ライフ

1909年に訪日したタタール人 当時の日本の文化的成熟度絶賛

【書評】『イスラーム原典叢書 ジャポンヤ イブラヒムの明治日本探訪記』アブデュルレシト・イブラヒム著/小松香織、小松久男訳/岩波書店/9870円

【評者】山内昌之(明治大学特任教授)

 ロシア国内にはタタール人という文化的成熟度の高いムスリム民族が住んでいる。この人びとの祖先には、ロシア革命後に日本に亡命し活躍した人も多い。すでに日露戦争の終結後、1909年に日本を訪れて旅行滞在記を書いたイブラヒムは、世界のイスラム教徒に日本をありのままに愛情をもって紹介したタタール人である。

 イブラヒムの描く日本は清潔そのものであり、日本人は職業や身分に関係なく新聞や本を読む。「なんと立派な人間性よ!」と感嘆させた日本の美風は、人々が何かを手伝うのにもチップを要求せず、街頭の公衆電話や郵便ポストで市民生活の利便性を図る点にも顕れているという。貴族社会のロシア帝国では考えられないことだった。

 来日したイブラヒムの目的は、ロシアのムスリム諸民族を解放するために日本の協力を得ることであった。日本では伊藤博文や大隈重信や犬養毅などと交誼を結び、軍人や学者や右翼運動家など幅広い人士と親しくなった。日本人の低い身長、家族全員で出かける芝居見物、10分もかけて茶を入れる作法、静かに読書に没頭する大学図書館の様子などが詳しく描かれている。

 また、日本人は身分の低い者まで日本の将来を政治や経済の観点から考えるが、宗教に熱心でないと看破している。それでも、良心の自由が完全に浸透しているので、イスラムが広がる可能性もあると期待するのだ。

 頭山満や内田良平などの大アジア主義者がイブラヒムと親交を深めたのは、イスラムの最高権威カリフのいるオスマン帝国との接近の道を探り、アジア同盟の実現を図るためであった。イブラヒムの目から眺めた明治日本の風景や、日本人の素朴かつ真摯な性格は、西欧人の日本観察とも異なる角度から描かれている。

 イスラム教徒の近代日本観を知ることのできる本書は、史料的価値が高いだけでなく、読むだけでも楽しい。定価はやや高くても、読者は原典を耽読する知的興奮に満足するに違いない。

※週刊ポスト2013年10月18日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

結婚生活に終わりを告げた羽生結弦(SNSより)
【全文公開】羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんが地元ローカル番組に生出演 “結婚していた3か間”については口を閉ざすも、再出演は快諾
女性セブン
「二時間だけのバカンス」のMV監督は椎名のパートナー
「ヒカルちゃん、ずりぃよ」宇多田ヒカルと椎名林檎がテレビ初共演 同期デビューでプライベートでも深いつきあいの歌姫2人の交友録
女性セブン
NHK中川安奈アナウンサー(本人のインスタグラムより)
《広島局に突如登場》“けしからんインスタ”の中川安奈アナ、写真投稿に異変 社員からは「どうしたの?」の声
NEWSポストセブン
コーチェラの出演を終え、「すごく刺激なりました。最高でした!」とコメントした平野
コーチェラ出演のNumber_i、現地音楽関係者は驚きの称賛で「世界進出は思ったより早く進む」の声 ロスの空港では大勢のファンに神対応も
女性セブン
文房具店「Paper Plant」内で取材を受けてくれたフリーディアさん
《タレント・元こずえ鈴が華麗なる転身》LA在住「ドジャー・スタジアム」近隣でショップ経営「大谷選手の入団後はお客さんがたくさん来るようになりました」
NEWSポストセブン
元通訳の水谷氏には追起訴の可能性も出てきた
【明らかになった水原一平容疑者の手口】大谷翔平の口座を第三者の目が及ばないように工作か 仲介した仕事でのピンハネ疑惑も
女性セブン
歌う中森明菜
《独占告白》中森明菜と“36年絶縁”の実兄が語る「家族断絶」とエール、「いまこそ伝えたいことが山ほどある」
女性セブン
大谷翔平と妻の真美子さん(時事通信フォト、ドジャースのインスタグラムより)
《真美子さんの献身》大谷翔平が進めていた「水原離れ」 描いていた“新生活”と変化したファッションセンス
NEWSポストセブン
羽生結弦の元妻・末延麻裕子がテレビ出演
《離婚後初めて》羽生結弦の元妻・末延麻裕子さんがTV生出演 饒舌なトークを披露も唯一口を閉ざした話題
女性セブン
古手川祐子
《独占》事実上の“引退状態”にある古手川祐子、娘が語る“意外な今”「気力も体力も衰えてしまったみたいで…」
女性セブン
ドジャース・大谷翔平選手、元通訳の水原一平容疑者
《真美子さんを守る》水原一平氏の“最後の悪あがき”を拒否した大谷翔平 直前に見せていた「ホテルでの覚悟溢れる行動」
NEWSポストセブン
5月31日付でJTマーヴェラスから退部となった吉原知子監督(時事通信フォト)
《女子バレー元日本代表主将が電撃退部の真相》「Vリーグ優勝5回」の功労者が「監督クビ」の背景と今後の去就
NEWSポストセブン