その事実は、ひょんなことから発覚した。
「ソチ五輪では高梨沙羅の金メダルは可能性十分。そうなれば、同じ北海道出身のジャンプ選手で、冬季五輪で日本に初めて金メダルをもたらした英雄、笠谷幸生氏のことも注目されると思い、彼の出身地に取材に行ったんです。現場で色々調べて、驚きましたね」
地元紙記者は苦笑しながら、こう続けた。
「笠谷氏の金メダルが、“行方不明”になっていたんです」
──1972年の札幌五輪。70メートル級ジャンプでは、日本人選手が表彰台を独占、『日の丸飛行隊』と呼ばれた。1位になったのが、北海道・仁木町出身の笠谷氏だった。
笠谷氏は1988年、「育ててもらった郷土の子どもたちに見てもらいたい」と、この金メダルを町に寄贈。選手時代に使用したスキーセット、獲得したカップや賞状などとともに、山村開発センター内の郷土資料室に展示されていた。
現在も同センター内には『笠谷幸生選手展示コーナー』が存在する。しかし、なぜか金メダルだけは実物でなく、写真パネルだった。
前出の記者は、センターの関係者に問い合わせるなどして金メダルの所在を調べた。その結果、メダルは見つかったが、なんとも哀しい扱いを受けていた。
「教育委員会の教育長の机の引き出しに無造作に放り込まれていたんです。日本中が沸いた金メダルの扱いに愕然とした」(同記者)
本誌は仁木町教育委員会に問い合わせた。
「10数年前までは現物を展示していましたが、庁舎の新築に伴い教育委員会が移転したことで警備上の問題が発生し、現在は写真パネルにしています。警備にお金がかかるため、別の場所に保管していたんです。
今回、問い合わせもありましたので、ソチ五輪の期間中は警備をつけて展示することを検討しています。他にも笠谷氏から寄贈されて展示していないものもありますので、それと合わせての特別展も企画中です」(教育委員会)
ちなみに常設展示の可能性については、「警備費などの問題があるので今のところは……」(同前)とやんわり否定されてしまった。
※週刊ポスト2014年2月21日号