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2013.10.05 16:00  女性セブン

クドカン母 手書きの“親バカ通信”で息子作品を地元で宣伝

 黄金色の稲が実った水田が広がるのどかな町、宮城県栗原市。2年半前の東日本大震災では、津波の被害はなかったものの、最大震度7を記録し、水道や電気が使えない日が続いた。今ではすっかり復興したように見えるが、一歩家の中へ入ればひび割れはそのままの状態で、住居を取り壊して更地にした空き地には草が生い茂っている。

 そんな栗原市の商店街にある一軒の文房具店が、今賑わっている。9月28日土曜日、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の最終回が終わってから、その文房具店には感謝の言葉が綴られたメッセージやお祝いの花束が届いていた。

 ノート、ペン、絵の具や半紙など学校で必要なものが揃う他、靴下やハンカチ、エプロンなども置いてあるこの店。窓には『あまちゃん』のポスターが2枚貼ってある。

 そう、ここは同ドラマの脚本家・宮藤官九郎(43才・本名:俊一郎)の実家なのだ。クドカンの母・泰子さん(79才)と9才年上の姉が交代で店に立っている。

「高校卒業まで、田んぼしかねえなあとか、狭い人間関係が本当に嫌だと思った。そういう空気からなるべく遠いものを作ってきたが、この年になり、東北を自分の中で解禁してもいいかなって」

 同ドラマについてそう話していた息子に対して母の熱烈な応援は続いた。クドカンが作品を出すたびに母が地元でやっていたこと。それが「親バカ通信」だった。

「映画とかドラマとかやるときに、“こういう映画ですよ”って書いたチラシを、この辺の人に配ってくれてたんですよ」(宮藤家を知る人)

 記念すべき第1号は、2001年、薬師丸ひろ子(49才)と共演したドラマ『コウノトリなぜ紅い』(NHK)だった。泰子さんは「親バカ通信」を4年ほど綴り続けた。手書きでノートに作品名と「どうぞ見てやって下さい」と書いてコピーし、そのノートは5冊分にもなったという。

「昔はたくさん宣伝してた。あんまり宣伝すると、俊ちゃんが“やめてくれ”って怒るんだって。照れ隠しだろうけどね(笑い)」(前出・知人)

 残念ながら、『あまちゃん』はあまりに有名になりすぎてしまったために、「親バカ通信」が出ることはなかったものの、やはりわが子の活躍は誇らしいもの。母は今年、町の婦人会の旅行で同ドラマの舞台となった岩手県久慈市を訪れた。

「9月の頭に40人くらいで行ってきましたよ。片道4時間かけて日帰りでね。海女さんたちの実演を見たり、灯台まで歩いたり。まめぶも食べましたよ。とにかく観光客がいっぱいで。まあすごかったね」(婦人会のひとり)

 9月下旬、本誌記者はクドカンの実家の文房具店を訪ねた。店内に入ると、泰子さんが笑顔で迎えてくれた。笑った顔がクドカンによく似ている。

「取材は断っているのよ。息子に怒られちゃうから(笑い)」

 そう言いながらも、店のレジ奥の“クドカンコーナー”に案内してくれた。そこにはクドカンの小さい頃の写真などがたくさん貼られている。

「3年ほど前、公民館で展示されたものをもらって飾っているんです。息子には“ちょっと大きすぎる”“たいがいにしろ”なんて言われて怒られましたが(苦笑)」(以下、泰子さん)

※女性セブン2013年10月17日号

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