みうらじゅん氏は、1958年京都生まれ。イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャン、ラジオDJなど幅広いジャンルで活躍。1997年「マイブーム」で流行語大賞受賞。仏教への造詣が深く、『見仏記』『マイ仏教』などの著書もある同氏が、墓の永続性について考える。
* * *
国産の最高級墓石が本小松石と庵治(あじ)石。ただ、この石の中でも、また細かい色目や模様などの違いがあって、高級品、中級品といくつものランクがあるそうだ。そんな高級品の中の高級品を使うと、一般的な大きさの墓石でも500万円ほどになるという。
ま、高額な墓の敷地ってことは、面積も広いだろうから、真ん中の墓石以外に回りの外柵とかも凝りだしちゃうと、こちらもすぐに1000万円くらいになるんだという。区画と石で合計2000万円!!
そこまで払って、3~4世代で無縁墓になったりしたら、これは墓というよりバカじゃないですか! こういう高級な石で見栄えのいい墓を建てたいってのは、これ間違いなく世間体だと思いますよ!
世間体は「世間」と書いて「体」ですよね。人間死んだら火葬されちゃってもう体ないのにさ。死んだってことは空になることで、いい意味で世間から脱却してるのにさ。体も世間も、とっくになくなっちゃってるのに、世間体気にしてどうすんですかね。
あとは、普段は信心がないから、死んだ祖先に対してだけは信心した気になってみるってのもあると思う。
世間体と信心不足のカモフラージュ。墓を建てる動機ってそこらへんじゃないの?
でもさ、空也上人だって墓なんかないからね。全国を行脚してる最中に野垂れ死んでる。四国八十八か所巡礼をする人って、杖持って歩いてるでしょ。あの杖って、けっして歩行補助のためだけにあるんじゃない。実はあれ、弘法大師の分身という意味と、もうひとつ「墓」という意味があるんです。
だからよく見ると、ただの棒じゃなくて、卒塔婆みたいな形してる。それを持って歩くっていうのは、巡礼中いつどこで野垂れ死んだとしても、その死んだ場所が墓になるっていう、いわば「マイ墓」。
墓なんて、むしろそれでもいいような気もしてくるんだけど、そこまで達観できないのは、やっぱり煩悩なのだろう。
※週刊ポスト2012年12月21・28日号