本書は1985年『東京23区物語』以来の集大成ではあるが、各区の人種の違いを一部虚構も交えてシニカルに論じた同書から手法自体変えさせるほど、今の東京は〈平板化〉していたという。
「それこそ30年前は隅田川を渡ると急にパンチパーマ人口が増える分布図一つにも、説得力があった(笑い)。でも今は東京の西も東も駅前は大して変わらないし、井沢八郎『あゝ上野駅』に歌われた改札の正面が自由が丘発祥の『ザ・ガーデン』だったりする。かなり細部まで歩かないと違いを楽しめないんです。
特に最近は歳のせいか神社仏閣や史跡にも足が向き、例えばそこで鷹狩りをした将軍一行の様子を、僕はかつて新小岩の駅前に屯(たむろ)するヤンキーの物語を想像したのと同じように妄想するわけです」
裏町や路地を好んで歩き、バスや都電にも趣味と実益を兼ねて乗る気儘な散歩人は、丸ビルのように、旧館時代の外観を下層部に巻き付けた建物を本の帯に見立てて〈腰巻レトロビル〉と命名。また〈グッとくる古建築〉は意外と医者と床屋に多いという。例えば湯島女坂の谷地に佇(たたず)む古めかしい整骨院を〈天神様の石段でコケて駆けこみたくなるような接骨院〉と表現する。
「床屋はまだしも、病院は病人にならない限り入れないジレンマがある(笑い)。天神様やお不動様の参道や門前花街が開かれ、果ては性病科までできたり(笑い)。その人間臭い流れを読むのが面白いんですね。
僕はそうした町場の風景を古いから好きなんじゃない。むしろ町は変わるから面白いんであって、好みの建物が壊されても町の変貌を見届けたいという意識が強いんです。その中で頑張る隠れキャラを発見するのも一興で、神田あたりのレンガの高架下の風景も、まだ見られる今のうちに見ておこうと、前向きに楽しんでいます」
品川区を元用水路伝いに歩くなど、泉氏の歩みは東京が治水や運搬、行楽や風俗産業まで“人間の用事”で作られた町であることを改めて実感させる。だから変化も含めた東京の丸ごとを、氏は愛せるのだろうか。