芸能

『スタ誕』はじまって以来の最高得点392点を出した中森明菜

 伝説のオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ)には、1971年の番組開始から終了までの12年間で約200万人にも及ぶ人が応募してきた。デビュー第1号の森昌子、続いて山口百恵、桜田淳子と相次ぎ成功。アイドルを目指して応募した少女の中に、のちの中森明菜もいた。本選で最高記録の点数を出した当時の様子について、ジャーナリストの安田浩一氏が綴る。

 * * *
 1981年、明菜は私立大東学園高校(東京都世田谷区)に入学する。しかし、勉強や部活に熱中することはなく、頭の中は歌手になることでいっぱいだった。7月。通知を手にして予選会に挑み、無事合格。いよいよ3度目の本選挑戦である。

 明菜は母・千恵子に選んでもらったロングスカートとノースリーブのサマーセーターで、松田トシ対策の「清楚な着こなし」を演出し、ステージに立った。明菜は落ち着いていた。

「今回が3度目の挑戦です。私はもう大人です」

 そう言って頭を深々と下げた。明菜の言葉に感動を覚えたのは、審査員の中村だった。

「なんていうんですかねえ、その言葉にこれまでの苦労がにじみ出ていた。しかも、その声がいいんだな。普通の話し声なのに、ある種の重みを感じたんです。彼女が歌う前から、僕は相当に期待しましたね」

 歌は山口百恵の「夢先案内人」。

「すごいぞ、これは。この子、急に成長したじゃないか」

 歌い出しからすぐに、中村は舌を巻いたという。

「期待を大きく上回っていたんです。それまでとは違い、明らかに声に艶が出ていた。正直、ゾクゾクしましたよ。この子はアイドルというよりも、ちゃんとした歌手に育てるべきだ、なんてことを瞬時に考えてしまった」

 いよいよ採点である。中村はこの日の明菜は「完璧」だったと判断した。欠点が何一つ見当たらない。審査員を続けてきて、初めての経験だった。中村は手元のボタンで100点を入力した。

 ところが──ここで、ちょっとしたトラブルが起きる。数字が電光掲示板に反映されないのだ。怪訝に思っていると、フロアディレクターが飛んできた。

「先生、点数は99点までしか入力できないんです」

 100点満点などという高得点は最初から想定外だったのである。これに中村は抗議した。

「僕は、この子に100点をあげたいんだよ。完璧じゃないか。99点というわけにはいかない」

 困ったディレクターは撮影中のカメラを止めて収録を中断した。とりあえずそこで休憩に入ることになった。この部分は放映されなかったシーンである。

 審査員は全員、控室に引き揚げた。中村はそこでも「99点なんておかしい」と担当者に抗議しながら、同時に他の審査員の反応を探った。都倉俊一(作曲家)、松田トシ、阿久悠、森田公一(作曲家)の4人である。

「それとなく明菜に何点を入れたのかを聞いてみたら、僕以外はみんな、評価が低いんですよ。これでは僕が99点を入れたところで、合計しても合格ラインには届かない。焦りました。だから必死に明菜の良さをアピールしたんです。歌が上手いじゃないか、将来性あるじゃないかと。すると他の先生方も渋々、『じゃあ、もうちょっと点数を増やすか』と同調してくれたんです」

 あやういところだったのだ。もしも100点入力が可能であれば、中村一人が高得点でも、結果的には不合格となっていたはず。中村の抗議と、それに続く休憩が、明菜を救ったことになる。

 収録再開。採点が始まった。都倉85点、阿久75点、森田70点、松田63点、そして中村99点。松田だけが意地を張るように低い評価だったことも、それが彼女の信念だと思えば、どこか微笑ましい。筋を通したのである。それでも合計点は392点。なんと、スタ誕はじまって以来の最高記録であった。

 驚いた表情を見せる明菜に、中村が真っ先に声をかけた。

「僕はね、君に100点をあげたかったんだ。でも二ケタしかないものだから99点にしました。期待しているよ。がんばるんだよ!」

 その言葉を聞いて、明菜はワッと泣き出した。張りつめていた糸が、プツンと切れたように。どんなに我の強さを見せていても、まだ16歳の少女である。脆くて壊れやすく繊細な、もうひとりの明菜が、わんわん泣いた。

 一か月後、明菜は決戦大会に出場する。大勢のスカウトマンを前にして、本選と同じ「夢先案内人」を歌った。

 すべては決戦大会で決まる。ここに出場できても、スカウトマンの誰一人としてスカウトを表示するプラカードを上げないこともある。明菜は祈った。誰でもいい、どこの会社でもいい。私を指名してほしい──。

「よろしくお願いします」

 明菜が頭を下げた瞬間、スカウトマン席から一斉にプラカードが上がった。

「すごい、すごいよ。1、2、3、4……11本だ!」

 司会の坂本九がうわずった声をあげた。明菜に大量の“買い注文”が入ったのである。(文中敬称略)

■安田浩一(やすだ・こういち)1964年静岡県生まれ。週刊誌記者を経て2001年よりフリーに。事件、労働問題を中心に取材を続ける。近著に“ネット右翼の病理”を炙り出し、第34回講談社ノンフィクション賞を受賞した『ネットと愛国』(講談社刊)など。

※週刊ポスト2013年8月30日号

関連記事

トピックス

高校時代の安福久美子容疑者(右・共同通信)
《「子育ての苦労を分からせたかった」と供述》「夫婦2人でいるところを見たことがない」隣人男性が証言した安福容疑者の“孤育て”「不思議な家族だった」
活動再開を発表した小島瑠璃子(時事通信フォト)
《輝く金髪姿で再始動》こじるりが亡き夫のサウナ会社を破産処理へ…“新ビジネス”に向ける意気込み「子供の人生だけは輝かしいものになってほしい」
NEWSポストセブン
中国でも人気があるキムタク親子
《木村拓哉とKokiの中国版SNSがピタリと停止》緊迫の日中関係のなか2人が“無風”でいられる理由…背景に「2025年ならではの事情」
NEWSポストセブン
トランプ米大統領によるベネズエラ攻撃はいよいよ危険水域に突入している(時事通信フォト、中央・右はEPA=時事)
《米vs中ロで戦争前夜の危険水域…》トランプ大統領が地上攻撃に言及した「ベネズエラ戦争」が“世界の火薬庫”に 日本では報じられないヤバすぎる「カリブ海の緊迫」
週刊ポスト
ケンダルはこのまま車に乗っているようだ(ケンダル・ジェンナーのInstagramより)
《“ぴったり具合”で校則違反が決まる》オーストラリアの高校が“行き過ぎたアスレジャー”禁止で波紋「嫌なら転校すべき」「こんな服を学校に着ていくなんて」支持する声も 
NEWSポストセブン
24才のお誕生日を迎えられた愛子さま(2025年11月7日、写真/宮内庁提供)
《12月1日に24才のお誕生日》愛子さま、新たな家族「美海(みみ)」のお写真公開 今年8月に保護猫を迎えられて、これで飼い猫は「セブン」との2匹に 
女性セブン
新大関の安青錦(写真/共同通信社)
《里帰りは叶わぬまま》新大関・安青錦、母国ウクライナへの複雑な思い 3才上の兄は今なお戦禍での生活、国際電話での優勝報告に、ドイツで暮らす両親は涙 
女性セブン
東京ディズニーシーにある「ホテルミラコスタ」で刃物を持って侵入した姜春雨容疑者(34)(HP/容疑者のSNSより)
《夢の国の”刃物男”の素顔》「日本語が苦手」「寡黙で大人しい人」ホテルミラコスタで中華包丁を取り出した姜春雨容疑者の目撃証言
NEWSポストセブン
石橋貴明の近影がXに投稿されていた(写真/AFLO)
《黒髪からグレイヘアに激変》がん闘病中のほっそり石橋貴明の近影公開、後輩プロ野球選手らと食事会で「近影解禁」の背景
NEWSポストセブン
秋の園遊会で招待者と歓談される秋篠宮妃紀子さま(時事通信フォト)
《陽の光の下で輝く紀子さまの“レッドヘア”》“アラ還でもふんわりヘア”から伝わる御髪への美意識「ガーリーアイテムで親しみやすさを演出」
NEWSポストセブン
ニューヨークのイベントでパンツレスファッションで現れたリサ(時事通信フォト)
《マネはお勧めできない》“パンツレス”ファッションがSNSで物議…スタイル抜群の海外セレブらが見せるスタイルに困惑「公序良俗を考えると難しいかと」
NEWSポストセブン
中国でライブをおこなった歌手・BENI(Instagramより)
《歌手・BENI(39)の中国公演が無事に開催されたワケ》浜崎あゆみ、大槻マキ…中国側の“日本のエンタメ弾圧”相次ぐなかでなぜ「地域によって違いがある」
NEWSポストセブン