ブラジルW杯が6月13日に開幕する。5大会連続5度目の出場となる日本は、グループC組で、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアと対戦。過去4大会を振り返ると、岡田武史監督の1998年とジーコ監督の2006年は、グループリーグ敗退。トルシエ監督の2002年と岡田氏が再就任した2010年は、ベスト16となった。
日本代表のグループリーグ突破と戦前の監督への評価は、反比例しているとの声もある。あるスポーツライターが話す。
「1998年の岡田ジャパンは初出場。アルゼンチン、クロアチアという強豪相手にもかかわらず、メディアは『勝てる可能性は十分にある』と煽り気味でした。負けることを前提に報道するわけにもいかないので、当然といえば当然です。サポーターもそれに乗って、期待するムードが高まっていました。それに、岡田監督はW杯予選の窮地を救ったとして神格化されていた部分もあります。なんとなく、『勝てるかも』というムードが作り出されていたのです。
2006年のジーコジャパンにも同じことがいえます。当時の主力メンバーは、1999年のワールドユース準優勝を果たした黄金世代。予選も難なく突破しましたし、W杯直前のドイツ戦でも2対2と引き分け。W杯前からジーコ采配に疑問を呈する人たちもいましたが、解任論が出るほどの大きな波にはならなかった。ブラジルで“神様”と呼ばれたジーコへの批判はどことなく憚られ、たいした根拠もないまま『勝てる』という雰囲気が日本を包んでいました」
しかし、結果は2大会ともグループリーグ敗退。期待が大きかっただけに失望も大きく、結果論としての両監督へのバッシングが巻き起こった。
「一方、2002年のトルシエ監督には、常に賛否両論が巻き起こっており、2000年には一般紙で解任報道も流れたほど。トルシエの肯定派もいれば、否定派もいました。W杯代表メンバー発表時に姿を現わさなかったことも、トルシエの評判を下げました。だが、結果的にはグループリーグ突破でベスト16と、自国開催における最低限の仕事は成し遂げました。
2010年、2度目のW杯となった岡田監督には、擁護派がほとんどいなかった。2月の東アジア選手権で3位。解任論がヒートアップし、メディアでも『予選3戦全敗』を予想する声もあった。当時、岡田監督を肯定するような記事は、ほとんどありませんでしたね。その低評価がウソのように、日本はグループリーグを突破。それまでエースだった中村俊輔を外し、本田圭祐を軸に据えた采配が見事に当たりました。つまり、過去4大会、戦前の監督評価と実際の成績は、真逆になっているのです」(同前)