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【PL学園】に関するニュースを集めたページです。

古豪・県立上尾高校 埼玉野球の父が去り遠くなった甲子園
古豪・県立上尾高校 埼玉野球の父が去り遠くなった甲子園
「埼玉野球の父」と呼ばれた男がいる。県立上尾高校の監督として、春夏6回の出場を果たした野本喜一郎だ。1975年夏の甲子園では、原貢監督と辰徳の親子鷹で注目を集めた東海大相模を下し、ベスト4に進出した。 しかし、野本は1984年4月に上尾の監督を退任し、創立間もない浦和学院の監督に転身。上尾は同年夏こそ選手権大会に出場したものの、その後は一度も聖地を踏んでいない。 野本就任の2年後、浦和学院は埼玉を制し、甲子園初出場を決めた。だがベンチに指揮官の姿はなかった。夏を前に体調が悪化し、1986年8月8日、野本は上尾市内の病院で死去(死因はすい臓出血、享年64)。くしくも甲子園の開会式が行われた日だった。当時、浦和学院の2年生だった鈴木健(元西武ほか)が振り返る。「体罰が当たり前にあった時代に珍しく、野本さんの指導は優しかった。僕は怒られたことがない。野本さんは元プロ野球選手(西鉄ライオンズほか)ですから、効率を考えた練習メニューで、指導も理論的だった」 今夏、上尾は北埼玉大会決勝に駒を進めるも花咲徳栄に敗れ、34年ぶりの甲子園出場は叶わなかった。一方、浦和学院は圧倒的な打力で南埼玉大会を制し5年ぶりの出場。明暗を分ける結果となった。(文中敬称略)●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者)※週刊ポスト2018年8月10日号
2018.08.04 07:00
週刊ポスト
享栄野球部、愛知の私学四強から脱落危機で禁断の強化策
享栄野球部、愛知の私学四強から脱落危機で禁断の強化策
 昨秋、カナダで開催されたU-18W杯で野球日本代表のコーチを務めた大藤敏行に、現場復帰の意志を訊ねたことがあった。「近々、発表できると思います」 帰国直後のニュースには驚かされた。全国最多11度の甲子園制覇を誇る中京大中京(以下、中京)の監督を2010年まで務めた彼が、愛知県内のライバル・享栄に転任し、2018年秋から監督になるというのだ。享栄は春が2000年、夏は1995年を最後に甲子園から遠ざかり、中京、東邦、愛工大名電との愛知私学四強の座も危うくなっていた。 とはいえ、いわば禁断の移籍だ。プロ野球でいえば巨人の元監督が阪神の指揮を執るようなもの。悩んだ末の決断だった。「やはり、もう一度野球を教えたかった。退任後、朝日放送の野球解説で、甲子園を初めて訪れた日、グラウンドを見渡すと涙が出て来ちゃったんです。甲子園は野球をしに来るところだと痛感しました」 中京の監督に就任したのは28歳の時だった。同校の戦績が落ち込んだ時期で、愛知大会に負けた直後のOB会では厳しい批判が飛んだ。だが、2009年に堂林翔太(広島)らを擁して夏の日本一となって溜飲を下げた。監督の座を教え子に譲ってからは、中京大学野球部の監督就任の依頼もあったが、断っていた。 そして昨年5月、享栄監督の柴垣旭延(しばがき・あきのぶ)から直接、監督就任を依頼された。「私自身の甲子園経験を買って下さったのでしょう。享栄と何度も戦ってきて、18年も甲子園に行っていないのか、というのが本音です。現在は中京に県内の有望選手が一番に集まり、東邦も藤嶋健人(中日)の活躍で人気。名電は寮があるので、県外選手も獲りやすい。ただ、享栄も中京の8割ぐらいの戦力は揃っている。スポーツクラスでは、火・水曜日は14時から練習がスタートし、遅い時だと22時まで練習をやれる。練習量で3校に挑みたい」 3億円をかけたという屋内施設も完成し、期待の1年生もいる。監督就任は秋からだが、練習メニューなどは既に大藤色が取り入れられ、その効果は早くもこの夏に現れた。西愛知大会では準決勝で敗退。古豪復活の報せが全国に届く日は近いかもしれない。(文中敬称略)●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者) ●撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2018年8月10日号
2018.08.03 07:00
週刊ポスト
真夏の甲子園を制するのはどの高校か
高校野球名将・木内氏の哲学「勝たなきゃ面白くなかっぺよ」
 監督の“移籍”によって、甲子園から消えてしまった名門校がある。木内幸男が率いて6度の甲子園出場を誇った取手二高だ。1984年夏には2年生のKKコンビ(桑田真澄、清原和博)がいたPL学園を破って、茨城県に初めて優勝旗を持ち帰った。木内は直後、常総学院の監督に就任。送りバントなどの定石に縛られない“木内マジック”で名将の仲間入りを果たす。 87歳となった木内を訪ねると、1984年の快挙について「奇跡的なことでした」と振り返った。 木内の就任当時、女学校を前身とする取手二高は、幅60メートル、奥行き100メートルと歪なグラウンドで練習する恵まれない環境だった。1984年の優勝時には改修済みだったが、後に同校を訪れた桑田には、「このグラウンドから優勝校が出るんですか!?」と驚かれたという。木内は「あんなことは現代では起こり得ないでしょう」と続けた。「監督と子どもたちが肩を組んで頑張れば甲子園に行ける時代じゃなくなった。関西から選手を集めてくれば、どんな学校でも勝ててしまう。茨城も、明秀学園日立が近畿から選手を集め始めたことで野球が変わった」 全国的に私立優位の状況がある。昨年までに私立の甲子園出場がない県は徳島だけだ。「公立は選手も集められないし、欲しい選手に試験を受けてもらっても、点数が足りなければ落っこちる。昔は入ってきた子を鍛え上げれば、全国の強豪が相手でも戦えたけど、いまは名門に行く選手は素材からして違う。だから部活動のできる2年半じゃ追いつけないんですよ」 私立全盛時代を見越したかのように、木内は私立常総学院の監督となり、80歳まで監督業を続けた。茨城出身の選手を揃え、2003年にはダルビッシュ有を擁する東北を破って2度目の夏日本一を達成。通算勝利数は40を数える。「オレは野球を通じて人を作ってきたつもり。選手には『勝たなきゃ面白くなかっペよ』と言い続けてきた。茨城の子しか預かったことがないからよかったけど、県外の選手なら茨城弁が通用しねえからダメだったっぺ」 栄光を収めた写真や県民栄誉賞の賞状に囲まれた自宅のリビングで、米寿を目前としても木内節は現役だった。(文中敬称略)●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者)※週刊ポスト2018年8月10日号
2018.08.02 07:00
週刊ポスト
沖縄水産が甲子園から遠ざかり20年、「再建」に動き出す
沖縄水産が甲子園から遠ざかり20年、「再建」に動き出す
 沖縄の夏は、全国のどこよりも早く開幕する。今年、胸に「沖水」の大きな二文字が入った伝統のユニフォームを着た沖縄水産(以下、沖水)の3年生は、6月24日の県大会初戦(対沖縄尚学)で早々に敗退した。 沖水といえば、名将・栽弘義だ。豊見城高校を率いて甲子園に春夏6回出場し、1980年に沖水に移ると1990年、1991年と、2年連続で夏の甲子園決勝に進出した。 当時の主将で、現在はコーチを務める屋良景太が振り返る。「練習中も緊張感に包まれ、絶対に気が抜けなかった。怒られる時は、『おーい』と独特のトーンで声をかけられる。それが耳に残っています」 だが、沖縄県勢初となる深紅の大優勝旗には届かなかった。新垣渚(元ソフトバンクほか)を擁した1998年夏を最後に、20年も甲子園から遠ざかる。2007年にカリスマ監督が亡くなって以降、沖水の弱体化は進んだ。 現監督の上原忠が赴任した2016年、沖水の野球部員は20人。外野の雑草は伸び放題で、部にあるボールはわずか数十個。名門の面影はなかった。上原は沖水OBではないが、栽と同じ糸満市出身で親交は深かった。「近所のおじちゃんが、豊見城を率いて甲子園に出場する姿に憧れ、私も高校野球の指導者になった。ずっと可愛がってもらいました。ですから沖水の復活が私の使命です」 沖水が甲子園から遠ざかっている間に、1999年に沖縄尚学がセンバツを制し、2010年には興南が春夏連覇を達成した。「栽監督は根っからの負けず嫌い。悔しがっているでしょう」 そう語る上原が監督に就任して以降、練習環境を整備。現在は1991年準優勝時のメンバー3人がコーチを務め、スカウティングにも力を入れる。「右のエース(国吉吹)は、私が久米島から連れてきた選手で、身体能力が高い。ターザンみたいな子なんです(笑)」 新チームは沖縄尚学、興南という二強とも伍する戦力だと自信を持つ。沖水は来春の甲子園帰還を狙っている。(文中敬称略)●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者) ●撮影/黒田史夫※週刊ポスト2018年8月10日号
2018.08.01 07:00
週刊ポスト
PL学園野球部廃部から2年、OB・立浪和義氏の今の思い
PL学園野球部廃部から2年、OB・立浪和義氏の今の思い
 全国屈指の激戦区といわれた大阪では、1960年代から1980年代にかけて、私学七強がその覇を競い合う戦国時代があった。 興国、明星、浪商(現・大体大浪商)、近大附属、北陽(現・関大北陽)、大鉄(現・阪南大高)。そして、全国制覇7度を誇るPL学園──。 かつて甲子園を沸かせたいずれの私立も、甲子園から遠のいて久しい(2008年夏の近大附が最後)。没落した七強の象徴が、2年前に野球部が消滅してしまったPL学園だろう。「僕らの時代は甲子園を勝ち抜くことよりも、大阪を勝ち上がることの方が難しかった」 そう語るのは、中日ドラゴンズで活躍した立浪和義だ。1978年に“逆転のPL”で初めて夏の全国制覇を果たし、2学年上にあたるKK(桑田真澄、清原和博)が甲子園に連続出場していた当時、PLは黄金期を迎えていた。一度は大商大堺への進学を決めていた立浪は、高校受験の土壇場で、どこより生存競争の厳しいPLに進路を変更した。「当時、PLには選ばれた選手しか入れなかった。そのPLに声をかけてもらったのだから、行くしかないな、と。僕らは桑田さん、清原さんらのチームと比較されていましたから、負けられないというプレッシャーは常にありました」 立浪が主将となった1987年、PL学園は春夏連覇を達成する。野村弘(弘樹に改名)や橋本清ら、3人の投手を惜しみなく投入し、圧倒的な戦力で日本一を達成した。複数投手制を敷いた戦いぶりは、現代野球の先駆けといえる。 その後、KKや立浪、福留孝介らがプロで活躍する一方、PL学園の母体であるPL教団は、野球部の後ろ盾でもあった2代教祖・御木徳近(1982年逝去)という求心力を失い、それに伴う信者の減少によって、野球部への支援は以前より減ってしまう。 2000年代に入ると、度重なる不祥事の発覚によって、PL野球の背景にある理不尽な先輩・後輩の関係、暴力体質が明るみに出て、信頼は失墜した。全国の球児のPLに対する憧れが、1990年代以降に台頭してきた大阪桐蔭や履正社に移っていく。「厳しい上下関係はPLだけでなく、どこの学校にも、どんな部活動にも少なからずあったと思うんです。行きすぎた行為は許されませんが、スポーツの厳しさの中から学ぶことはある。最近は厳しい指導がやりにくい世の中になった。スポーツって、根気よく練習しないとうまくならないじゃないですか。それと一緒で、先輩・後輩の厳しさの中から我慢を覚えることで、社会に出た時、理不尽なことに遭遇しても、耐えられる人間を育めると思うんです」 2013年にも、3年生の2年生に対する暴力事件が発覚し、6か月もの対外試合禁止処分が下る。事件当時、PL学園の2年生だったのが、今秋のドラフト上位候補である中川圭太(東洋大4年・主将)だ。彼自身はレギュラーとして試合に出場していた。当時をこう振り返る。「PLのユニフォームを着て野球がしたい、甲子園に出たいという気持ちで入学したのに、ユニフォームを着られない悔しさはあったし、何のためにここに来たのか、という思いは抱えていました。6か月は長かった」 最後の夏を経験できなかった先輩は引退し、中川が主将となってスタートした新チームの監督には、野球経験のない当時の校長が据えられた。この頃から教団は、廃部へ舵を切っていた。 最後の夏、中川はセカンドを守りながら守備隊形を指示し、攻撃時はサインを出していた。チームは大阪大会の決勝まで進出し、大阪桐蔭と対戦した。「実質、監督がいない中で、自分が監督の役割を担うことで、野球そのものを学べた。甲子園には出場できませんでしたが、僕はPLの野球部で良かったと思うし、だからこそ今も野球を続けられているんだと思います。目標とするプロに遠回りしたとは思っていません」 これまで81人のプロ野球選手を輩出したPL学園だが、立浪は「現役選手がいなくなっていくのが寂しい」と吐露し、PLの名が忘れられてしまうことを危惧していた。この秋、“82人目”は誕生するだろうか。(文中敬称略)●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者)※週刊ポスト2018年8月10日号
2018.07.31 07:00
週刊ポスト
大阪桐蔭 入学前から「背番号2」をめぐる正捕手争いも
大阪桐蔭 入学前から「背番号2」をめぐる正捕手争いも
 夏の甲子園出場をかけ、全国の球児たちが連日、地方予選で熱戦を繰り広げている。その最中、甲子園の「常連校」は既に、今年だけでなく、来年、再来年、そして3年後の甲子園を見据えた“もうひとつの戦い”を水面下で進めている。強豪校が将来有望な中学生選手を“一本釣り”すべく動く現場を『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者でノンフィクションライターの柳川悠二氏が追った──。 * * * 6月20日に発表された今年のU-15侍ジャパン代表選手の顔ぶれは驚きだった。それぞれの会場で筆者が目を付けた中学生球児がことごとく選出されていたのだ。ことさら慧眼ぶりをアピールしたいわけではない。突出した力を持つ選手というのは、よりレベルの高い競争現場でこそ才能が輝き、素人目にも非凡な異才に映る。 特に目を奪われたのは、滋賀・湖南ボーイズの樋上颯太投手だ。 関西ボーイズ最強右腕とも賞される樋上投手の球速はMAX143キロ。真上から振り下ろすストレートに重厚感があり、ブルペンで受けた坂玲哉捕手のミットからは破裂音が響いていた。 その坂捕手は鉄砲肩に加え、一発の魅力を持つ右のスラッガー。シート打撃ではデッドボールを受けたが、まるで痛がる素振りを見せなかった。筋力だけでなく、身体の芯が強いのだろう。 所属の湖南ボーイズでは、昨冬に甲子園球場で開催されたタイガースカップに出場するも、初戦で敗退した。樋上投手は、「高校でも甲子園に行きたい。タイガースカップでの借りが残っているんで」と話し、坂捕手と同じ高校に進学したいという野望を打ち明けた。 ブルペンでのふたりを熱心に見つめていたのが、大阪桐蔭の石田寿也コーチだった。勧誘の意志を訊ねると、「来てくれると嬉しいですね」と煙に巻かれてしまう。 関西トライアウトが終わり、帰路に就く湖南ボーイズバッテリーの後を追うように、迎えの車に向かっていたのが、前田健太(現ドジャース)を輩出した忠岡ボーイズ(大阪)の池田陵真捕手だった。169センチと小柄ながら、ティーバッティングで鋭い打球を打ち込んでいた。「スイングスピードと広角に強い打球を飛ばせることがウリだと思っています」 やけに受け答えがしっかりした池田捕手は、所属チームと同様に侍ジャパンでも主将に選ばれた。吸い込まれるような大きな瞳の力が印象的だった。「小学生の時にオリックスジュニアの選考会に行って受かって、中1の時にはカル・リプケン世界少年野球大会の選考会にも参加し、世界一になって帰って来た。そういう意味では、場慣れしていると思います」 彼らの気になる進路はというと──返答には苦笑いするしかなかった。関西会場で出色のプレーを見せていた三者が、そろいもそろって大阪桐蔭に進学予定というのだ。 坂捕手と池田捕手は同ポジション。大阪桐蔭では、背番号を巡る日本一の競争が待つが、入学以前から3年後に向けた正捕手争いは始まっている。※週刊ポスト2018年8月3日号
2018.07.30 07:00
週刊ポスト
甲子園常連校の囲い込み勧誘批判 大阪桐蔭・西谷監督の反論
甲子園常連校の囲い込み勧誘批判 大阪桐蔭・西谷監督の反論
 夏の甲子園出場をかけ、全国の球児たちが連日、地方予選で熱戦を繰り広げている。その最中、甲子園の「常連校」は既に、今年だけでなく、来年、再来年、そして3年後の甲子園を見据えた“もうひとつの戦い”を水面下で進めている。強豪校が将来有望な中学生選手を“一本釣り”すべく動く現場を『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者でノンフィクションライターの柳川悠二氏が追った──。 * * * U-15侍ジャパンのトライアウト九州会場には、横浜高校の参謀として甲子園通算51勝の渡辺元智元監督を支え、松坂大輔(現・中日)らを育て上げた小倉清一郎氏の姿があった。 現在の小倉氏は全国の高校を巡り、球児の指導にあたっている。今回も、臨時コーチを務める熊本・城北の監督と共に来場していた。 甲子園に春夏通算7度出場している城北も、昨今は秀岳館や九州学院、伝統校の熊本工業の後塵を拝している。巻き返しをはからんとする城北の監督は、選手への指導のみならず、勧誘においても、名伯楽を頼ったのである。「ろくなヤツはいねえな」 小倉氏の口の悪さは相変わらずだ。しかし、突如として目を見開いたのが、シート打撃のマウンドに左腕の金井慎之介投手が上がった時だった。とにかくフォームが美しく精度の高いコントロールが際立っていた。「腕の振りがいい。松井(裕樹、楽天)ほどではないが、スライダーもキレる。モノになるかもしれねえな」 金井投手の所属チームは東京城南ボーイズで、指導者は横浜高校出身。金井投手も同校への進学を予定しているという。 小倉氏や渡辺氏が退任して日が経ち、新たな時代を迎えている横浜だが、同校の現在の関係者と小倉氏が目を付けた才能が合致したことはなんとも興味深い。 もうひとり、小倉氏が「投げっぷりが良い」と評価したのが、165センチの秋山恭平投手。所属する筑後サザンホークスの練習場が福岡ソフトバンクの2軍球場に近く、既に同球団の関係者もこの小さな巨人の視察に訪れているという。 彼に関しては、明徳義塾の馬淵史郎監督もご執心という噂が入っていた。しかし、明徳義塾は来年、付属中学の軟式野球部から、143キロ右腕が入部予定のはず。その情報は秋山投手の耳にも入っているだろう。「まだ進学先は決めていないんですけど、左ピッチャーを育てるのが上手な学校に行きたい。鹿児島の樟南とか、広島新庄とか……」 単に“名門校の看板”があれば欲しい選手が集まるというわけでもない。◆中3に「非情な通告」も 関西会場には、この夏こそ石川大会の初戦で敗れたものの、急速に強化を進めて強豪となった日本航空石川・上田耕平コーチも来場していた。目的は、他の学校関係者とは少し異なる。「石川だと、歴史のある星稜さんが人気で、県内の中学生の目はどうしてもそちらを向く。星稜さんの付属中学には強豪の軟式野球部があって、そこからも入部してくる。星稜さんとは異なる選手獲得のルートを開拓すべく、ここに来ました」 しかし、続けてこう嘆息した。「トライアウトに参加するような選手たちは現時点(5月)で既に進路が決まっているか、何校かに絞っているような状況ですね。そこに割って入るというのはなかなか難しい」 大阪桐蔭、横浜、浦和学院、中京大中京や東邦など、甲子園の常連校は、侍ジャパンに入るような逸材に早くから目をつけ、彼らが侍戦士となる頃には既に“一本釣り”に成功している。 全国からプロ予備軍のような選手が集まる大阪桐蔭について、「あれだけの戦力があれば私でも勝てる」と嘯いたのは明徳義塾・馬淵監督であるが、こうした中学生の早い段階から選手を囲い込むような勧誘に批判の目を向ける高校野球関係者は少なくない。 2年前、かつてU-15侍ジャパンのエース格だった高校1年生に話を聞く機会があった。彼は大阪桐蔭の西谷浩一監督から、「4番・一塁で起用したい」と勧誘されたという。投手として甲子園を目指したかった彼は、全国の中学球児がうらやむ西谷監督の誘いを断り、別の強豪私学に入学した。 無限大の可能性が広がっている球児に対し、活躍の場を限定するような勧誘は、まるでプロ野球のようで、私には球児を冒涜するようなスカウティングに思えてならなかった。それを西谷監督にぶつけると、強い口調でこう返された。「将来プロを目指すなら野手としての方が伸びしろがあると思い、投手をやりながら野手もやらないかと誘ったのが真実です。僕自身、投手としての力は根尾昂や柿木蓮の方が上だと思っていた。子どもたちに対して、嘘はつきたくないんです」 その選手は、3年生となった現在、目立った投手成績は残せておらず、甲子園出場も果たせていない。現時点での結果だけを見れば、西谷監督の見立ては正しかったことになる。 大阪桐蔭からプロ野球の世界に飛び込んだ選手たちは、高い確率で若い段階から活躍するのも事実だ。 能力の高い中学生の球児にとっては、その実績が魅力となり、大阪桐蔭への入学を希望する。結果、さらに選手が集めやすくなる。 こうして常勝軍団は作られるのである。2007年夏、甲子園に旋風を巻き起こした県立佐賀北のように、地元出身選手たちの活躍で公立校が日本一を達成する日は、しばらく訪れないだろう。※週刊ポスト2018年8月3日号
2018.07.26 07:00
週刊ポスト
野球強豪校関係者が集う有望選手の“見本市”に蠢く思惑
野球強豪校関係者が集う有望選手の“見本市”に蠢く思惑
 100回目となる夏の甲子園に向けた地方予選の真っ直中にあって、鮮烈なデビューを飾った1年生の怪物たちがいる。 元プロ野球選手を父に持ち、横浜高校で正二塁手の座を勝ち取った度会隆輝(わたらい・りゅうき)。主将のケガによって、急遽スタメンマスクをかぶった奈良・智弁学園の佐藤尊将に、南福岡大会で快投を見せた福大大濠の左腕・深浦幹也。そして、春夏連覇を目論む大阪桐蔭の“最強世代”に、1年生としてただひとり割って入った138キロ右腕・仲三河優太──。 いずれも強豪校に突然現われた新星に映る。だが、チーム関係者にとっては1年以上前から重ねてきた努力の“成果”なのである。全国に名だたる名門校は、目の前の地方大会を戦うだけでなく、才能ある中学生に眼を光らせ、数年後を見据えたスカウティングに力を注ぐ。 先に挙げた4選手には共通した経歴がある。中学3年生だった昨年、U-15侍ジャパンのメンバーに選ばれ、アジアチャレンジマッチで優勝を果たしているのである。 日本国内に存在する、シニア、ボーイズ、ポニー、ヤングといった様々な中学硬式野球リーグの垣根を越えて、中学生年代の有望選手を全国から集結させたのがU-15侍ジャパンだ。他にも「代表」の名が付く選抜チームは存在するものの、逸材揃いという点ではこの侍戦士たちが群を抜く。 パナマで開催される「第4回WBSC U-15 W杯」(8月10~19日)に挑む今年は、5月に関東、関西、九州の3か所でトライアウトが実施された。20人の代表枠に対し、各地区から推薦された総勢約130人の選手が参加。実に競争倍率6.5倍の狭き門である。 各会場のバックネット裏には日大三の小倉全由監督をはじめ、大阪桐蔭の石田寿也コーチや強豪私立の関係者がズラリ。 石田コーチはスピードガンを手に参加投手の球速を計り、またある関係者はストップウォッチを使って一塁までの走塁タイムをメモしていた。さながら未来の甲子園球児の“見本市”である。全国制覇も達成した新興校の関係者が話す。「ここに来た目的は、どうしてもうちに欲しい選手がいるから。その選手は、中学2年生の時からマークしています。他の学校関係者も、狙う選手が異なるだけで、目的は同じではないか。おおっぴらにしたくないことなので、私がここに来ていることは内緒にしておいてください」 伝統校は独自のネットワークを持ち、OBが指導する硬式野球チームなどから有望選手の情報を集めている。トライアウトでは、既に目を付けていた選手の成長を見定めるだけでなく、新たな才能と出会ったら、チーム関係者を通じて“交渉”に入ってゆく。 当然、球児側にも思惑がある。トライアウトで目立つことができれば、強豪校が声をかけてくれるのである。そして保護者にも、願わくば入学金や授業料が免除となる「特待生」として入学できる条件の良い学校に──そんな皮算用がある。◆元プロ選手も熱視線 高校関係者の中には、三浦貴氏(元巨人、現浦和学院コーチ)や中谷仁氏(元阪神ほか、現智弁和歌山コーチ)といった元プロ野球選手の姿もあった。 関東トライアウトのスタート直前、三浦氏がU-15侍ジャパンの清水隆行監督と談笑していた。三浦氏にとって清水監督は浦和学院、東洋大学、巨人の先輩にあたる。元プロ野球選手が中学球児の指導やスカウティングに奔走する。中学野球も新たな時代を迎えている。三浦氏は言う。「(浦学の)今のチーム状況や、欠けているポジションなどを踏まえて視察しています。基本的な能力を見ていますが、球が速いから有望選手、遅いからダメな選手というわけではない。ここでの結果だけで判断することはなく、気になる選手がいたら、所属チームに帰ったあとの試合をチェックするようにしています」 昨春に母校・智弁和歌山のコーチに就任した中谷氏は、練習試合の合間を縫って、関西会場を訪れていた。「中学硬式野球のレベルを確かめたくて来ました。嘘やろ、と思うぐらいにレベルが高いですね。僕自身は中学校の軟式野球部出身。智弁和歌山にも軟式野球の選手が入部してくる。軟式の選手の実力を推し量る上で、関西の硬式野球の実状を把握しておきたいんです。野球を頑張って、甲子園に行って、将来はプロになる。プロにはなれなくても、大学に行けたり、優良企業に就職できる。僕自身が野球で親孝行できたので、そういうモデルケースを提示できたら……」 その日のトライアウトには、レーザービームのような二塁送球で高校関係者をうならせた坂玲哉捕手(滋賀・湖南ボーイズ)が参加していた。ある関係者が携帯電話のアプリを使って、捕球後の二塁送球タイムを計測すると、1.85秒というプロレベルのタイムを叩き出したという。現役時代、捕手だった中谷氏の目にはどう映ったか。「ああいう子が、大阪桐蔭に行くんやろうな、と思いながら見ていました(笑)」 お好みの選手をライバル校に奪われやしないか、関係者同士による腹の探り合いが随所に垣間見えた。●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者)※週刊ポスト2018年8月3日号
2018.07.23 07:00
週刊ポスト
中学生の頃の島野愛友利選手(2018年撮影、写真/藤岡雅樹)
最速119km“神ピッチング” 14歳女子の「甲子園への思い」
  夏の甲子園に向けた地方大会が始まっている。さらに、来年以降の甲子園を目指す中学生球児たちも連日の練習に励んでいる。そうしたなかで、周りとは少し違った思いを持つ「女子中学生」がいる。中学生の硬式野球・ボーイズリーグ日本代表候補に名を連ねる中学3年生の島野愛友利さんだ。『永遠のPL学園』などの著書がある、ノンフィクションライター・柳川悠二氏が彼女の思いを聞いた。 * * * 坊主頭がほとんどのチームメイトの中にあって、ポニーテールに髪を結った少女の存在感は際立っていた。彼女の手には、所属先の大淀ボーイズ(大阪)の関係者から託された「1」番の背番号が握られていた。「ショートカットだと髪がくくれなくて、かえってピッチングの邪魔になる。それにボーイッシュすぎたら、男の子か女の子か分からなくなるじゃないですか。普段はふつうの女の子です(笑)」 4月に開催された中学硬式野球・ボーイズリーグの日本代表を選出するトライアウト。関西地区の各チームから推薦された選手の中に、ひとりだけ女子選手がいた。それが大淀ボーイズの中学3年生・島野愛友利さん(14歳)だった。 投手としての最速は119km。これだけでも男子と渡り合える球速だが、それ以上に女子特有の柔軟性をいかし、低い重心から鋭く腕を振り抜く投球フォームが目に留まった。稲村亜美の“神スイング”ならぬ“神ピッチング”。「力ではなく、男子にはない柔軟性を生かしたキレのあるストレートで勝負したい。低い重心から、できるだけ打者に近づいてボールをリリースする。ボールの回転数は意識しています」 島野さんの5歳上の兄は大阪桐蔭に進学して甲子園出場を果たし、1歳上の兄もまた大阪の強豪・履正社に今春、入学した。兄の応援で行った甲子園は、球児なら誰もが憧れる場所。あの聖地に立ってみたい。その思いは当然、少女に芽生えたはずだ。 しかし、現在の日本高等学校野球連盟の規約では、女子選手が高校男子の硬式野球部に入部することはできても、試合に出場することはできない。もし彼女が「甲子園を目指したい」と宣言すれば、大きく高野連を動かすことも可能ではないか──。突飛な提案ではあるが、それぐらいの逸材に思えてならなかった。島野さんに対し、率直にぶつけた。「もちろん、甲子園に立ちたいと思ったことはあります。自分の力がどこまで通用するのかも試してみたい。だけど、女の子だし……。どうやっても甲子園に行けないということは、野球を始めた頃からわかっていたような気がします。それに、いつかは男子に追い越される。今でも、芯でとらえられたらボールが飛びますし。努力してもどうにもならない部分はある」 島野さんが野球を始めたのは小学2年生の時。赤ちゃんの頃から、ふたりの兄の練習に連れられていた彼女が、自分もやりたいと思うのは自然の流れだった。「野球って、チーム戦なんですけど、個人が1試合の中で活躍できる場がたくさんある。自分が一番しっくりきたポジションが、ピッチャーでした」 女子の発育が早い小学生年代では、男子に混じって女子がレギュラーとして試合に出場することは珍しくない。しかし、女子に体格で追いつき、筋力で大きく上回る中学生年代に入ると、その数はぐっと少なくなる。まして、学校の部活動である軟式野球ではなく、硬式野球となればなおさらだろう。実際、大淀ボーイズで女子選手は彼女だけだ。「男子の中に入って、3年間やれる自信はなくて、正直、もっと早くに落ちこぼれると思っていましたし、実際に逃げ出したいと思ったこともある」 一時は女子野球のチームにも籍を置いた。しかし、女子だけの野球は彼女のレベルには物足りなかった。「一日の練習量が女子と男子とではまるで違う。一日で男子との差が開いてしまう気がした。自分がここにおっていいのかなと思って、辞めました。本当は土曜日とかに女の子の友だちとカラオケに行ったりしたいんですけど、明日のピッチングへの影響を考えると、控えちゃいますね」 男子選手を手玉にとる喜びはあるか──。そう問うと、島野さんはこの日一番の笑顔を見せた。「マウンドではあんまり、男子とか女子とか、考えていないです。普通に目の前のバッターを抑えたいということだけですね」 将来は女子プロ野球選手となり、マドンナジャパン(女子野球日本代表)の一員として世界の舞台に立ちたいという夢もある。「とにかく今は(シニア、ボーイズ、ヤングリーグなど中学硬式野球の団体の垣根を越えて日本一を決める)ジャイアンツカップにみんなで出場して、優勝することが目標です。まずは予選を勝ち抜きたい。ゆくゆくは女子野球を広められるような存在になりたい」 高校は全国に20校以上ある女子硬式野球部の中でも屈指の強豪である神戸弘陵に進学予定だ。◆取材・文/柳川悠二 撮影/藤岡雅樹
2018.07.08 07:00
NEWSポストセブン
明徳義塾と智弁和歌山監督、大阪桐蔭攻略に秘策アリ
明徳義塾と智弁和歌山監督、大阪桐蔭攻略に秘策アリ
 6月20日に発表された侍ジャパンU-18日本代表候補30人に、大阪桐蔭から選ばれたのは実に6人──。2年連続でセンバツの胴上げ投手になった根尾昂に、俊足、強打、強肩の外野手・藤原恭大。勝負強さとミート力が光る主将・中川卓也に、右の豪腕・柿木蓮。さらに右の大砲・山田健太に、捕手の小泉航平である。この全員が今秋のドラフト候補だ。 最強世代──。彼らが入学する直前、中学時代の日本代表歴やそれぞれの地元に残した逸話から、2018年に大阪桐蔭史上、最強のチームが完成し、甲子園を席巻すると私(ノンフィクションライター・柳川悠二)は予見した。 今春のセンバツでは2連覇を達成。100回を迎える選手権大会で春夏連覇を達成すれば、予見は現実のものとなる。大阪桐蔭が京都府内で関西(岡山)と練習試合を行っていた6月下旬。ド派手な本塁打が、まるで花火大会のフィナーレのように飛び交った。 藤原が左中間に満塁弾を叩き込めば、根尾は二塁打、三塁打、そして本塁打2本と、サイクル安打以上の大爆発。公式戦では控えの選手や、代打で出て来た下級生にもホームランが飛び出し5回までに計8本塁打、17点を奪った。ライバル校がうらやむ巨大戦力は、日本一熾烈な競争の中で育まれている。「あれだけの選手たちを預けてくれたなら、僕でも勝てますよ。しかし、ええ選手がおって勝つのは、ひとつも面白くない。力の落ちる選手たちを、練習と作戦と根性で、いかに勝たせるかが監督の仕事。甲子園で大阪桐蔭との対戦があるのなら、そりゃあ蹴手繰りをかましたろ、と思っています」 鼻息を荒くしてそう語るのは、高知・明徳義塾の監督・馬淵史郎だ。昨秋の明治神宮大会で初優勝した明徳は毎年、夏の大会前に智弁和歌山と定期戦を行っている。取材当日の明徳の監督室には、甲子園最多の通算68勝を誇る智弁和歌山監督・高嶋仁の姿もあった。智弁和歌山は今春のセンバツ決勝を含め、大阪桐蔭に5連敗中と、苦杯をなめ続けている。しかし、高嶋は夏に向けて「秘策がある」とも打ち明けていた。「秘策を対戦する前に話す監督がどこにおるか(笑)。センバツに続き、近畿大会も負けてしまいましたが、夏に勝てばいい。だって、近畿大会の優勝旗は安いもん。夏の甲子園の(100回大会で新調される)深紅の優勝旗は、1200万円ですから」 打倒・大阪桐蔭に燃える全国の強豪校による包囲網は、両校を中心に敷かれている。高校野球界に名だたるふたりの名将が、大阪桐蔭対策を語った。──智弁和歌山はセンバツ決勝、近畿大会決勝と、投手・根尾に抑えられた。高嶋:追い込んだあとの高めのボール球の使い方がうまい。力がある選手であればあるほど、「飛ばしてやろう」と思ってそのコースに手を出してしまうんですよ。根尾君の140kmを超えるボールだと、高校生の技術では打てません。ただ、見極めさえできれば、苦しめることは可能でしょう。馬淵:柿木君や横川(凱)君など、大阪桐蔭の投手陣は揃っていますが、現時点では根尾君が主戦でしょう。西谷(浩一・大阪桐蔭監督)君もそう考えている節がある。──大阪桐蔭の打線は、左の変則投手を苦にする印象がある。馬淵:左の変則や、右の下手投げで球持ちの長い投手を打ちあぐねていますね。振ってくる選手が多いだけに、序盤に得点が取れないと、焦りが生まれる。すると落ちるボール球に手を出し、空振りしてしまう。あの打線を抑えるなら、スピードボールじゃない。コントロールですよ。公式戦は神宮大会以降、無敗の大阪桐蔭ですが、意外と練習試合では負けている。穴はあります。高嶋:大阪桐蔭とは、うちのエースの平田(龍輝)が疲れのない状態で当たりたい。しかし、平田ひとりでは桐蔭打線は抑えられないでしょう。2番手、3番手を探しておるんですが……。──高嶋監督は昨秋の近畿大会で敗れた直後、春夏連覇を達成した1987年のPL学園に匹敵するチームと評した。高嶋:それはリップサービス。うちも欲しかった選手がたくさん大阪桐蔭に入っている。それが腹立たしい。馬淵:いつまでも大阪桐蔭の時代が続くとは思いません。チーム状況にはバイオリズムがあり、勝てない時期も必ず訪れる。僕は西谷君の太りすぎた身体のことを心配していますよ。いや、大阪桐蔭対策を考えるぐらいなら、西谷君が体調を崩すことを待った方が早いかも分からん。お菓子でも段ボールにどっさり入れて送りますかね(笑)。(文中敬称略)取材・文■柳川悠二 撮影■藤岡雅樹※週刊ポスト2018年7月13日号
2018.07.03 11:00
週刊ポスト
大阪桐蔭「史上最強」を支える育成システム チャンスは平等
大阪桐蔭「史上最強」を支える育成システム チャンスは平等
 今年も数々の名勝負が生まれたセンバツ高校野球。大阪桐蔭の春連覇の“原動力”となったのは、レギュラーとして奮闘する選手だけではない。むしろ、グラウンドに立つ機会が“少なかった”、あるいは“なかった”選手たちの存在が、絶対的な強さを支えていた。36年前の大阪・PL学園以来となるセンバツ連覇の快挙を成し遂げた大阪桐蔭について、『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』の著者であるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする(文中敬称略)。 * * * 道端晃大と左腕枠を争ってメンバー入りした森本昴佑は、中学時代は藤原恭大らとともに関西選抜に選ばれた経験を持つ。初戦となった伊万里(佐賀)戦の9回から起用され、公式戦初登板が甲子園のマウンドとなった。投球の度に帽子を飛ばす気迫の投球をみせたが、21世紀枠で出場した伊万里に長打を浴び、1失点してしまう。「ガチガチに緊張してしまった。帽子が飛んでしまうのは、身体が前に突っ込んでいる証拠なので、良くない傾向なんです」 だが、最終回に登板した花巻東戦では、自己最速に迫る141キロを記録した。「球威で押すタイプではあるので、むっちゃ嬉しかったですね(笑)。夏のメンバー争いも、負けるつもりはありません」 最近の高校野球はふた桁の番号を背負った選手がレギュラーとして出場することも珍しくないが、大阪桐蔭の場合は、背番号がそのままチーム内の序列を表す。 秋までふた桁の番号を背負っていた一塁手の石川瑞貴は、同ポジションのライバル・井阪太一から「3」を奪い取ってセンバツを迎えた。「秋はベンチにいて、正直、悔しい思いをした。明治神宮大会が終わったあと、メンバー争いもゼロからの状態で再スタートしたんです。これはチャンスだと思って前向きに取り組みました」 そんな元ボーイズジャパンの4番も、大阪桐蔭の最強世代の中では7番に回る。◆“B戦”では個人プレーに走る 一方、控えの井阪は準決勝の9回、サヨナラのチャンスで打席に入るも、セカンドゴロに倒れた。このまま黙って「背番号3」を明け渡すつもりはない。「今は自分に結果が出ず、反対に石川は結果を残した。チームの勝利が最優先なんで、自分はどんな結果でも良いんですが、背番号は奪い返したい。今後は練習量だけでなく、何事においても、あいつよりやってやろうと思います。直接本人に『お前には負けへん』みたいなことは言っています」 熾烈な一塁手争いを監督の西谷浩一はシビアにこう振り返った。「秋の大会が終わってから石川の方が結果を残した。井阪のそれまでの実績よりも、石川の勢いの方が勝ると判断しました」 ほとんどの3年生がボーイズジャパンやシニアの代表経験を持つ中で、正右翼手の青地斗舞は無印の選手だった。「藤原、根尾昂、中川卓也は中学時代から有名で、とにかく上手くてえぐかった。入学時点で肩書きも実力も負けていました。2年半、必死で食らいついて、最後は絶対に抜かしてやろうと思っていました」 入学から毎日が競争だった。大阪桐蔭では全体練習終了後も、自主練習が続く。練習試合は二手に分かれることも多く、「A戦」と呼ばれる公式戦のベンチに入る主力組ではなく、下級生やメンバー外の選手が中心となるB戦が青地のアピールの場だった。「チームプレーが求められるA戦とは違って、B戦は個人のアピールの場。自分が持っているものすべてを出す場だと言われています。ですから、自分がどうやったら目立てるかだけを考えて、持ち味である走力と、打席での積極性をアピールしようと思っていました」 1年の秋からB戦で起用され始め、次第に打順は上位に。昨秋の新チーム発足時にはこんな打算も働いた。「投手以外の8つのポジションの中で、おそらく5つは前のチームから出場していた根尾や中川、藤原らが入る。外野、一塁、捕手の3つのポジションをメンバー外だった選手が争うことになる。そういう計算は、やっぱりしてしまいます」「B戦」を西谷はあえて「育成試合」とも呼ぶ。「メンバー争いは、全員にチャンスがある。A戦が遠征などに行っている間、残った選手たちの育成試合を一日2試合組んだり、近隣の学校と平日にナイターで試合をして、野手なら数十打席を保証する。そこから台頭してきたのが、今回でいうと宮本(涼太)です」 宮本の中学での所属は、熊本・秀岳館の元監督で、県立岐阜商業の監督に就任した鍛治舎巧が作ったオール枚方ボーイズ。一歳上には藤原がいて、ボーイズリーグのタイトルを総なめにした同チームで野球の腕を磨いた。◆「自分の甘さの結果です」 野手の打席数を保証するシステムは、育成に定評のある北海道日本ハムファイターズから学んだものだ。「僕は監督になりたての頃、下手くそな選手は試合に出なくていい。まずは試合に出られるところまで練習で持って来てからが競争だと思っていた。ところが、プロの2軍でも所属選手に打席を保証することを知って、目から鱗でした。今はなるべく平等にチャンスを与え、這い上がってきた選手を起用しようという考えです」 頻繁にAとBの入れ替えは行われるものの、両者の間には明確な線引きがされ、B戦に臨むメンバーは甲子園で着るあのアイボリーのユニフォームではなく、セカンドユニフォームで戦う。 基本的に監督の西谷はA戦に帯同するため、部長の有友茂史のほか、石田寿也と橋本翔太郎の両コーチが分担してB戦を率いる。有友は言う。「私が指揮する場合、基本的にサインは出しません。個人で準備してきたことをいかに実戦の場で発揮できるか。監督とコーチを含めた普段の会話の中で、『この子はA戦で試したい』とか『あの子はもう少しB戦で自信を付けさせたい』と判断しています。現代の子は、試合の結果で自分の力を推し量るんです」 昨秋の大会ではメンバー入りしながら、センバツの開幕直前にB戦に回ったのが2年生投手・中田惟斗だ。和歌山・御坊ボーイズ時代は、U-15サムライジャパンに選ばれた選手である。「センバツも選ばれると思っていた。その甘い気持ちが今の自分の立場だと思います。最後の(ベンチ枠の)18番目に自分の名前が呼ばれなかった。夏には自分の名前を呼ばれるように、練習態度から改めたいと思いました」 中学時代にいくら日本代表歴があっても、高校野球で同等の光を放つことができるとは限らない。 能力の高い選手に平等にチャンスを与え、競争意識を煽り、個々の成長を促すなかでチームを編成していく育成システムこそ、開校31年目ながら高校野球の新時代をリードする大阪桐蔭に芽吹いた伝統であろう。 この夏、100回目の記念大会となる甲子園で春夏連覇に成功すれば、大阪桐蔭の最強世代どころか高校野球史における最強世代と呼ばれるかもしれない。【プロフィール】柳川悠二(ノンフィクションライター)/1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始。2000年シドニー五輪から2016年リオ五輪まで夏季五輪5大会を現地取材。2005年から高校野球の取材を始めて以降、春夏の甲子園取材をライフワークとする。近著に『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』(第23回小学館ノンフィクション大賞受賞)。※週刊ポスト2018年4月20日号
2018.04.11 16:00
週刊ポスト
センバツ優勝・大阪桐蔭 史上最強“控え選手”達の凄い実力
センバツ優勝・大阪桐蔭 史上最強“控え選手”達の凄い実力
 今年も数々の名勝負が生まれたセンバツ高校野球。大阪桐蔭の春連覇の“原動力”となったのは、レギュラーとして奮闘する選手だけではない。むしろ、グラウンドに立つ機会が“少なかった”、あるいは“なかった”選手たちの存在が、絶対的な強さを支えていた。36年前の大阪・PL学園以来となるセンバツ連覇の快挙を成し遂げた大阪桐蔭について、『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』の著者であるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする(文中敬称略)。 * * * 怪物たちの噂を耳にしたのは2015年の秋だった。既に146キロを投げたという飛騨高山のスーパー中学生(根尾昂)に、異次元の快足外野手で、ソフトバンク・柳田悠岐のようにプロでもトリプルスリーが狙えるというポテンシャルの塊(藤原恭大)。ボーイズジャパンの4番(石川瑞貴)や佐賀の豪腕(柿木蓮)、近畿圏の強豪校からスカウトが相次ぐ滋賀の190センチ左腕(横川凱)──。 全国の中学硬式野球で名を馳せた彼らには共通点があった。いずれも進学予定先が、高校野球の名門・大阪桐蔭だったのだ。 3年後の2018年には、大阪桐蔭史上最強世代が90回目のセンバツと、100回目の夏の選手権大会を席巻する──。あまりの豪華な顔ぶれに、どこよりも早く、本誌・週刊ポスト(2016年3月4日号)でそう書いた。 フライング気味だったこの予見は、現実になりつつある。彼らの多くは昨年のチームから主力を張り、36年前の大阪・PL学園以来、史上3校目のセンバツ連覇を遂げた。監督の西谷浩一は言う。「最強世代……春を連覇できたことで、近づいてきているかもしれませんし、そうなりたいと思っています。欲深いですが、これから(史上初となる2度目の)春夏連覇を目指すためには、まだまだ底上げが必要です」 春連覇を牽引したのは、ドラフト上位指名が確実視される根尾と藤原だった。 投手と野手の二刀流で注目を集める根尾は準決勝では劣勢の中、好リリーフを見せ、先発した決勝・智弁和歌山戦では2年連続の胴上げ投手に。一方、右膝のケガを負っていた藤原は、50メートルを5秒7で走る“足”よりも4番として“バット”でチームに貢献。準決勝では延長12回にサヨナラ打を放ち、決勝でも勝利を呼び込むタイムリーを放った。 異能のふたりにどうしても目を奪われてしまうが、大阪桐蔭の快進撃を支えたのは、中学時代の華麗なる肩書きを持つ“最強世代”による熾烈なメンバー争いである。主将の中川卓也は、優勝後のお立ち台でこう話した。「(新3年生と新2年生をあわせた)41人の部員全員の勝利です」◆記録員も“元ジャパン” 記録員の小谷優宇は中学時代から140キロ超を記録した右腕で、全国の有望選手を集めて米国遠征を行う野茂ジャパンに選出された経験を持つ。しかし、入学後は根尾や柿木、横川の陰に隠れ、公式戦での活躍の場はなかった。記録員として声がかかったのは昨秋だ。「メンバーから外された悔しさがあったので、最初は本気で記録員をやれなかったんです。でも、近畿大会、神宮大会を経験し、裏方としてデータを集めたり、試合中も相手を研究したりすることで、勝利に貢献できたという気持ちもある。今は割り切って、記録員をやらせてもらっています」 もちろん、メンバー入りを諦めたわけではない。「自分は安定感がウリですが、一つ上のチームでメンバーに入っていた根尾たちに比べ経験値で圧倒的に劣る。その差は簡単には埋まらない。そこがもどかしい」 記録員として帯同する中で見えてくるものもある。プレー以外の野球の目を培うことも、甲子園通算49勝の西谷の指導の一環だろう。「根尾と同じ部屋だった時、とにかく部屋にいなくて。夜遅くまで雨天練習場で打ち込んで、部屋に帰ってからも、体幹トレーニングやストレッチに時間を費やしている。チームで一番練習する選手で、こういう人間がプロに行くのかな、と」◆「お前には負けへん」 センバツでベンチ入りできるのは18人。その枠から漏れれば、代表歴を持つ選手もアルプス席で仲間の戦いを見守ることとなる。今回のメンバーには横川と森本昂佑というふたりのサウスポーが入っていたが、その座を争ったもう一人の左腕が道端晃大だった。「対外試合の禁止期間(12月1日~3月7日)は、紅白戦でしっかりアピールできていました。だけど2月上旬に左足の太ももの裏をケガしてしまって、そこから調子を崩した。先にふたりが呼ばれて、あとひとり(左腕が)入るか入らないかのところで自分は外れてしまった。現時点では横川の方が自分より力が上だとは思っています……」 センバツ期間中のバッティング練習では対戦校の左投手の特徴を真似、攻略の糸口を仲間に与えた。準々決勝の花巻東(岩手)戦で大阪桐蔭は初回から相手のエース左腕を攻略し、19対0と圧勝したが、その背景には道端の献身があった。「みんなが『道端のおかげや』と言ってくれて嬉しかった。夏は絶対にメンバーに入ろうと思っています」【プロフィール】柳川悠二(ノンフィクションライター)/1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始。2000年シドニー五輪から2016年リオ五輪まで夏季五輪5大会を現地取材。2005年から高校野球の取材を始めて以降、春夏の甲子園取材をライフワークとする。近著に『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』(第23回小学館ノンフィクション大賞受賞)。※週刊ポスト2018年4月20日号
2018.04.10 07:00
週刊ポスト
門田博光氏「1年だけ活躍した選手を大選手と比べるな」
門田博光氏「1年だけ活躍した選手を大選手と比べるな」
「なに~? 大谷が投手部門の歴代1位? 165kmって言うけど、全盛期の金田のほうが速かったぞ」「イチローの記録はたしかにすごいが、ホームランや打点は多くないし、所属チームはほとんど優勝していないから物足りない」 プロ野球歴代最高の選手は誰か。それは野球ファンにとって永遠のテーマだ。テレビ朝日が1月、『プロ野球総選挙』という番組を放送した。その結果は、投手部門の1位が今春、MLB・エンゼルスへの入団が決まった大谷翔平。打者部門の1位がイチロー。これに対して、往年のファンから異論が続出したのである。「投票しているのは、最近の野球しか知らない人たちでしょう。俺たちが見てきた昔のプロ野球には、もっとすごい選手がいた」(75・元自営業) 長年にわたって野球を観戦してきた、ファンの熱い思いをすくい取らなければならない。そう考えた本誌は、愛読者アンケートや読者への聞き込み調査を実施。その結果、選ばれたのは、打者部門の1位は王貞治、投手部門の1位は金田正一だった。40歳で本塁打44本、“不惑の大砲”と呼ばれた門田博光氏は打者部門の13位。門田氏はこう語る。「今は1年活躍しただけの選手を過去の偉大な選手と比べようとする。20勝や30本塁打を何年もし続けた大記録と、1年だけの記録を同等に扱われたら困るよね」 本誌アンケートでは、19位にはテレビ番組では一切触れられなかった清原和博の名も。66歳男性(元会社員)はその才能を惜しむ。「PL学園時代の清原の打撃はまさに超高校級。高卒1年目で31本塁打を放った時は、どんなすごい選手になるかと胸が高鳴ったよ。努力を惜しまなければ王を超えるようなバッターになれただろうし、まして薬物になんて……」 ファンの投票には、こうした無念の思いも込められている。※週刊ポスト2018年2月16日・23日号
2018.02.05 16:00
週刊ポスト
再起を図るヤクルト・山田哲人が怯える「PL流しごき」
再起を図るヤクルト・山田哲人が怯える「PL流しごき」
 昨季、3年連続トリプルスリーを逃したヤクルト・山田哲人(25)。「チームも最下位に沈み、4年ぶりに小川淳司・監督が再登板。ただ、山田にとっては宮本慎也・ヘッドコーチの招聘のほうが気になるようです」(番記者) 11月の秋季キャンプには、宮本コーチの指名で山田も参加。再起のためのハードワークが課された。ただ、宮本が“鉄の上下関係”で知られるPL学園出身なのに対し、山田は同じ大阪の名門でも“自由で明るい”が校風の履正社卒。「山田は今からキャンプインが憂鬱なのでは」(同前)と心配されている。※週刊ポスト2018年1月12・19日号
2018.01.09 07:00
週刊ポスト
星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情
星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情
 1月4日に楽天の星野仙一球団副会長がすい臓がんで亡くなったことがわかった。70歳だった。星野氏は1968年秋のドラフトで中日から1位指名を受け、入団1年目から8勝を挙げた。1973年からは5年連続2ケタ勝利をマークするなど中日のエースとして活躍。通算146勝は山本昌広(後に山本昌)、杉下茂に次ぐ球団3位の記録である。 1982年限りで現役を退くと、NHK解説者を経て1986年オフに中日の監督に就任。その直後にパ・リーグで2年連続三冠王に輝いた落合博満を1対4の交換トレードで獲得。2年連続Bクラスに終わっていたチームに喝を入れ、就任2年目の1988年には悲願のリーグ優勝を果たした。星野監督は若手を育てることに長けており、この年はPL学園から入団した高卒ルーキーの立浪和義をショートに抜擢。21歳の中村武志を正捕手に登用した。野球担当記者が話す。「当時がそういう時代だったということもありますが、星野氏の中日監督時代といえば、“鉄拳制裁”が思い浮かびます。特に中村は何度となく鉄拳を食らっていたし、他の選手も文字通り痛い目に頻繁に遭っています。それなのに、星野監督の悪口を言う選手は聞いたことがない。それどころか、未だに慕っている選手ばかりなんです」 優勝した1988年のシーズン終盤、スクリューボールを武器にチームの救世主となった山本昌広は自著『133キロ快速球』でこう語っている。〈星野監督は僕を怒って一人前にしてくれた。どれだけ怒っても、最後は使ってくれた(中略)野球選手にとって、これに勝るフォローは存在しないのだ〉 1年目から起用され、1994年には本塁打王と打点王を獲得した大豊泰昭も自著『大豊』こう記している。〈星野監督は言ったことを守る人だ。選手を叱っても必ずそのあとにチャンスをくれる〉 高卒2年目の1990年にローテーション入りし、以降、中日のエースとして活躍した今中慎二も同じことを感じていた。自著の中でこう記している。〈当時の若い選手が星野監督の厳しい指導についていけたのは、どんなに怒鳴られてもまた試合に出してもらえるという期待感があったから、といえます〉(『中日ドラゴンズ論』より) どんなに厳しくされても、愛情があったからこそ、選手はついてきた。数々の名選手を育てた闘将の死はあまりに早過ぎる。
2018.01.06 16:00
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