「矢野浩二」という名前にピンと来ない人も多いかもしれない。それもそのはず、俳優を目指して1990年に上京して以降、日本での生活のほとんどを森田健作氏(現・千葉県知事、63才)の付き人として過ごした。役者として花開いたのは、12年前に中国に渡ってからだと森田氏は言う。
「昔はよく厳しいことも言いましたが、何度言っても信念を曲げない矢野だからこそ、中国でうまくやっていけたと思う」
人口13億人、3000以上のチャンネルがひしめく中国のテレビ業界では、今も“抗日ドラマ”(旧日本軍が中国に侵攻した1930~1945年頃を描いた戦争ドラマ)が年間300本は放送されるほどの人気ぶり。そのなかで矢野は、それまで冷酷な悪人にすぎなかった日本兵役を、感情豊かなひとりの人間として演じたことで一躍脚光を浴びた。
「中国のステレオタイプな日本兵の描き方に疑問を感じていました。森田さんに“どんな役でもやりきったらいい”と檄を飛ばされ、自分なりの答えを見つけだしました」
と話す矢野。最初は様々な苦労や葛藤を経験した。鳴かず飛ばずの生活はもちろん、少しずつ仕事が舞い込むようになっても役柄は残忍な日本兵ばかり。そればかりか、母国からは「売国奴」などとバッシングを受けたことも。
「軍服を見ると吐き気がするほど追い詰められた時もありました。それでも、仕事をやめるわけにはいかなかったんですよ」
転機は2003年に訪れた。出演したドラマで演じた日本兵が最後に中国兵に殺されるシーン、彼は咄嗟に一粒の涙を流したのだ。その人間性豊かな日本兵の姿に、中国人は心を打たれた。以来、矢野のもとにはそれまでとは違った人間らしい役柄のオファーが相次ぐようになった。矢野が、中国人の日本人像を変えた出来事であった。
その後、人気バラエティー番組『天天向上』の司会にも抜擢。中国人の妻と3才の愛娘と3人で、北京市内の高層マンションの一室に暮らすように。ところが昨年の秋以降、彼の仕事は激減。日本と中国がお互いに領有権を主張していた尖閣諸島の国有化を、日本が発表したからだ。矢野は言う。
「決まっていたドラマもイベントもすべてキャンセル。これまで日中関係が緊張することはあっても、仕事に影響が及んだのは初めてでした」
その一方で、汚染食品やPM2.5など、中国国内で様々な問題もある。幼い子供もいるなかで、これからもずっと中国で活動を?
「中国とは一生つきあっていくと思いますが、日中の国境にこだわらずアジア全域で活動していきたいですね」
そう話す矢野だが、森田氏はこんな意見。
「矢野は逆境が似合うんだから、日本でラクしちゃいかん!」
※女性セブン2013年10月3日号