〈習性だね。あれこれ考えて打ったよ。バットの一か所で打てたし、シーズン最後よりずっと飛ぶ。きのうは4-0だったから──なんて思わないから気分よく打てたのかな。上出来〉(報知新聞・1980年11月6日付)
このコメントからわかるように、王の打撃への追求心は消えていなかった。
同年11月8日に行われた東西対抗戦では4打数4安打と大爆発。7回表には中日・小松辰雄の145キロのストレートを捉え、逆転3ランを放つ。14日からの阪神とのオープン戦3連戦には4番・一塁で先発出場。最終打席となった16日の5回裏、宮田典計の直球を叩くと、打球は右翼席上段へ。公式戦、オープン戦、日本シリーズ、オールスター戦、東西対抗戦など、日本球界で“通算1032号”となる豪快な一発で幕を閉じた。引退会見後も、打撃について考え続けた結果、生まれた一撃だったのではないか。
ロッテ時代の1982年、1985年、1986年と3度の三冠王に輝いた落合博満は、イチローの引退に関しての取材で〈45歳になる年まで現役だった俺の経験でいうと、実績を残し続けることで、アドバイスしてくれる人が周りに居なくなった。それにいちばん苦労した〉(朝日新聞・2019年3月24日)という大打者なりの苦悩を挙げ、自身の衰えをどうカバーすれば良かったかを語っている。それは、現役を退いた後にわかったという。
〈若い時分には到底分からない。30代のベテランでも理解できないだろう。俺が気づいたのは、ユニホームを脱いで何年も経ってからだった。でもな、自分の経験をいつか後輩たちに伝えられれば、それはそれで財産なんだろうなと思う〉(同上)
引退しても、落合はなぜ自分が現役晩年に打てなかったのか考え続けていたのだ。
思えば、イチローは会見で「引退を決めた、打席内の感覚の変化は?」と問われると、「いる? ここで。裏で話そう、後で(笑)」とおどけて見せた。引退会見で衰えや打撃について真面目に語っても一般受けすると思わなかったのか。それとも、照れ隠しなのか。
きっと、イチローは引退後もトレーニングをしながら、どうして自分が打てなくなったのかを考えているはずだ。