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大阪桐蔭「史上最強」を支える育成システム チャンスは平等
大阪桐蔭「史上最強」を支える育成システム チャンスは平等
 今年も数々の名勝負が生まれたセンバツ高校野球。大阪桐蔭の春連覇の“原動力”となったのは、レギュラーとして奮闘する選手だけではない。むしろ、グラウンドに立つ機会が“少なかった”、あるいは“なかった”選手たちの存在が、絶対的な強さを支えていた。36年前の大阪・PL学園以来となるセンバツ連覇の快挙を成し遂げた大阪桐蔭について、『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』の著者であるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする(文中敬称略)。 * * * 道端晃大と左腕枠を争ってメンバー入りした森本昴佑は、中学時代は藤原恭大らとともに関西選抜に選ばれた経験を持つ。初戦となった伊万里(佐賀)戦の9回から起用され、公式戦初登板が甲子園のマウンドとなった。投球の度に帽子を飛ばす気迫の投球をみせたが、21世紀枠で出場した伊万里に長打を浴び、1失点してしまう。「ガチガチに緊張してしまった。帽子が飛んでしまうのは、身体が前に突っ込んでいる証拠なので、良くない傾向なんです」 だが、最終回に登板した花巻東戦では、自己最速に迫る141キロを記録した。「球威で押すタイプではあるので、むっちゃ嬉しかったですね(笑)。夏のメンバー争いも、負けるつもりはありません」 最近の高校野球はふた桁の番号を背負った選手がレギュラーとして出場することも珍しくないが、大阪桐蔭の場合は、背番号がそのままチーム内の序列を表す。 秋までふた桁の番号を背負っていた一塁手の石川瑞貴は、同ポジションのライバル・井阪太一から「3」を奪い取ってセンバツを迎えた。「秋はベンチにいて、正直、悔しい思いをした。明治神宮大会が終わったあと、メンバー争いもゼロからの状態で再スタートしたんです。これはチャンスだと思って前向きに取り組みました」 そんな元ボーイズジャパンの4番も、大阪桐蔭の最強世代の中では7番に回る。◆“B戦”では個人プレーに走る 一方、控えの井阪は準決勝の9回、サヨナラのチャンスで打席に入るも、セカンドゴロに倒れた。このまま黙って「背番号3」を明け渡すつもりはない。「今は自分に結果が出ず、反対に石川は結果を残した。チームの勝利が最優先なんで、自分はどんな結果でも良いんですが、背番号は奪い返したい。今後は練習量だけでなく、何事においても、あいつよりやってやろうと思います。直接本人に『お前には負けへん』みたいなことは言っています」 熾烈な一塁手争いを監督の西谷浩一はシビアにこう振り返った。「秋の大会が終わってから石川の方が結果を残した。井阪のそれまでの実績よりも、石川の勢いの方が勝ると判断しました」 ほとんどの3年生がボーイズジャパンやシニアの代表経験を持つ中で、正右翼手の青地斗舞は無印の選手だった。「藤原、根尾昂、中川卓也は中学時代から有名で、とにかく上手くてえぐかった。入学時点で肩書きも実力も負けていました。2年半、必死で食らいついて、最後は絶対に抜かしてやろうと思っていました」 入学から毎日が競争だった。大阪桐蔭では全体練習終了後も、自主練習が続く。練習試合は二手に分かれることも多く、「A戦」と呼ばれる公式戦のベンチに入る主力組ではなく、下級生やメンバー外の選手が中心となるB戦が青地のアピールの場だった。「チームプレーが求められるA戦とは違って、B戦は個人のアピールの場。自分が持っているものすべてを出す場だと言われています。ですから、自分がどうやったら目立てるかだけを考えて、持ち味である走力と、打席での積極性をアピールしようと思っていました」 1年の秋からB戦で起用され始め、次第に打順は上位に。昨秋の新チーム発足時にはこんな打算も働いた。「投手以外の8つのポジションの中で、おそらく5つは前のチームから出場していた根尾や中川、藤原らが入る。外野、一塁、捕手の3つのポジションをメンバー外だった選手が争うことになる。そういう計算は、やっぱりしてしまいます」「B戦」を西谷はあえて「育成試合」とも呼ぶ。「メンバー争いは、全員にチャンスがある。A戦が遠征などに行っている間、残った選手たちの育成試合を一日2試合組んだり、近隣の学校と平日にナイターで試合をして、野手なら数十打席を保証する。そこから台頭してきたのが、今回でいうと宮本(涼太)です」 宮本の中学での所属は、熊本・秀岳館の元監督で、県立岐阜商業の監督に就任した鍛治舎巧が作ったオール枚方ボーイズ。一歳上には藤原がいて、ボーイズリーグのタイトルを総なめにした同チームで野球の腕を磨いた。◆「自分の甘さの結果です」 野手の打席数を保証するシステムは、育成に定評のある北海道日本ハムファイターズから学んだものだ。「僕は監督になりたての頃、下手くそな選手は試合に出なくていい。まずは試合に出られるところまで練習で持って来てからが競争だと思っていた。ところが、プロの2軍でも所属選手に打席を保証することを知って、目から鱗でした。今はなるべく平等にチャンスを与え、這い上がってきた選手を起用しようという考えです」 頻繁にAとBの入れ替えは行われるものの、両者の間には明確な線引きがされ、B戦に臨むメンバーは甲子園で着るあのアイボリーのユニフォームではなく、セカンドユニフォームで戦う。 基本的に監督の西谷はA戦に帯同するため、部長の有友茂史のほか、石田寿也と橋本翔太郎の両コーチが分担してB戦を率いる。有友は言う。「私が指揮する場合、基本的にサインは出しません。個人で準備してきたことをいかに実戦の場で発揮できるか。監督とコーチを含めた普段の会話の中で、『この子はA戦で試したい』とか『あの子はもう少しB戦で自信を付けさせたい』と判断しています。現代の子は、試合の結果で自分の力を推し量るんです」 昨秋の大会ではメンバー入りしながら、センバツの開幕直前にB戦に回ったのが2年生投手・中田惟斗だ。和歌山・御坊ボーイズ時代は、U-15サムライジャパンに選ばれた選手である。「センバツも選ばれると思っていた。その甘い気持ちが今の自分の立場だと思います。最後の(ベンチ枠の)18番目に自分の名前が呼ばれなかった。夏には自分の名前を呼ばれるように、練習態度から改めたいと思いました」 中学時代にいくら日本代表歴があっても、高校野球で同等の光を放つことができるとは限らない。 能力の高い選手に平等にチャンスを与え、競争意識を煽り、個々の成長を促すなかでチームを編成していく育成システムこそ、開校31年目ながら高校野球の新時代をリードする大阪桐蔭に芽吹いた伝統であろう。 この夏、100回目の記念大会となる甲子園で春夏連覇に成功すれば、大阪桐蔭の最強世代どころか高校野球史における最強世代と呼ばれるかもしれない。【プロフィール】柳川悠二(ノンフィクションライター)/1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始。2000年シドニー五輪から2016年リオ五輪まで夏季五輪5大会を現地取材。2005年から高校野球の取材を始めて以降、春夏の甲子園取材をライフワークとする。近著に『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』(第23回小学館ノンフィクション大賞受賞)。※週刊ポスト2018年4月20日号
2018.04.11 16:00
週刊ポスト
センバツ優勝・大阪桐蔭 史上最強“控え選手”達の凄い実力
センバツ優勝・大阪桐蔭 史上最強“控え選手”達の凄い実力
 今年も数々の名勝負が生まれたセンバツ高校野球。大阪桐蔭の春連覇の“原動力”となったのは、レギュラーとして奮闘する選手だけではない。むしろ、グラウンドに立つ機会が“少なかった”、あるいは“なかった”選手たちの存在が、絶対的な強さを支えていた。36年前の大阪・PL学園以来となるセンバツ連覇の快挙を成し遂げた大阪桐蔭について、『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』の著者であるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする(文中敬称略)。 * * * 怪物たちの噂を耳にしたのは2015年の秋だった。既に146キロを投げたという飛騨高山のスーパー中学生(根尾昂)に、異次元の快足外野手で、ソフトバンク・柳田悠岐のようにプロでもトリプルスリーが狙えるというポテンシャルの塊(藤原恭大)。ボーイズジャパンの4番(石川瑞貴)や佐賀の豪腕(柿木蓮)、近畿圏の強豪校からスカウトが相次ぐ滋賀の190センチ左腕(横川凱)──。 全国の中学硬式野球で名を馳せた彼らには共通点があった。いずれも進学予定先が、高校野球の名門・大阪桐蔭だったのだ。 3年後の2018年には、大阪桐蔭史上最強世代が90回目のセンバツと、100回目の夏の選手権大会を席巻する──。あまりの豪華な顔ぶれに、どこよりも早く、本誌・週刊ポスト(2016年3月4日号)でそう書いた。 フライング気味だったこの予見は、現実になりつつある。彼らの多くは昨年のチームから主力を張り、36年前の大阪・PL学園以来、史上3校目のセンバツ連覇を遂げた。監督の西谷浩一は言う。「最強世代……春を連覇できたことで、近づいてきているかもしれませんし、そうなりたいと思っています。欲深いですが、これから(史上初となる2度目の)春夏連覇を目指すためには、まだまだ底上げが必要です」 春連覇を牽引したのは、ドラフト上位指名が確実視される根尾と藤原だった。 投手と野手の二刀流で注目を集める根尾は準決勝では劣勢の中、好リリーフを見せ、先発した決勝・智弁和歌山戦では2年連続の胴上げ投手に。一方、右膝のケガを負っていた藤原は、50メートルを5秒7で走る“足”よりも4番として“バット”でチームに貢献。準決勝では延長12回にサヨナラ打を放ち、決勝でも勝利を呼び込むタイムリーを放った。 異能のふたりにどうしても目を奪われてしまうが、大阪桐蔭の快進撃を支えたのは、中学時代の華麗なる肩書きを持つ“最強世代”による熾烈なメンバー争いである。主将の中川卓也は、優勝後のお立ち台でこう話した。「(新3年生と新2年生をあわせた)41人の部員全員の勝利です」◆記録員も“元ジャパン” 記録員の小谷優宇は中学時代から140キロ超を記録した右腕で、全国の有望選手を集めて米国遠征を行う野茂ジャパンに選出された経験を持つ。しかし、入学後は根尾や柿木、横川の陰に隠れ、公式戦での活躍の場はなかった。記録員として声がかかったのは昨秋だ。「メンバーから外された悔しさがあったので、最初は本気で記録員をやれなかったんです。でも、近畿大会、神宮大会を経験し、裏方としてデータを集めたり、試合中も相手を研究したりすることで、勝利に貢献できたという気持ちもある。今は割り切って、記録員をやらせてもらっています」 もちろん、メンバー入りを諦めたわけではない。「自分は安定感がウリですが、一つ上のチームでメンバーに入っていた根尾たちに比べ経験値で圧倒的に劣る。その差は簡単には埋まらない。そこがもどかしい」 記録員として帯同する中で見えてくるものもある。プレー以外の野球の目を培うことも、甲子園通算49勝の西谷の指導の一環だろう。「根尾と同じ部屋だった時、とにかく部屋にいなくて。夜遅くまで雨天練習場で打ち込んで、部屋に帰ってからも、体幹トレーニングやストレッチに時間を費やしている。チームで一番練習する選手で、こういう人間がプロに行くのかな、と」◆「お前には負けへん」 センバツでベンチ入りできるのは18人。その枠から漏れれば、代表歴を持つ選手もアルプス席で仲間の戦いを見守ることとなる。今回のメンバーには横川と森本昂佑というふたりのサウスポーが入っていたが、その座を争ったもう一人の左腕が道端晃大だった。「対外試合の禁止期間(12月1日~3月7日)は、紅白戦でしっかりアピールできていました。だけど2月上旬に左足の太ももの裏をケガしてしまって、そこから調子を崩した。先にふたりが呼ばれて、あとひとり(左腕が)入るか入らないかのところで自分は外れてしまった。現時点では横川の方が自分より力が上だとは思っています……」 センバツ期間中のバッティング練習では対戦校の左投手の特徴を真似、攻略の糸口を仲間に与えた。準々決勝の花巻東(岩手)戦で大阪桐蔭は初回から相手のエース左腕を攻略し、19対0と圧勝したが、その背景には道端の献身があった。「みんなが『道端のおかげや』と言ってくれて嬉しかった。夏は絶対にメンバーに入ろうと思っています」【プロフィール】柳川悠二(ノンフィクションライター)/1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始。2000年シドニー五輪から2016年リオ五輪まで夏季五輪5大会を現地取材。2005年から高校野球の取材を始めて以降、春夏の甲子園取材をライフワークとする。近著に『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』(第23回小学館ノンフィクション大賞受賞)。※週刊ポスト2018年4月20日号
2018.04.10 07:00
週刊ポスト
門田博光氏「1年だけ活躍した選手を大選手と比べるな」
門田博光氏「1年だけ活躍した選手を大選手と比べるな」
「なに~? 大谷が投手部門の歴代1位? 165kmって言うけど、全盛期の金田のほうが速かったぞ」「イチローの記録はたしかにすごいが、ホームランや打点は多くないし、所属チームはほとんど優勝していないから物足りない」 プロ野球歴代最高の選手は誰か。それは野球ファンにとって永遠のテーマだ。テレビ朝日が1月、『プロ野球総選挙』という番組を放送した。その結果は、投手部門の1位が今春、MLB・エンゼルスへの入団が決まった大谷翔平。打者部門の1位がイチロー。これに対して、往年のファンから異論が続出したのである。「投票しているのは、最近の野球しか知らない人たちでしょう。俺たちが見てきた昔のプロ野球には、もっとすごい選手がいた」(75・元自営業) 長年にわたって野球を観戦してきた、ファンの熱い思いをすくい取らなければならない。そう考えた本誌は、愛読者アンケートや読者への聞き込み調査を実施。その結果、選ばれたのは、打者部門の1位は王貞治、投手部門の1位は金田正一だった。40歳で本塁打44本、“不惑の大砲”と呼ばれた門田博光氏は打者部門の13位。門田氏はこう語る。「今は1年活躍しただけの選手を過去の偉大な選手と比べようとする。20勝や30本塁打を何年もし続けた大記録と、1年だけの記録を同等に扱われたら困るよね」 本誌アンケートでは、19位にはテレビ番組では一切触れられなかった清原和博の名も。66歳男性(元会社員)はその才能を惜しむ。「PL学園時代の清原の打撃はまさに超高校級。高卒1年目で31本塁打を放った時は、どんなすごい選手になるかと胸が高鳴ったよ。努力を惜しまなければ王を超えるようなバッターになれただろうし、まして薬物になんて……」 ファンの投票には、こうした無念の思いも込められている。※週刊ポスト2018年2月16日・23日号
2018.02.05 16:00
週刊ポスト
再起を図るヤクルト・山田哲人が怯える「PL流しごき」
再起を図るヤクルト・山田哲人が怯える「PL流しごき」
 昨季、3年連続トリプルスリーを逃したヤクルト・山田哲人(25)。「チームも最下位に沈み、4年ぶりに小川淳司・監督が再登板。ただ、山田にとっては宮本慎也・ヘッドコーチの招聘のほうが気になるようです」(番記者) 11月の秋季キャンプには、宮本コーチの指名で山田も参加。再起のためのハードワークが課された。ただ、宮本が“鉄の上下関係”で知られるPL学園出身なのに対し、山田は同じ大阪の名門でも“自由で明るい”が校風の履正社卒。「山田は今からキャンプインが憂鬱なのでは」(同前)と心配されている。※週刊ポスト2018年1月12・19日号
2018.01.09 07:00
週刊ポスト
星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情
星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情
 1月4日に楽天の星野仙一球団副会長がすい臓がんで亡くなったことがわかった。70歳だった。星野氏は1968年秋のドラフトで中日から1位指名を受け、入団1年目から8勝を挙げた。1973年からは5年連続2ケタ勝利をマークするなど中日のエースとして活躍。通算146勝は山本昌広(後に山本昌)、杉下茂に次ぐ球団3位の記録である。 1982年限りで現役を退くと、NHK解説者を経て1986年オフに中日の監督に就任。その直後にパ・リーグで2年連続三冠王に輝いた落合博満を1対4の交換トレードで獲得。2年連続Bクラスに終わっていたチームに喝を入れ、就任2年目の1988年には悲願のリーグ優勝を果たした。星野監督は若手を育てることに長けており、この年はPL学園から入団した高卒ルーキーの立浪和義をショートに抜擢。21歳の中村武志を正捕手に登用した。野球担当記者が話す。「当時がそういう時代だったということもありますが、星野氏の中日監督時代といえば、“鉄拳制裁”が思い浮かびます。特に中村は何度となく鉄拳を食らっていたし、他の選手も文字通り痛い目に頻繁に遭っています。それなのに、星野監督の悪口を言う選手は聞いたことがない。それどころか、未だに慕っている選手ばかりなんです」 優勝した1988年のシーズン終盤、スクリューボールを武器にチームの救世主となった山本昌広は自著『133キロ快速球』でこう語っている。〈星野監督は僕を怒って一人前にしてくれた。どれだけ怒っても、最後は使ってくれた(中略)野球選手にとって、これに勝るフォローは存在しないのだ〉 1年目から起用され、1994年には本塁打王と打点王を獲得した大豊泰昭も自著『大豊』こう記している。〈星野監督は言ったことを守る人だ。選手を叱っても必ずそのあとにチャンスをくれる〉 高卒2年目の1990年にローテーション入りし、以降、中日のエースとして活躍した今中慎二も同じことを感じていた。自著の中でこう記している。〈当時の若い選手が星野監督の厳しい指導についていけたのは、どんなに怒鳴られてもまた試合に出してもらえるという期待感があったから、といえます〉(『中日ドラゴンズ論』より) どんなに厳しくされても、愛情があったからこそ、選手はついてきた。数々の名選手を育てた闘将の死はあまりに早過ぎる。
2018.01.06 16:00
NEWSポストセブン
ドラ1候補の履正社・安田は「歴男」 好きな武将は真田幸村
ドラ1候補の履正社・安田は「歴男」 好きな武将は真田幸村
 10月26日のプロ野球ドラフト会議、早稲田実業の清宮幸太郎と並んで注目を集めること必至なのが履正社の安田尚憲である。日本唯一の高校・大学球児向けフリーマガジン『サムライベースボール』発行人の古内義明氏が、安田との取材秘話を綴った。 * * * スカウトの間では早くから、東の横綱が早稲田実業の清宮幸太郎なら、西の横綱は履正社の安田尚憲と評価されていた。9月22日、清宮がプロ志望を決断した日、時を同じくして、その安田もプロ志望を表明している。 安田と清宮は、直接対決したことが一度だけある。昨年の明治神宮大会決勝で、初回に清宮がライトスタンドに打ち込むと、負けじと安田も3ランを叩き込んだ。「先にホームランを打たれて、他の選手からも結構ハッパをかけられていたので、やってやろうという気持ちは確かにありました」 そう振り返った安田は神宮大会初制覇に貢献。軍配は安田に上がった。 今夏、単刀直入に、彼に尋ねた。「ライバルは誰か」と。安田はこう吐露した。「ずっと意識していたのは清宮かもしれないですが、ライバルとまでは思わないです。なぜなら、1年生の夏に、彼は先に甲子園に出ていて、凄いなと見ていたので。いつか抜いてやろうという気持ちもありましたが、ライバルと言う程の感覚はなかったです」 安田は高校通算65本塁打をマークしたが、清宮の111本塁打は、安田のはるかに上を行き、数字的には圧倒された。二人は侍ジャパンU18の代表として、カナダで行われたワールドカップで共にクリーンアップを務め、世界三位に輝いた。安田による清宮評は揺るぎがない。「清宮は前でさばくローボールヒッターな感じがします。そして、やっぱり間の取り方が凄いです。どのボールに対しても、きっちり振ってくるバッターだと思うので、そこは見ていて凄いと思います」 安田の父・功さんは大阪薫英女学院高の陸上部監督であり、兄・亮太さんはPL学園から三菱重工名古屋野球部で主将を務めるスポーツ一家だ。功さんは社会の先生で、小さい頃から歴史関係の本を読み漁るうちに、安田は日本史が得意になったという。「好きな時代は戦国時代で、好きな武将は真田幸村です。大坂夏の陣でも自分の死が分かっている状態で、最後まで自分の仕事をやり遂げるところがたまりません」と語るように、かなりの「歴男」だ。 デットリフトで200㎏ぐらいをマークするほどの鍛えられた背筋から放たれる放物線の理想像は、巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜氏だという。「松井さんの度肝を抜くようなホームランに憧れます。ライナーで東京ドームの看板に当てるようなホームランを見て、いつかこんなホームランを打ちたいという気持ちになりました!」 松井氏並のボディを手に入れるために、朝食にはお気に入りのパスタで炭水化物を摂取し、勝負飯には大好物の焼肉のハラミで精をつけている。 打撃の自己分析に水を向けた。自分を客観視できている。「自分のタイミングで打てることが大切だと思っているので、きっちりとした自分のスイングが出来る準備をしています。頭が前に突っ込んでしまってはバットも出ないですし、バットとボールの間合いを大切にしながらいつも練習しています。 ただ左ピッチャーの逃げていくスライダーが苦手。ボールを見てしまうところがあって、しっかり準備ができていない時は、しょうもないバッティングをしてしまうときがあります。理由としてはバッティングの始動がまだ定まっていないからだと思っています」 入学以来、安田を見守ってきた履正社の岡田龍生監督は、大きな期待を寄せている。「プロでやれる素材はあります。ただT-岡田(オリックス)と比べると、ちょっと足りない。岡田は逆方向にも打っていたが、安田は逆方向にホームランを打てるという感じではないです。外ばかり攻められた時、外を踏み込んででも打てるかなど、それをどう自分なりに克服して、ホームランバッターを目指して欲しいです」 清宮には、1989年の野茂英雄と90年の小池秀郎の8球団を越える最多指名という声もあるが、その一方で、競合を避けて、「安田単独指名」という選択に走る球団があるはずだ。 運命のドラフトは今週木曜日。闘志を内に秘める安田はかつてこう言い切った。「去年の神宮大会で対戦してから、自分との実力差もこれぐらいかと感じましたし、ここからどこまで追いついて、そして追い抜けるかっていうイメージもだいぶついてきたので、内容も含めて、(清宮を)追い越していきたい」 安田と清宮。26日のドラフト当日、二人にどんな運命が待ち受けているか。楽しみでならない。
2017.10.24 16:00
NEWSポストセブン
清宮幸太郞 W杯で母に「おう!」と照れずに挨拶し話題に
清宮幸太郞 W杯で母に「おう!」と照れずに挨拶し話題に
 9月1日に開幕した『第28回WBSC U-18ベースボールワールドカップ』。2年に一度開催されるこのW杯に、日本は甲子園で活躍した球児を中心とした高校日本代表を送り込んでいる。プロのスカウトの注目を集める怪物たちが揃ったその現場で、はるかカナダまで応援に駆けつけた怪物の母親たちもまた、怪物級の熱意の持ち主だった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、怪物の母たちについてお届けする。 * * *「いつか、どこかの舞台でもう一度、1、2番コンビが組めたらいいね」 そう誓い合っていたふたりの母親の夢は、わずか2年後に叶った。「別の高校に進学しましたから、まさかこんなに早く実現するなんて」 そう話したのは報徳学園で1年生からレギュラーを張る小園海斗の母・こずえさんだ。小園と大阪桐蔭の藤原恭大は、中学時代を同じオール枚方ボーイズ(大阪)で過ごし、1、2番のコンビで全国優勝を経験した。 そのふたりが、2年生ながら高校日本代表に選ばれ、名だたる先輩たちを押しのけ、スタメンで上位打線に名を連ねたのである。「枚方の頃からいつも(小園)海斗と(藤原)恭大は競い合ってきた。お互いがお互いにとって最大のライバルなんです」(こずえさん)「(6月の)一次選考に名前が入っただけでもありがたいことだと母親同士で話していました。この舞台で大きく成長してくれたら」(藤原の母・道子さん) 外野手の藤原は、PL学園の最後の部員であった2歳上の兄と一緒に野球を始めた。昔からとにかく身体能力が同級生と比べて飛び抜けていた。強肩もさることながら、特筆すべき能力は足だ。50メートル走は5秒7。100メートルも10秒台が狙えるという。一方、小園も俊足で、遊撃手としては捕球してから送球するまでの動作が速く、そして美しい。いずれも来年、100回大会を迎える夏の甲子園の主役となれる逸材である。 実はこずえさんは、サッカー・なでしこリーグの前身であるLリーグの「旭国際バニーズ(現在は消滅)」のMFとしてプレーしたアスリートだった。「本当はサッカー選手にしたかったけどサッカーボールには目もくれず(笑い)」 今年の高校日本代表には母親が元アスリートという選手が目立った。早稲田実業・清宮幸太郞の母・幸世さんが慶應大学ゴルフ部のキャプテンだったことは有名であり、履正社・安田尚憲の母・多香子さんも国体に出場したやり投げ選手。 ある名門校でスカウトを担当していた名物部長は、有望な選手の将来を見極める要素として、「父親よりも母親の身長や体格、足首に着目する」と話していたが、元アスリートとなればその才能は色濃く息子に受け継がれるのかもしれない。 さらに母親のアスリート経験は、子供の栄養管理にも影響を及ぼす。清宮家では幼い頃からジャンクフードを食べさせることは絶対になく、炭酸飲料も飲ませなかった。清宮も早実では必ず母親の手作り弁当を食べ、外食する機会があっても、両親の意向を汲んだ料理メニューを提供してくれる飲食店にしか足を運ばないという。 そんな英才教育を息子に施してきた幸世さんは、予選ラウンドの最終日に到着する重役観戦。報道陣も“主役”の登場にざわついた。 プレイボールの直前、観客席に座った母を見つけた清宮は、「おう!」というように左手を挙げた。普通、年頃の高校生は、応援熱心な母親の存在を煙たがるものではないだろうか。人目を憚らず母親に挨拶する18歳の姿は、スカウトの間で話題になっていた。 予選ラウンドでなかなか安打が出ず、「絶不調。ワケがわからなくなっている」と打ち明けていた清宮は、母が到着したこの日、高校通算本塁打記録をさらに伸ばす110本目の本塁打を放って声援に応えた。 2年前の兄・寛士に続き、サムライジャパン入りしたのが、中京大中京の外野手・伊藤康祐だ。母のしほさんは、夫と共に兄弟が幼少の頃から練習に付き添ってきた。「私が高校までソフトボールをやっていたので、男の子が生まれたらキャッチボールをしたいなってずっと考えていました。母親も一緒に“動ける”ということが、ふたりとも甲子園球児に育ってくれた一因かもしれませんね」 兄は法政大学に進んだが、「大学には進学したくない」と話しているという弟は、プロ志望届の提出が濃厚である。※週刊ポスト2017年9月22日号
2017.09.12 07:00
週刊ポスト
高校生ドラフト候補 中村・清宮以外の注目選手は?
高校生ドラフト候補 中村・清宮以外の注目選手は?
 今夏の甲子園では、史上最多68本のアーチが乱れ飛び、今秋のドラフト会議はスラッガー候補が大豊作だ。中でも注目が集まるのが、通算HR記録を伸ばし続ける早稲田実業の清宮幸太郎と、甲子園で6本のホームランを放った広陵の中村奨成だが、他にも注目打者はズラリ。清宮・中村と並んで評価の高いのは履正社の左のスラッガー・安田尚憲だ。「U-18代表合宿の練習で、大学生投手相手に木製バットで場外ホームランを放ち、スカウトを驚かせた。彼の兄はPL学園から実業団に進んだ選手で、母親もやり投げの国体選手。スカウトは母親を見るという格言もあり、アスリートとしての潜在能力は高校球児ナンバーワンとの評価もある」(スポーツ紙記者) 中村の広陵を破り花咲徳栄を全国制覇に導いた三番・西川愛也は、決勝でもタイムリーを2本放つなど、甲子園で評価を上げた。「パワーというよりセンスで打つタイプ。まさに左打者版の内川聖一(ソフトバンク)のようで、広角に打ち分け打率を稼げるはず。甲子園では実力だけでなく甘いマスクも注目を集め、黄色い声援を浴びていた。スター候補としてファン獲得・集客につながると見る球団もある」(同前) さらに、パンチ力のある明徳義塾(高知)の西浦颯大は強肩俊足で三拍子揃った外野手。秀岳館(熊本)の4番・廣部就平や、横浜(神奈川)の増田珠(U-18代表選出)も、いずれ劣らぬ巧打が光る。連覇の夢破れた作新学院(栃木)の鈴木萌斗も俊足の外野手で指名候補と目されている。福岡大会決勝で敗退した福岡大大濠の古賀悠斗(U-18代表選出)や熊本大会決勝で敗れた九州学院の村上宗隆も、中村と並ぶ高校トップ捕手として知られる。 今大会は打者が目立つが、「各球団で慢性的に不足しているのは先発投手。各球団、口には出さないがそれぞれ狙いをつけている」(在阪球団スカウト)という。甲子園を沸かせた大阪桐蔭(大阪)の徳山壮磨や秀岳館の川端健斗は「今のところ進学希望」(前出・スポーツ紙記者)だが、不出場組でも関東ナンバーワン投手の呼び声高い青藍泰斗高(栃木)の石川翔、清宮の天敵・日大三の櫻井周斗、“桑田二世”の異名を持つ星槎国際湘南・本田仁海らが注目株だ。「プロ球団のスカウトはドラフト候補の選手を特A、A、B、Cとランク付けしてリストアップしており、プロを志望する選手は、ドラフト会議の行なわれる10月26日の前日までにプロ志望届を提出する。清宮がもし大学進学の進路を選ぶとすると、一気に中村への指名が集中することになると思います」(同前) まずは9月のU-18W杯での戦いぶりに注目だ。※週刊ポスト2017年9月8日号
2017.08.31 16:00
週刊ポスト
熊本・秀岳館の鍛治舎巧監督 「さらば幻想の高校野球」
熊本・秀岳館の鍛治舎巧監督 「さらば幻想の高校野球」
 3季連続で甲子園ベスト4に進出した熊本・秀岳館の鍛治舎巧(かじしゃ・たくみ)監督(66)が退任を発表。就任3年で無名校を甲子園常連に育てた一方、物議を醸す言動も多い指揮官だった。『永遠のPL学園: 六〇年目のゲームセット』などの著書があるノンフィクションライターの柳川悠二氏が、その「本音」に迫った(文中敬称略)。 * * * 秀岳館が熊本大会の準決勝で勝利した7月23日の夕刻、同校監督の鍛治舎巧からメールが届いた。鍛治舎は2日前に体調不良を訴え、自ら119番通報して緊急入院(診断は不整脈)。準決勝の采配をコーチの山口幸七に託していた。《私は至って元気ですが、外出許可が出ません。医師の横暴です(笑)。でも私が球場にいなくても、同じことを山口コーチがしてくれました。以心伝心ですね。良い後継ぎができました。多謝鍛治舎》 翌日の決勝で九州学院に辛勝した後にも届いた。《病室で泣いていました! 余りに不甲斐ない試合に(笑)。さらに鍛え上げて再び日本一を目指します》 熊本大会中のメールのやりとりから、この夏を最後に退任する腹づもりであることがうかがえた。私は、この鍛治舎巧という野球人が大嫌いだった。テレビカメラの前に立てば笑顔を絶やさず、NHKの高校野球解説を務めていた頃と同様、語り口は明快だ。しかし、ファンや報道陣の不興と顰蹙を買う行為も繰り返してきた。 昨年の選抜では、秀岳館の選手にサイン盗みと疑わしき行為が発覚。試合に勝利し、お立ち台に上がった鍛治舎は「選手たちには紛らわしいことはやってはダメと言っていたので残念に思う」と、“自分は知らなかった”という姿勢を貫いた。 今年3月には秀岳館の理事長による解任騒動も起き、本人が慌てて火消しに回る一幕もあった。極めつきは早稲田実業と対戦した5月の招待試合だ。5対1とリードした9回2死走者なしから、2番打者を敬遠し、わざわざ清宮幸太郎と勝負する。清宮や早実監督の和泉実は露骨に不快感を示していた。 この事件のあと、私は鍛治舎の姿勢を本誌(週刊ポスト)で批判した。すると、ある取材現場で日本高等学校野球連盟の関係者に呼び止められた。記事に何か問題があったのだろうかと、ドキリとした。「よう書いてくれた。あんたの言う通り。あの人は高校野球の監督というより、社会人野球の監督。教育者でもなく、企業人です」 甲子園で3季連続ベスト4に進出しながら、いつしか鍛治舎は高校野球界で最大のヒールとなっていた。 そんな彼に対する印象がガラリと変わったのは、この6月だ。秀岳館のグラウンドで、これまでの騒動について質問をぶつけた。 正直、期待はしていなかった。お茶を濁す発言に終始すると踏んでいた。ところが、彼は本音で私の疑念にぶつかってきた。 県立岐阜商業を卒業後、早稲田大を経て松下電器(現・パナソニック)で野球を続け、監督も務めたアマチュア球界のエリートが、秀岳館の指揮官に就任したのは2014年4月だった。「私は高校野球の監督が職業とは思ってない。こんな安い給料のところにわざわざ行きますか? すべて野球界の活性化のためです」 サイン盗み疑惑に関しては、「責任逃れしたつもりは毛頭ない」と断言。「(疑われた)本人に聞いてみたら、相手のサインは分からなかった、と話していました。盗もうとしたことは事実です。でもね、どこの学校もやっていますよ。20年以上、解説をしてきましたから、プレーを見ていれば分かります。ただ、全国に恥をさらしました」 件の敬遠については「あなたはどう思いますか?」と逆質問してきた。招待試合とはいえ無意味に打者を敬遠するのは無気力試合と同じようなものだと私は主張した。「僕はそうは思わない。多くの熊本の野球ファンが清宮君のバッティングを見に来ていた。早実は2日間で4試合を戦いましたが、清宮君は四死球が多かった。もう一打席あってもいいと思っただけです」 当日は、「夏の甲子園で対戦するかもしれないから」とも説明していたが──。「そう言いましたよ。だけど、僕は早実の投手陣では(西東京大会で)東海大菅生に負けるんじゃないかと思っているから。熊本のファンには、本当に最後のチャンスだと思ったんです」 鍛治舎が予見した通り、早実は西東京大会決勝で東海大菅生に敗れた。その慧眼にも驚かされた。◆エースの完投はいらない 監督に就任する年、鍛治舎は自身が率いていた中学硬式野球のオール枚方ボーイズの選手をごっそり入学させ、秀岳館を瞬く間に強豪に育て上げた。しかし、熊本出身者が一人もいないメンバー構成は「大阪第2代表」とも揶揄された。 川上哲治を生んだ、高校野球の盛んな熊本を戦う難しさとして、伝統校と戦うと、どうしても不利な判定になると鍛治舎は話した。「私は就任してからこの3年、公式戦の主審に対して、『○・△・×』の評価を付けていた。熊本の伝統校とやる時の主審はすべて『×』の主審ですよ(笑)」 この人は胸の内を隠せない人だ。もちろん、パナソニックの専務や中継解説者を務めてきたから「建前」を語ることも求められる。それでも高校野球への率直すぎる思いを言葉や行動に出さずにはいられない。だからこそ、二枚舌に見えたり、保守的な高校球界で“異物”として扱われたりする。 それが分かると、好感すら持ててくる。鍛治舎は高校野球に一石を投じるべく、縁もゆかりもなかった熊本にやって来た。この夏は名門・横浜と1回戦で対戦。川端健斗と田浦文丸というWエースの継投で、6対4で勝利した。休息日を挟んだ2日後、再び鍛治舎のもとを訪ねた。「一大会で一人の投手が600球も投げるのは、その投手の将来を思ったら避けたほうがいい。私は複数の投手を育て、継投策を採ってきた。今大会は完投する投手が少ないですよね。そういうところは一石を投じた意味があったかな」 秀岳館の打者はファーストストライクからフルスイングし、追い込まれたら一転、ノーステップ打法に変わる。これは鍛治舎がアマチュア野球の日本代表にコーチとして帯同した当時、世界最強といわれたキューバに対抗すべく用いた策だ。「追い込まれたら一握り短くバットを持って、センターから反対方向に身体ごとぶつけていくようにする。ノーステップだから目線がぶれず、低めのボール球に手を出さなくなる。今では作新学院も花咲徳栄も、木更津総合も取り入れている。新しい風は吹かせられた」 メールでは、鍛治舎は主に投手担当のコーチである山口を後継者に考えている様子だった。しかし、鍛治舎を熊本に呼んだ87歳になる中川静也理事長は、前任監督・久木田拡吉の復帰を考えているようだ。「せっかく(メンバーに入っていない)2年生は秋に向けて練習させようと熊本に残してきたのに、練習の内容に関して何も報告がない。揉めて辞めるつもりはありませんが……」 最後の最後まで、鍛治舎の周りには“波風”が立っている。※週刊ポスト2017年9月1日号
2017.08.20 07:00
週刊ポスト
今夏、全国大会出場を決めたPL学園「軟式野球部」の物語
今夏、全国大会出場を決めたPL学園「軟式野球部」の物語
 夏の高校野球は連日、熱戦が続いているが、もう甲子園でその姿を見ることができないのが桑田真澄、清原和博ら多数のプロ野球選手を輩出したPL学園だ。同校の硬式野球部は昨夏で休部に追い込まれた。ただ、この夏、PL学園の「もう一つの野球部」が全国への切符を掴んだのだ。『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者の柳川悠二氏がレポートする。 * * * PL学園の硬式野球部が活動を休止して、はや1年が経過した。今年の3月には日本高等学校野球連盟に「脱退届」を提出して事実上の廃部となり、もはや影も形もなくなってしまった。 アーチ状に「PL GAKUEN」の文字が2列に並んだあのユニフォームも、「PL」の2文字が組み合わさったロゴマークの帽子も、もう二度と目にすることはない……かと思いきや、そんなことはないのである。 今夏の甲子園大会の組み合わせ抽選会が行われた8月4日、私は大阪の住之江公園野球場に向かった。春夏通算7度の甲子園制覇を誇る野球部と全く同じユニフォームを着て、同じ帽子をかぶった“軟式”野球部が、全国大会への出場権を賭け、興国高校と大阪大会決勝を戦うのである。 PL学園の軟式野球部も強豪として知られ、甲子園大会の直後(8月24日~)に兵庫県の明石トーカロ球場で開催される全国高等学校軟式野球選手権大会にこれまで10度出場している。 住之江公園野球場に到着したのは、ちょうどプレイボールのタイミングだった。硬式の試合が行われる球場とは違い、同球場は両翼が90メートルで、バックスクリーンまで110メートルしかない。3塁側の応援団席は、興国の生徒や関係者で立錐の余地がないほど埋まり、一方、1塁側のPL学園応援席は、まばらにしか人がいない。 試合は両校にヒットが出ず、7回途中まで両校エースが無安打投球。大きな動きもないまま終盤に入っていく。 先に安打が飛び出したのがPL。7回裏に四球と中前打で無死一、二塁のチャンスを作ると、相手遊撃手のエラーで1点を先制。PLのエース・殿納遼生(とのう・りょう)は8回表に初安打を打たれるも、虎の子の1点を死守し、PLが4年ぶりに大阪の頂点に立った。 試合終了から校歌が流れている間、PL学園を率いて32年目となる斉藤大仁監督(56)の目には涙があった。「硬式野球部が廃部になったことを卒業生が悲しんでいます。私たち軟式野球部だけでなく、世界大会に出場するバトン部、男女がインターハイに出場する剣道部が頑張ることで、卒業生に明るい話題を届けたかった。関心を寄せてくださっている方々が、どれだけ喜んでくださっているかなと考えたら、自然と涙が流れました」 PL学園に入学するにあたっては、両親共々、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団の信者でなければならない。かつて全国から有望選手が集まってきていた硬式野球部の部員は、ほとんどがもともとの信者ではなく、入学にあたって両親と共に入信していた。一方、軟式野球部は信者の2世やPL学園中学から軟式野球に励んでいた生徒が集まってきていた。入学、入部までに信仰心の培われている軟式野球部員に比べ、どうしても硬式野球部員の信仰心は乏しい。それが廃部問題に影響したことは言うまでもないだろう。 昨年、硬式野球部が最後の試合に敗れた直後に発刊された教団の機関紙「芸生新聞」(16年7月25日号)には、あれほどテレビやスポーツ新聞が注目した硬式野球部の最後の試合は中面に小さく紹介されているだけで、「休部」「廃部」といった言葉はひとつもなかった。そして、その号の一面に大きく載っていたのが、信者の修行の場である新錬成会館で激励を受ける軟式野球部員たちの姿だった。 硬式野球部の廃部の判断を下したのは、学園の幹部であり、教団の幹部たちである。彼らの中で、信仰に熱心な生徒が励んでいる軟式野球部を手厚く支援していこうという姿勢が、紙面からも伝わってきていた。 硬式野球部が使っていた専用グラウンドは現在、軟式野球部が使っているという。偶然、その光景を見た硬式野球部のOBは、怒りに震える感情を私に伝えてきた。「僕らにとって神聖な場所。そこを汚されているような気がします」 あのグラウンドも、その脇にある研志寮も、そして室内練習場も、取り壊される予定ではなかったか。斉藤監督は言う。「工事が始まるまでは、空いているグラウンドを使って良いということで、大いに利用させてもらっています。撤去の時期は分かりません。その辺の話は、我々はノータッチなので」 昨年5月に完成した屋内多目的施設も軟式野球部は使用している。「専用というわけではありません。中学の軟式野球部と一緒に使わせてもらっています。いつも空いているんでね。確かに硬式野球部が廃部となったことで、練習環境はより良くなったかもしれません」 しかし、軟式野球部もいずれ硬式野球部と同じ道をたどることになるかもしれない。 軟式野球部に所属する男子部員は、3年生と1年生が3人ずつ。2年生は11人いるが、3学年あわせても17人(そのうちの1人は幽霊部員)しかいないのだ。高校の生徒数は3学年あわせても160人ほどで、新たな新入部員は見込めない。PL学園中学の軟式野球部も部員不足は深刻で、来春の高校入学後も軟式野球を続ける意思のある選手はわずか2名だという。現在の2年生が引退する来夏以降、軟式野球部は単独チームでは試合ができない状況に陥るかもしれないのである。斉藤監督が嘆息する。「去年のチームも新チームの頃は部員不足が心配された。もし部員不足となれば、連合チームになることも考えられるでしょう」 8月1日には、PL教団にとって1年で最も重要な教祖祭PL花火芸術が行われた。大幅に減少しているとはいえ、全国から信者が集まるこの神事に、軟式野球部員も参加した。 そして翌日の早朝は、花火会場となるゴルフ場を練り歩き、花火の残骸を拾って集めた。信者の間で「ガラ拾い」と呼ばれるこの奉仕活動は、かつて硬式野球部の部員たちにとっては屈辱的なことだった。なぜなら、甲子園に出場すれば免除となるからだ。「ガラ拾い参加」は即ち、「甲子園の夢が絶たれたこと」を意味するのである。 軟式野球部員たちにとって、今年の8月2日は準決勝を翌日に控えた大事な時期だった。それでも部員たちは、早朝5時に起きて、ガラ拾いに参加し、9時には練習を開始したという。主将の古市粘(ふるいち・つくる)が言う。「ガラ拾いしたことによって、徳を積むことができ、勝利に導かれたと思います。大阪大会を勝ち抜けたことは、選手、周囲の方々のしきり(祈り)のおかげ。硬式がなくなったことで、自分ら軟式野球部に期待してくださっている。硬式野球部の分まで頑張ろうと思っています」 同じユニフォームを着ていても、あの名門野球部とは似て非なるPL野球がそこにあった。
2017.08.11 07:00
NEWSポストセブン
江本孟紀氏 ヤクルトが早実と試合したら「清宮に打たれる」
江本孟紀氏 ヤクルトが早実と試合したら「清宮に打たれる」
 セ・パ両リーグで最下位を独走するヤクルトとロッテ。かつて「PL学園より弱い」と揶揄された暗黒時代(1987年~2001年)の阪神のように、ヤクルトとロッテが今春のセンバツ覇者・大阪桐蔭や、惜しくも甲子園出場を逃した清宮幸太郎(3年)率いる早稲田実業といった強豪高校と対戦したらどうなるか。 今季のヤクルトは主力に故障者が続出。ヤクルトで4番を打った経験を持つ広澤克実氏は、これは“人災”だと断じる。「今年のキャンプで最もダラダラやっていたのは巨人ですが、ヤクルトもそれと同じくらいダラけていた。キャンプの目的の一つがケガをしない体力作り。それを怠って故障者を次々と出しているようではプロとしてあまりにお粗末でしょう」 対して高校野球の超強豪は、むしろ新戦力がチーム内で次から次へと出てくる。センバツ王者・大阪桐蔭では、大阪大会の4回戦で背番号16の柿木蓮(2年)が147kmの直球にスライダー、フォークを交えて7回11奪三振(失点0)の快投。エース・徳山壮磨(3年)以外に、大型左腕の横川凱(2年)やセンバツ胴上げ投手となった根尾昂(同)ら下級生の台頭が著しく、140km台を投げる投手が4人も5人も実戦で活躍している。「選手層が厚いから、ケガはもちろんのこと、たった1つのミスでベンチを外される緊張感がある。だからこそ、一戦必勝どころか、全員が些細な一つ一つのプレーにも全力を懸けている」(担当記者) 春先のキャンプから弛緩していたプロ野球チームより、地力があっておかしくないように思えてしまう。辛口評論でお馴染みの江本孟紀氏も弱小プロ球団のキャンプの状況を厳しく批判する。「キャンプは弱点を補い、チームの方向性を定めるために行なうもの。たとえば、打てない時にどうやって点を取るか。定めた方向性に対して選手たちは練習漬けになる。ところがヤクルトのキャンプを見ていると、球団がケガを怖れてすぐに選手を休ませる。それでチームがひとつにまとまるわけがない。 早実と試合したらどうなるか? 腐ってもプロですから、負けはしないでしょうが、1カード(3試合)やれば清宮君がスタンドに2~3本は放り込むんじゃないですか」 ヤクルト、ロッテは試合終盤の勝負弱さも目立つ。ロッテは今季すでに21回の逆転負けを経験。ヤクルトは10点差を逆転するような試合もあるものの、逆に7月7日の対広島戦ではクローザー不在の中、急遽抑えに回った小川泰弘(27)が9回に3本塁打を浴びる大乱調で5点差をひっくり返された。「小川はその2日後にも救援に失敗し、言葉少なに『もっと抑えられるようにしたい』と語るだけでした。 対する大阪桐蔭は春の近畿大会決勝で18―0と相手を圧倒した試合でも最後まで気を抜く様子はなかった。試合後には主力の根尾らが『もっと圧倒できるようにしたい』と引き締まったコメントを残していたのが印象的です。 西谷浩一監督はホームランを打った選手にも、問題があればベンチで指導する厳しい選手教育で知られていますから、それが終盤も気を抜かないプレーにつながっている」(スポーツ紙デスク)※週刊ポスト2017年8月11日号
2017.08.02 07:00
週刊ポスト
阪神暗黒時代知る虎番記者が語る今季ヤクルトとロッテの弱さ
阪神暗黒時代知る虎番記者が語る今季ヤクルトとロッテの弱さ
 かつて「PL学園より弱い」と揶揄されたのが、暗黒時代の阪神である。1985年に球団史上初の日本一に輝いたものの、翌年は3位。翌1987年は最下位に転落し、以降15シーズンで10回も最下位に沈んだ。この間、Aクラス入りは1回だけ。「地獄の15年」だった。 当時のPL学園は1983~1985年に在籍したエース・桑田真澄と4番・清原和博の“KKコンビ”が甲子園を沸かせ、阪神が低迷を始めた1987年には立浪和義や片岡篤史、宮本慎也らを擁して春夏連覇を達成。阪神の「暗黒の15年」の間に、春夏合わせて11回の甲子園出場を果たした。“伝説の虎番”と呼ばれた『デイリースポーツ』元編集局長の平井隆司氏が振り返る。「バース退団や掛布(雅之)引退が重なって、ほんまに弱かった。PLと対戦したら負けるとマスコミが書き立てたもんです。実際に、エエ勝負になると思ってましたよ。PLの方がチーム内競争は激しいし、守備もよく鍛えられていた。PLに金属バットを持たせたら完全に負けてたやろうね(笑い)」 だが、今季は当時の阪神より弱そうなプロ野球チームが2つある。ヤクルトとロッテだ。ヤクルトは目下の勝率.352、チーム打率.233、防御率4.09。ロッテは勝率.333、打率.221、防御率4.47と、どちらもすべてリーグ最下位を独走中である(7月26日終了時点)。1960~1970年代にロッテで活躍した名球会メンバー・山崎裕之氏はこう嘆く。「ロッテの投手陣は、昨年14勝の石川歩(29)が2勝8敗、10勝した涌井秀章(31)が3勝7敗、8勝のスタンリッジ(38)がようやく2勝目をあげた。エース級3人がこれでは、浮上できるはずがない。ヤクルトも昨年8勝の石川雅規(37)が4勝10敗、クローザーの秋吉亮(28)は右肩を痛めて長期離脱です。おまけに2年連続のトリプルスリーの山田哲人(25)が2割2分台。最下位じゃないほうが不思議でしょう」 では、「PLより弱い阪神」という表現に倣って、ヤクルトとロッテが今春のセンバツ覇者・大阪桐蔭や、清宮幸太郎(3年)率いる早稲田実業といった強豪校と対戦したらどうなるか。前出・平井氏はこういう。「当時のPLも、今の大阪桐蔭や早実も、高校野球は1回負ければ終わりのトーナメントだから、どんな場面でも手を抜かへん。やっぱりエエ勝負になるやろうね。高校球児でいえば150km近い球を投げる秀岳館(熊本)の川端健斗(3年)や、予選で敗退した日大三(西東京)の櫻井周斗(同)のような超高校級左腕が出てきたら、ヤクルトやロッテのバッターじゃそう簡単には打てないと思う。もちろんプロやから、10回やって負けるとしても2~3回でしょうが」 ちなみに今季のヤクルトは対広島戦の勝率が約3割(4勝9敗)である。「広島とヤクルトの実力差」と「ヤクルトと大阪桐蔭の実力差」がちょうど同じくらいという見方もできる。※週刊ポスト2017年8月11日号
2017.08.01 11:00
週刊ポスト
PL野球部「最後の日」から1年──それぞれの人生
PL野球部「最後の日」から1年──それぞれの人生
 1年前の7月15日、PL学園野球部は、大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れ(6対7)、活動休止となった。学園の1期生で、黄金期にはスカウトとして部を支えた井元(いのもと)俊秀氏は、敗北の報せを秋田で聞いた。電話の相手は東大阪大柏原の浅黄(あさお)豊次監督だった。「井元さん、母校は立派でしたよ。良い試合ができました」 その言葉に、井元氏はひとり涙した。浅黄監督は、1990年代にPLと大阪で覇を競った近大附属の元監督であり、知己の関係にあった。 実は同校との対戦が決まった日に井元氏から浅黄監督に連絡を入れ、こう伝えていた。「PLはもう終わってしまう。武士の情けじゃないが、無名校に負けるよりも、あなたに介錯をしてもらえるのなら、私も本望です」 PLは今年3月に高野連脱退届を提出。全国制覇7度を誇る名門は、60年の長い歴史に幕を閉じた。井元氏は言う。「今は明桜(秋田)の野球部に携わる立場。もう一度、甲子園に子どもたちを連れて行きたい」 名門野球部の最後の主将(62期生)である梅田翔大(しょうた)は、福岡の日本経済大学に進学し、「甲子園の夢がかなわなかったぶん、(大学野球で)神宮球場を目指したい」と話した。 東大阪大柏原との試合では、右肩のケガで送球もままならなかったレフトの藤原海成。大阪経済法科大学に入学し、野球部ではレギュラーを獲得した。また、彼の弟の恭大は、大阪桐蔭で2年生ながら1番を任され、今春のセンバツ決勝では2本塁打を放った。「弟は凄すぎちゃって刺激にもなりません(笑)。自分は自分の道で、頑張るだけです」 PL野球のDNAは全国で受け継がれている。●文/柳川悠二(ノンフィクションライター/『永遠のPL学園』著者)※週刊ポスト2017年8月4日号
2017.07.26 07:00
週刊ポスト
怪物・清宮幸太郎「最大の天敵」は同じ西東京にいる
怪物・清宮幸太郎「最大の天敵」は同じ西東京にいる
 早稲田実業の清宮幸太郎にとって、この夏の第一打席、その5球目──。相手エース右腕の甘く入った直球を強振すると、滞空時間の長い当たりが右翼席のポール際に飛び込んだ。「芯をこすった当たりでしたが、フェアゾーンに運ぶことができました。(昨夏の西東京大会準々決勝で敗れた)八王子戦の最終打席は同じような角度で、ライトフライ。飛距離は確実に伸びてきている。1年やってきたトレーニングの成果が出ていると思います」 4回戦では満塁本塁打を放ち、高校通算本塁打が105本に達した“怪物”が甲子園帰還を果たせるかに大きな関心が集まっている。 早実は昨秋と今春の東京大会王者だ。東西に分かれて争われる夏は、当然ながら西東京大会の本命となる。「どこよりも長い、早実の夏にしたい」(清宮) 対抗馬は、秋と春にいずれも決勝で早実に敗れた日大三。エース左腕の櫻井周斗は、直球と同じ腕の振りから投じられ、打者の手元で鋭く曲がるスライダーが宝刀だ。秋は敗れたとはいえ、清宮から5三振を奪い、一躍、スカウトが注目する存在となった。さらには、清宮以上の体格を誇る日大三の“デカプリオ”こと金成麗生(かなりれお)という193センチの左の大砲もいる(金成は投げても最速148キロ)。 実力が伯仲する両校のライバル物語。両監督の采配の妙も面白い。 春の決勝で日大三に17点を奪われた早実の不安要素は明白で、投手陣だ。同校の和泉実監督は、春季関東大会後から、捕手の雪山幹太(2年)を先発に起用し続けてきた。雪山は神戸中央リトルシニアに在籍していた中学時代に投手経験があるものの、早実入学後は捕手一本で、春までブルペンで投球練習することさえなかった。和泉監督は夏の大会を前にこの急造投手に背番号「1」を与え、初戦の勝利後には、幾度も彼のことを「エース」と呼んでいた。和泉監督は言う。「雪山がチームの柱になれるかはまだ分からない。ただ、現実として、捕手しか守っていなかった彼が急遽、投手になったのは、このチームに柱となる投手がいなかったからだから……」 対する日大三を率いるのは小倉全由監督だ。高校野球を取材するようになって10年以上が経つ私は、いろんなタイプの監督と言葉を交わしてきたが、小倉監督に会う度にいつも思う。「もし自分に息子がいて野球をしたいというのなら、この監督に預けたい」と。男が惚れる男が小倉監督なのである。 親元を離れて共同生活を送るナインと、小倉監督は週6日、寝食を共にする。自宅は千葉・九十九里にあるので“単身赴任”の生活だ。角刈りの強面で、贅肉のついていない肉体はとても60歳には見えない。厳しくも優しい眼差しで球児を見守り、ミスを責めたりせず、人情、男気といった言葉がよく似合う。 そして野球は常に真っ向勝負。毎年、強打のチームを作り上げ、2001年夏と2011年夏の2度、全国制覇を遂げた闘将である。 そんな小倉監督だからこそ、今春の早実戦での采配は、意外なものだった。「17対18」と大乱打戦になりながら、エースの櫻井を一度もマウンドに上げなかったのだ。「最初から櫻井を使う気はありませんでした」と小倉監督は振り返る。「秋の5三振でせっかく清宮君が櫻井を意識してくれているんだから、わざわざ球筋を見せる必要はありませんよね」 すべては夏に勝つために、秋の雪辱を果たすために、櫻井を隠したのである。 早実とのライバル対決には、小倉監督も苦い思い出がいくつかある。斎藤佑樹(現・日本ハム)が全国制覇した2006年夏は西東京大会決勝で敗れ、清宮が甲子園デビューした一昨年は、準決勝で惜敗した。「今年はそりゃあ、特別に早実を意識しますよ。あれだけ叩かれて(打たれて)、負けているんですから」 早実は初戦を8回コールドで勝利した一方、日大三は2点を先制される苦しい展開で、7点をリードした9回裏には3点差に迫られヒヤリとした。早実の和泉監督は言う。「夏の大会は先を見たら絶対に負ける。次の戦いを見据えて、エースを温存するような采配はできません」 第一シードが早実、第二シードが日大三の西東京大会。7月30日に予定された決勝の舞台は神宮球場である。●文/柳川悠二(ノンフィクションライター/『永遠のPL学園』著者)※週刊ポスト2017年8月4日号
2017.07.24 07:00
週刊ポスト
今年は「夏のセンバツ」に
平成の甲子園を沸かせる新たな親子鷹が東海大相模に誕生か
 高校野球の雄・横浜高校と長きにわたってライバル関係にある東海大相模は、春の神奈川王者。投手陣はここにきて沖縄出身のエース左腕・安里海(あさと・うみ)が調子を上げている。 同校といえば、1970年代に原貢監督と原辰徳氏(元・巨人)の親子鷹で甲子園を沸かせたが、今年のチームは門馬敬司監督の長男・大(ひろ)がサードを守り、さらに妹の花(1年生)がマネジャーを務める。 数年前、「門馬監督の息子さんの目に自打球が当たり、大ケガを負った」という話は耳にしていた。「野球は続けられないかもしれない」とも聞こえてきたが、その心配は杞憂だった。とはいえ、彼の左目は今もほとんど見えていないという。それでも右打席に立ち、中軸を任されているのだから驚きだ。門馬監督は言う。「柔らかい軟式球だったから、余計に目の奥まで傷ついてしまった。網膜剥離や白内障のように、手術で治るような状態ではなかったんです。左目が見えないわけですから、当然、左打席に立つことも考えました。試行錯誤しながら、なんとかやってきました。親子鷹で注目してもらっていますが、原のオヤジさん(貢氏)と比べられるような監督ではないですし、辰徳さんと比べられるような息子でもありません」 平成の甲子園を沸かせる“新たな親子鷹”の誕生となるか。 他に高校通算48本塁打の主砲・正木智也を擁す慶応も虎視眈々と甲子園出場を狙っている。●文/柳川悠二(ノンフィクションライター/『永遠のPL学園』著者)※週刊ポスト2017年8月4日号
2017.07.23 16:00
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熱愛が発覚した玄理と町田啓太
町田啓太と女優・玄理の交際、ファンをモヤつかせていた「お揃いルック」の数々
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逆風だらけの国葬に安倍昭恵さん放心状態 地元山口での「県民葬」も新たな火種に
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イギリスではつつがなくお務めを果たされた(9月、イギリス・ロンドン。写真/共同通信社)
雅子さま、異例のエリザベス女王国葬参列 訪英実現しなかった紀子さまの複雑な思い
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