そんな中、浜崎では愛子が漁協に勤める父・洋平と田代に毎日せっせと弁当を届け、東京・桜新町にある優馬のマンションには新宿の発展場で一夜限りの関係を持った直人がなぜか転がり込んでいる。
洋平は人を疑うことを知らない愛子をつい先日も歌舞伎町のソープから連れ戻し、2か月前から港に居着いた田代に好意を寄せる娘をどこか諦めがちに見ていた。一方優馬も仕事や家族関係に恵まれながらゲイゆえに孤独を抱え、刹那的快楽に逃げこんできたが、今では無口でどこの誰とも知れない直人を〈自分より大切〉だとすら思う。
例えばある日の仕事帰り、優馬は両手にコンビニ袋を提げて歩く直人を見かけたのだ。袋の中で傾く弁当を彼は水平に保ちたいらしく、よろよろ歩いては立ち止まり、弁当を膝で立て直そうとする姿に笑いを堪えながら優馬はふと思う。〈相手の何を知れば、そいつを信じられるのか〉〈まさか、この姿じゃないよな〉〈この後ろ姿で相手のことを信じろってのは無理だよな〉……。
優馬そして洋平たちも、目の前のその姿を信じてしまえばよかったのだ。相手を信じる条件や担保を求めるあまり、彼らはせっかくの信頼に自らヒビを入れ、傍から見れば奇蹟にも映る関係が失われるのは、何も本書の3地点に限らない。
「結局は相手を信じるしかないんですけど、その信頼の根が意外と脆弱なんですよね。タイトルも山神の怒りというよりは、大切な人を信じきれない自分に対する怒りで、洋平は愛子が幸せになることをどこかで信じきれず、優馬にしてもがんで入院中の母親に対する思いまで共有してくれる直人を恋人と呼べずにいる。その愛情や信頼を認めたい心に何かが蓋をする。要するに〈自信〉がないんです」