことをしているうちにスカウトされました。アイドル歌手で、という話で。二十一歳でデビューして、西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんの新御三家が同期ですね」 俳優としてのデビューは七四年のテレビドラマ『春のもつれ』(日本テレビ)だった。「デビューから少しして、事務所が倒産してしまったんです。それで行く道がなくなり、博多に帰ろうと荷造りをしていたらコロムビアのディレクターさんから電話があって、凄く心配してくれたんです。その方が斎藤耕一監督を紹介してくださって。斎藤監督は『お前、映画をやったら』と言うんです。そんな道があったのかと思いました。これで博多に帰らないで済む、東京に残れると。一回デビューしておいて戻るというのは、嫌なものですから。 それからは斎藤監督の元の奥様が青山でやっている店で弾き語りをやりました。そこには作家やプロデューサーや監督さんが多く来ていて、それで仕事が入るようになった。 最初にセリフのある芝居をした相手は八千草薫さんでした。あまりに僕が下手なものだから、大変ご迷惑をおかけして。 以来、八千草さんにはずっと頭が上がりません。会う度に『健ちゃん、大丈夫?』という顔をして。いつも温かい目で見ていただきました。 その後の『俺たちの旅』では親子役でしたが、その時の感じを引っ張っているので、本当の親子みたいな感じが出ていたのかもしれません」 同年は映画『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)にも主要な役柄で出演している。「演技の基礎は何もないし、映画のことは何も知らないのに、オーディションは受かるんです。熊井監督のことすら、よく知りませんでした。 あの時は、高橋洋子ちゃんの演じる娼婦の恋人役でしたが、彼女が何人も客をとって疲れて倒れたのを見て『チクショウ!』と叫ぶ場面があるんです。これが言えなくて。魂が入っていない。それで、二十三回も熊井監督からNGが出ました。あまりにセリフが甘い、と。 仕方ないので、後でオンリー(セリフの音だけを録る)になったんです。それも五十回くらいかかりました。 それなのに、今度はその撮影中に東宝の『青春の門』のオーディションがあって、『サンダカン』の衣装のまま行ったら、受かっちゃった。それで、『こいつを育てて売っていこう』というラインに乗ったわけです」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年4月16・23日号
2021.04.11 15:43
週刊ポスト
親の施設介護には1000万円必要、費用抑えるための施設の選び方
親の施設介護には1000万円必要、費用抑えるための施設の選び方
 老親が介護を必要とする状態になったら、まず市区町村の地域包括支援センターに相談する。そこで介護保険制度の「要支援・要介護認定」に向けた手続きが始まり、認定(要支援1~要介護5までの7段階)されれば、介護サービスを受けられる(親が住民税非課税世帯なら自己負担1割)。 しかし、実際にかかる費用は介護保険だけでカバーできないのが現実だ。在宅介護の場合、紙オムツや尿漏れシート代に月約2万円、嚥下しやすい流動食の費用、下の世話をする使い捨て手袋、ポータブルトイレの臭い消しなど、介護保険からは出ない費用がかさむ。 介護施設への入所が必要となれば費用はさらに膨れあがる。『人生100年時代の医療・介護サバイバル』(築地書館)などの著書があるジャーナリスト・中澤まゆみ氏が語る。「在宅介護なら、通常の生活費に利用した介護費用が上乗せされるだけですが、特養に入ると家賃(居住費)や食費などがかかる。有料老人ホームになると、入居一時金に加えて毎月の管理費、水道光熱費、買い物代行費、病院付き添い費なども上乗せされます」 介護ジャーナリスト・末並俊司氏は、「施設介護」の総費用は1000万円と指摘する。「親を介護施設に入所させる場合は月20万円程度かかると想定しておく必要があります。施設の在所期間は平均約4年なので、総額はざっと1000万円になる。金額だけを比べると在宅介護のほうが安いように見えますが、在宅の場合はその分を家族による介護労働で補っているわけですから、家族の精神的、肉体的負担がそれだけ重くなるといえます。親と離れて暮らす子供が遠距離介護の難しさから、費用がかかっても施設入所を選択せざるを得ないケースは多い」 金融庁報告書が「年金だけでは不足する」と試算した老後資金は2000万円だった。そこにさらに1000万円の出費が加われば、自分の生活まで立ち行かなくなる。 では、この施設介護の費用を抑えるにはどんな方法があるか。入所させる施設選びで介護費用は大きく減らせる。介護運営会社アイリスフレール取締役・田中健氏の試算をもとに算出した施設のタイプ別の費用の目安は、次のような具合だ。■特別養護老人ホーム 費用負担が最も少なくて済む施設で、住民税非課税世帯なら居住費や食費、水道光熱費と介護サービス費を合わせた費用の目安は月12万~14万円。ただし、「要介護3以上」が入所条件になる。■認知症グループホーム 軽度から中度までの認知症が対象。費用の目安は月20万~25万円。■介護付き有料老人ホーム 入居一時金(数十万円から数百万円まで様々)の他に、郊外の施設は月15万~20万円、東京23区内は月25万~30万円程度が目安。 介護施設の費用は特養が一番安く、有料老人ホームのざっと半額程度だが、待機者が全国に約36万人いる“狭き門”だ。そのため、親を特養に入れたくても、有料老人ホームを選ばざるを得ない実態がある。 しかし、特養のかわりに介護老人保健施設(老健施設)に入所させるという“裏技”がある。老健施設は要介護の高齢者がリハビリなどで在宅復帰をめざす施設で、要介護1から入ることができる。しかも、費用は特養と同じ水準だ。「老健の入所期間は原則3か月程度ですが、病院の紹介があり、医師が『在宅復帰はまだ難しい』と判断すれば、1年以上見てもらえるケースは少なくありません」(前出・末並氏) そして介護費用の捻出で大きな“財源”となるのが、主(親)が不在となる実家の扱いだ。 一戸建て住宅は、築年数が多くなると外壁の補修や屋根の葺き替えなど多くの費用がかかる。リフォームに金をかけても、親が住まなくなれば急速に老朽化して“危険な廃屋”となるリスクが高い。 将来、実家に住むことを考えていなければ、売却して親の施設入居費用の足しにする判断もある。親が施設に入所して3年以内なら譲渡所得が非課税になる税制特例を受けることができる。※週刊ポスト2019年10月18・25日号
2019.10.21 15:00
マネーポストWEB
泰葉がイナゴ役で女優デビュー「借金は法の力を借りて返済」
泰葉がイナゴ役で女優デビュー「借金は法の力を借りて返済」
 春風亭小朝との離婚会見から12年、数々の騒動を起こしてきたタレントの泰葉。そんな泰葉が初の映画出演を果たしたとブログで報告。本人が女優への想いと騒動後の現在を語った。 彼女の出演する映画はその名も『劇団イナゴの群れ』(監督・田中健詞)。女優になる夢を叶えるべく、女性3人が劇団を立ち上げ奮闘するストーリーで、泰葉は“イナゴの歌の妖精”役で出演する。同作品は10月19日(土)に長野県伊那市創造館で行われる自主制作映画祭で披露される予定だ。 泰葉に電話をかけると「こんにちは、お待ち申し上げておりました~」と弾んだ声。彼女は現在、山梨県・清里にある知人ペンションに住み込みで働きながら、ブログなどで生計を立てている。以下、泰葉とのやりとりを一問一答で紹介する。──映画出演が決まった経緯は? 40年来の私のファンがいるのですが、その方が7月に「泰葉、元気?」って清里まで来てくれたんです。一緒に近くのお好み焼き屋さんで食事をしていたら、「演技やってみない? 映画に出ないか?」と誘われました。その方は映画のプロデューサーをしている方だったんです。これは何かのチャンス、良い機会だと思ってお引き受けしました。──撮影はいつ頃? 8月25日頃に監督にお会いして脚本を頂き、29日に大阪で撮影をしました。映画は全体で10分少々のショートフィルムで、私の出番はラストシーンを飾る2~3分ぐらいです。監督がメルカリで見つけたイナゴのフィギュアをおでこに張り付けて、歌を披露しました。──映画祭は入場無料ですが、ギャラはもらえたんですか? それについては契約書を交わしているため、ちょっと言えません。すみません。──映画の見どころは? 主人公の女性3人は劇団を立ち上げたあと、人生に挫折しながら、もう一度女優という夢に向かうんです。すごくポジティブシンキングなコメディ映画ですね。 私も自分が何のために生きてきたのか、見失うことがあるんです。挫折や迷いもありましたし……。でも、この映画を見たら、自分の生きる意味や運命を感じられると思います。──泰葉さんの生きる意味は見つかりましたか? これまで芸能界を引退したいとか結婚するとか言っていましたが、もう腹をくくりました。女優という仕事を与えられたので、これからは歌や演技、エンターテイメント、笑いなどを追求して、芸能の道に生きていこうと決めました。──借金はどうなったんですか? 法の力を借りて返済することになりました。自己破産はしていません。金額については言えませんが、お返ししていきます。借金をしている方々に対しては、本当に申し訳ないなあと思っています。頑張っても頑張ってもダメだったんですが、こうして法の力で助けられたことに感謝しています。本当にありがたくて、涙が出ました。日本国憲法に感謝です。──清里のペンションでの生活はどうですか? 私はお掃除、特に塩素消毒がすごく好きなんです。夏のプールの匂いがして。お風呂とトイレの掃除をしているんですが、ピッカピカになって、旅行サイトの評価があがったみたいです。──メヒディさん(2017年に婚約し、その後に婚約破棄したイラン人男性)とはどうなりましたか? 本人とはもう連絡を取っていません。たまに本人のお姉様の旦那さんから連絡がありますが、「元気してる?」とか、そのぐらいです。──最近、男性とのロマンスは? 人生始まって以来なんですが、この半年以上、恋をしていないんです。半年前には50代のアジア系外国人の方とお互いに惹かれ合う関係だったのですが、遠距離で会えないのが苦しくて、リセットしました。今度はもう少し若いほうがいいかな。──今後やりたいことは? 歌や演技など、幅広く自分の芸能を追求していきたいと思っています。あ、またヌードなんて話、出ていないですよね?──今のところないですが、今の姿を見せるのも良いかもしれないですね。 ぎゃははは。検討します、オファーがあれば(笑い)──15キロも痩せたそうですね。 以前は65、いや63キロぐらいあったんですが、今は48キロぐらいです。実はメヒディさんがぽっちゃり系の女性が好みで、太れば太るほど「ビューティフル!」って喜んでくれたんです。それで讃岐うどん3人前とかどんぶり飯とか食べていたら、どんどん太りました。フラペチーノ系のグランデも、毎日飲んでいました。──どうやって痩せたんですか? ペンションのお掃除をして、まかないのワンプレートの食事をしていたら、自然と痩せられたんです。ワンプレートダイエットって私は呼んでいるんですが、一食分を目で見て食べるので、満足感がすごくあるんです。ダイエット本にできるかもしれないし、広めていきたいと思います。あと、清里の自然のなかにいると、ストレスがないんです。モヤモヤしたことも、八ヶ岳を見ているとなくなりました。 そう明るく語っていた泰葉。映画祭の会場となる長野県伊那市は、たとえば東京から行くと電車で約4時間。興味のある方は、新生・泰葉の女優魂を観に行かれてはいかがだろうか。■取材・文/西谷格
2019.10.17 16:00
NEWSポストセブン
秋野太作 桃井かおりに学んだ「地でやる」という自由な演技
秋野太作 桃井かおりに学んだ「地でやる」という自由な演技
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・秋野太作が、『俺たちの旅』で三枚目を演じたことの思い出、初めて桃井かおりとドラマで共演したときに共演者たちと話し合ったときの言葉をお届けする。 * * * 秋野太作は一九七五年にテレビドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ)に出演、中村雅俊、田中健と共に主人公グループの一人・通称「グズ六」を演じた。「これは非常に楽しかった。若い人ばかりで自由な雰囲気なのよ。いつも思うんだけど、上手い下手じゃなくてみんなはつらつとやるのが大事なんだ。偉い人がいないって、ありがたいよ。監督も脚本家も若くて、みんな『いよいよこれから』というところで歯車が噛み合ったと思う。 あの時もどこか隙間というか、ズレを演じたんだ。三人レギュラーがいる時は、キャラクターがくっついてると面白くない。二人は二枚目で格好良さを一生懸命に出してくるのが読める。中村雅俊は漱石の『坊っちゃん』みたいに来るだろうし、新人の健ちゃんは美男だから二枚目系統で来る。そこは動かせないんだ。そうなると僕のポジションがそこから離れなきゃならない。 つまり、格好良くない人間を生きるということ。そのためには喜劇味というものが必要になってくる。役柄に面白味をつけるということだよね。 そういう役をやれば人気が湧くわけはないけど、そこをやるわけだよ。そうするとファンはつかないけど作っているほうは認めてくれる。人気とか憧れの対象とか、二枚目とか三枚目とか、そういうのはどうでもいいんだ。役者を始めて最初から興味があったのは人間。それでこの世界に入ってきたから、格好いいことして人気者になることには興味はなかった」 七九年には『俺たち~』と同じく鎌田敏夫脚本の『ちょっとマイウェイ』に出演する。主演は桃井かおりだった。「桃井さんは演技者としてユニークな人だよ。嘘をつかないというか、普段と何も変わらない。そういう人って、いるようでいなかった。でも、地でやっているようで、ちゃんと表現になっている。ただ地でやっているだけの人は今いっぱいいるけど、それとは違うんだよね。 普通は台本を読んで役をイメージして演じるんだけど、あの人はそういうイメージを持たないで、やりたいようにやる。そういう人と絡む場合は、こっちが計算した芝居をすると逆に物凄く浮き立つ。こっちの嘘がバレちゃうんだ。だから、一、二本撮った時に、何か妙な感じでみんなが彼女と合わないんだ。 その時、共演者みんなで集まって話し合った。それで僕が生意気にも『皆さん、主役の芝居に合わせた方がいいんじゃないですか』って言ったんだよ。みんな『え?』という顔をしていたけど、その時に味方してくれたのが緒形拳さん。『こいつの話は聞いた方がいいよ』って。『必殺仕掛人』の時に二人でいろいろやってきたから、信用してくれていたんだ。 それで、三話目からみんなで桃井さんに合わせて地を出しながら自由に演じることにしたら、芝居を楽しめたんだ。 鎌田さんのホンって、脚本通りに演じても面白くならない。セリフを変えるという意味ではなくて、芝居にプラスアルファをすると凄く生きてくる。だからこれも上手くいったと思う」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。■撮影/横田紋子※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.13 16:00
週刊ポスト
芥川賞作家の高橋三千綱氏
高橋三千綱氏 「田中健君には私の弔辞を読むスタンバイを」
「最後のお別れ」となる弔辞を読み上げるのは、自分のことを本当によくわかってくれている人であってほしい──歳を重ねると、ふとそんな思いに駆られることがある。そこで各界著名人に「自分の葬式で弔辞を読んでほしいのは誰か」と聞いてみた。芥川賞作家の高橋三千綱氏(70)は、自身が原作・脚本・監督を務めた映画で主演を張った俳優の名を挙げた。 * * * 映画『真夜中のボクサー』(1983年・東宝)では、世界王座に就いたボクサーが、仕組まれた八百長試合に挫折し、放浪の旅に出ながら孤独なトレーニングに励むシーンが続きます。その役を演じてくれたのが田中健君(67)でした。 彼はこの作品のために、1年かけてジムに通い、元WBA・WBC世界ジュニアライト級王者の沼田義明氏に個人指導を受けながら、見事、ボクサーの身体に仕上げてくれた。もともと交遊があった俳優の三浦友和君とトレーニングの様子を見る機会があったんですが、三浦君が「僕にはできない」と言ったほど過酷な役づくりでした。 といっても、劇中でボクシングシーンはまったくなく、1回パンチを出すだけ。脚本を読んでいたから、田中君もそれは分かっていたはず。でも彼は妥協を許さず1日6時間以上もトレーニングに励み、一言も文句を言わなかった。ギャラも含めてね(笑い)。 この映画に私財も含めて私のすべてをつぎ込みました。田中君は撮影を通じて、私のいろんな面を見ていたと思う。私を最も理解してくれた田中君の目にどう映っていたか。多くを語らない人だからこそ、あの時の本心を私の亡骸に向けて伝えてほしい。 この映画は興行的には決して成功したとはいえませんでした。ですが関係者に評価されたことで、それから田中君には映画主演のオファーが殺到しました。それまでアイドル的な存在だった田中君にハードボイルドの世界が広がり、彼の俳優人生を変える作品になったわけです。“役者として幅が広がった”と思ってくれているなら良いけど、どう思っているのか。今も気になっています。これも弔辞のなかに入れてほしいですね。 私は食道がんや胃がんが見つかったけど、手術もしないでそのままにしている。だから「なかなか死なない」「がんが逃げたんじゃないか」とか言われたりするけど、「訃報が近い」ような気もする(笑い)。田中君にはそろそろスタンバイしておいてもらわないとね。※週刊ポスト2018年5月4・11日号
2018.05.02 07:00
週刊ポスト
田中健 病で知った乗り越える楽しさ。口寂しいときはケーナ
田中健 病で知った乗り越える楽しさ。口寂しいときはケーナ
「今振り返ると、病気になって良かったことばかり。この歳でも“新しいことにチャレンジしたい”という夢がどんどん湧き出ています」 大病をきっかけに心境の変化が生じたと語る俳優・田中健氏(66)は、2013年4月に急性膵炎で緊急入院した。急性膵炎は、膵液(膵臓の消化液)が漏れて自らの臓器を消化してしまう病気。「深夜に胃に激痛が走り、眠ることもできなかった。台所の流し台にしがみついて救急車を待ちましたが、その先の記憶がありません」 そのまま緊急入院するも、臓器の負担を減らすための食事制限が中心で、治療薬はない。「最初の3日間は絶飲絶食。その後も油を1日3グラムしか使わない食事で、味気なくてね。私自身、グルメ番組で脂っこい料理を『おいしいですねえ』とオーバーに食していたけど、病気で食べられない人もいるのだと反省しました(笑い)」 2作品のドラマ撮影を控えていた田中氏は、主治医に職場復帰を懇願したが、「今戻ったら死にます」と止められた。「自分の体より、仕事に穴を開けて多くの人に迷惑をかけたことがこたえました。予定より早く退院して3週間で現場に戻った時は“やっと帰ってきた”と安堵しました」 健康の大切さを思い知った田中氏は、好きなことを続けるために自分を変えた。退院後は外食を減らして菜食中心に切り替えた。酒量も減らした。その代わりに人生の楽しみとして南米に起源を持つ縦笛・ケーナの演奏に熱中する。「病気前より格段に練習時間がとれるようになり、今は楽しくて仕方ない。夜中に代々木公園や多摩川まで車を飛ばして演奏しています。おかげで1700人収容のホールでコンサートができたり、世界が広がりました」 本業の役者でも来年1月の舞台に向けて、常に体調に気を配っている。「酒を飲まなくなった分、以前よりも楽器と演技に向き合えるようになった。忙しい毎日ですが、“これを乗り越えたら新しい何かが見える”と思えるようになったのは病気のおかげです」●たなか・けん/俳優、ケーナ奏者。1951年福岡県生まれ。代表作に、テレビドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)があり、テレビ・映画・舞台と幅広く活躍。1990年からケーナ奏者としても活動し、ライブ活動を続ける。※週刊ポスト2017年10月13・20日号
2017.10.15 07:00
週刊ポスト
岡田奈々、アイドル時代は「ハワイ日帰り撮影もありました」
岡田奈々、アイドル時代は「ハワイ日帰り撮影もありました」
「俺達の青春のアイドル」岡田奈々(57)。その軌跡を本人の証言とともに振り返る。 山口百恵や桜田淳子の人気が爆発し、アイドルブームが巻き起こっていた1974年、岐阜市内の女子高に通う岡田は通学路にあったレコード店でスカウトされた。「新人歌手の方がキャンペーンで来ていて、その事務所の方に声を掛けられました。最初は、全く知らない世界への不安もあり戸惑っていたのですが、とりあえず東京に芸能界見学に行くことになったんです。そこでドラマの撮影現場や、渋谷公会堂で生放送していた『紅白歌のベストテン』で山口百恵さんが歌っている姿を見せていただいたりしているうちに、徐々に興味を持つようになりました」(岡田・以下「」内同) そして上京。1975年、“花の微笑み”というキャッチフレーズを引っ提げて『ひとりごと』で歌手デビューし、FNS音楽祭の優秀新人賞を獲得。毎週のように雑誌のグラビアや表紙を飾り、同年に日本雑誌協会選出の『ゴールデン・アロー賞』のグラフ賞も受賞した。当時、グラビアを飾ったビキニ写真について、こう振り返る。「当時は撮影が多く、ハワイに日帰りで行くこともありました。学生時代に水泳部だったので水着に抵抗はありませんでしたね。むしろ、いろんな種類の水着を着られて嬉しかった。子供だったんです」 1975~1976年の大ヒット青春ドラマ『俺たちの旅』で演じた、田中健の妹役も岡田の人気を後押しした。ツインテールと大きな瞳が生む無邪気で愛くるしい表情が若者を魅了し、劇中歌となった『青春の坂道』もヒット。順風満帆な芸能生活を歩んでいるように見えたが、20歳を迎えた1979年に「今後は女優一本で行きます」と宣言した。「歌は本当に大好きで、特に松本隆さんの歌詞が好きでした。今の季節だと『冬便り』とか。だけど次第に大人の内容の歌詞を歌うように求められていき、自分自身とギャップが出てきて、歌いこなせないと感じたんです」 歌を断ったことで、女優に懸ける思いが増した。岡田自身が忘れられない作品として挙げるのが、1982年公開の映画『あゝ野麦峠 新緑篇』。立ち居振る舞いだけで製糸工場の女工に見えることが要求される厳しい撮影現場だった。「山本薩夫監督に『繭の匂いがするようにしてこいよ!』と怒鳴られ、あえて衣装を洗わず臭いままで撮影しました。工場での過酷な労働を再現するため、竹刀で体を叩かれたり、冬に浴衣1枚で水を掛けられたりしました。すごくいい経験だったと思います」 一皮剥けた岡田は1980年代、『スクール☆ウォーズ』『乳姉妹』など大映ドラマの看板女優として確固たる地位を築く。50代になった今も美貌は衰えず、一昨年の映画『恋』では40年ぶりに主演を務めるなど人気が再燃している。「これからは、等身大の女性をもっと演じていきたいですね。歌ですか? 数年前、友達と2人で熱海の旅館に泊まった時、大広間にあったカラオケで自分の曲を大きな声で歌ったんですよ。そしたら翌日、女将さんに『奈々ちゃんの曲、全部知っているよ』といわれて。聴かれていたと思うと、恥ずかしい……。そんな感じですから、テレビではなおさら歌えないですね(笑い)」◆岡田奈々(おかだ・なな):1959年生まれ、岐阜県出身。1974年にオーディション番組『あなたをスターに!』の第2回チャンピオンになり、翌1975年に『ひとりごと』で歌手デビュー。グリコのアーモンドチョコレートやポッキーのCMにも出演して人気アイドルとして活躍。20歳を過ぎて女優業に本腰を入れ、『戦国自衛隊』『あゝ野麦峠 新緑篇』『塀の中のプレイ・ボール』などの映画、ドラマなどに多数出演。2014年の映画『恋』は大きな話題を呼び、2016年に『海すずめ』が公開された。撮影■渡辺達生※週刊ポスト2017年1月1・6日号
2017.01.04 07:00
週刊ポスト
ジャニーズWEST小瀧望 初舞台の12才白人少年役に「マジか」
ジャニーズWEST小瀧望 初舞台の12才白人少年役に「マジか」
 ジャニーズ事務所の仲間のいる舞台は数多く出演しているが、今回は初の単独初舞台『MORSE-モールス-』(12月6日まで東京・グローブ座、12月9日~13日まで大阪・シアターBRAVA!)に挑んでいる、ジャニーズWESTの小瀧望(19才)。「このお話をいただいたとき、マジか…ってビックリしました。外部舞台も初めてなのに主演って。企画書を読んでさらにビックリ! 19才のおれが12才の白人の少年を演じるって。身長184cmあるんで、キャスティングミスじゃない? って思いました(笑い)」(小瀧・以下「」内同) ジャニーズWESTのメンバーたちと出演することが多かったが、今回はソロ出演だ。「最初は不安もあったんですが、いまはソロ活動を楽しめるようになりました。メンバーと同じことをずっと一緒にやっていても成長はできないと思うんです。同じような技量で同じような年頃のぼくらが7人でやっても爆発的な成長は期待できないなって。今回、田中健さんや高橋由美子さんという世代の違う俳優さんと共演させていただいて、毎日刺激をいただいています」 と、座長ではあるが、諸先輩方を慕って舞台作りをしている姿がうかがえる。「座長ってご飯とかカンパニーの人たちに奢るって聞くじゃないですか。だからぼくも一度経験させていただきました。本番の前日7人くらいに中華を奢っちゃいました」 そんなプチ自慢のついでに…。「Jr.の後輩たちにもたまに奢りますよ。関西ジャニーズJr.の子たちは今年2回くらい食事に連れて行きました」 と。ついこの間までJr.だったとは思えない成長ぶりを感じさせるオトコに、気がつくとなっていた。 12月9日にはジャニーズWESTとして2枚目のアルバム『ラッキィィィィィィィ7』 が発売される。「去年テッペンとったる! って宣言したけど、いまは4合目くらいかな? まだまだ目標はあるけど、まずはアリーナツアーを成功させて、いつか5大ドームツアーできて、ドームを満員にすることができてはじめてテッペンとれたと思えるのかな」 次のステージへの野望を抱く。※女性セブン2015年12月10日号
2015.12.01 16:00
女性セブン
テレ東深夜の『給与明細』 潜入取材で有名グラドル危機一髪
テレ東深夜の『給与明細』 潜入取材で有名グラドル危機一髪
 取材現場は毎回、トラブルの連続だった──。テレビ東京で、2001~2008年に放送された深夜番組『給与明細』(2014年には続編も放送)。テリー伊藤氏が企画・監修を務めた同番組の人気企画が、新聞の三行広告や怪しい求人雑誌の広告を検証するシリーズだ。同番組のディレクターだった、制作会社「ロコモーション」の田中健氏が語る。「最初は夕刊紙の広告って怪しくて面白いよね、という話から始まったんです。スタッフで広告欄を見ていたら男性向けの求人で“がっちり系求む”とだけしか書いてないものがあった。その面接に、若いスタッフにカメラを持たせて行かせた。 結果は男性が絡み合うビデオの出演者募集。面接で“君の身体が見たい”といわれスッポンポンにされちゃった。怯えて帰ってきましたよ。彼には悪いことをしましたが、その映像が本当に刺激的だった(笑い)」 収録はガチンコのドキュメンタリー。「怖くなったらすぐ帰れ」が合言葉だった。しかも潜入調査員は駆け出しの女性タレント。スタッフは近くに停めた車で待機し、ワイヤレスマイクの音声だけを聞いてトラブルに備えていた。調査員はトイレで隠しカメラのテープチェンジをしていたそうだ。「当時の三行広告では、『高級会員制レディー』は愛人、『個室サロン』はソープランドなど、隠語が多く、広告を見ただけでは職種がわからず大変でした」 田中氏が数ある取材のなかでも強く印象に残っていると話すのが、ブレイク前のMEGUMIが潜入取材に挑んだ「パーツモデル募集」の広告だ。実は後日わかったことだが、これは面接に来た女性をいいくるめ、アダルトビデオの撮影に持ち込むことだったという。 最初は足だけの撮影の約束だったが、「それだけじゃお金にならないでしょ? 胸は見せられない?」などと面接官の要求がエスカレート。しまいにキレたMEGUMIは「ちょっとすいません、今日はもう」といって、面接を中断して部屋を飛び出した。「面接のやり取りは非常にスリリングで、2週にわたって放送しました。MEGUMIさんが気の強い人だったから途中退出できましたが、危ない面接でした。彼女はよほど悔しかったのか、その後はあまり出演してくれませんでしたが……」 お蔵入りしそうになった収録や、取材相手からの抗議は日常茶飯事。「番組で内実を暴露された闇金業者から、“数百万円の被害が出た”とクレームが入ったこともありました。本当にヒリヒリするような取材ばかり。いまでは放送するのは難しいでしょうね」※週刊ポスト2015年11月13日号
2015.11.04 16:00
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