日本でもっとも古いフランス料理店、精養軒の支店として始まった上野精養軒。今から99年前、詩人で彫刻家の高村光太郎と智恵子が、両家の親、友人の与謝野鉄幹・晶子夫妻らが見守るなか披露宴をあげた場所でもあった。
森鴎外が愛し、中国へ派遣される芥川龍之介は壮行会を開き、太宰治が処女作品集出版記念会を開くなど、数々の文豪に愛されてきた精養軒を、作家の山藤章一郎氏が訪れ、開業以来のメニュー・ハヤシライスについて綴る。
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冬の某日、上野公園と精養軒を訪ねた。平日の正午前、背中にバッグを背負った男女の老輩がぞろぞろと美術館をへめぐっていた。精養軒も年配が目立った。開業以来のメニュー・ハヤシライス(1360円)を頼んでみた。
窓の向こうに、冬枯れの不忍池がひろがる。〈ハヤシ〉とはなにか。外来当時〈Hashed beef with Rice〉だった。それが転訛したという説。精養軒の林コックがビーフシチューにごはんを混ぜて賄いにしたのが起源という説。口に運んだ。
デミグラスソースの甘く濃厚な味覚ととろりとした質感が口中にひろがる。
「これが140年の味ですか」
営業担当氏に訊いた。
「正式なレシピはありませんが、まさにこれが鴎外さん以降、永井荷風や谷崎潤一郎ら多くの文人に食べてもらった味だそうです。
上野山は岩盤が固いらしく、関東大震災でも、下は火の海だったけど精養軒は被害がなかった。戦争でも焼けずに、増築、改築を繰り返しながら現在のかたちになりました。ソースの味も建物も、よくまあ140年も続いて、奇跡といわれています」
※週刊ポスト2013年2月1日号