「ただ僕は母が認知症とも病気とも全く思ってなくて、実際母はまだ幻覚に出てこない妹や友達を〈まだ死んどる〉と言ったり、その感覚が面白かった。母が僕の顔を忘れた時も世間でいうほどショックじゃなかったし。
その母もボケが進むごとにほどけていき、シッカリ者で、苦労続きだった母の童女みたいな笑顔を僕らは初めて見た。その飛び切りの笑顔は〈「日常」と引き換えに〉蘇ったんですから」
岡野氏は母の言葉の断片を手掛かりに、両親が歩んできた人生をも作中に紡ぐ。町永氏が〈認知症の人は患者ではなくて、一人の人〉と言うように、親の人生に人間として向き合えて初めて、人は大人になれるのだ。
「僕は母より、むしろ父のこととなると涙が止まらないんです。たぶん思春期に父が母を包丁で追い回したりしたのが傷になっていて、自分の中でいつ同じ血が暴れ出すかと、恐くて背を向けてきた父と、母が和解させてくれたような気がします。
なんだ母ちゃんも、結局許しとっとって。父の七回忌に作った遺歌集を、弟は常に持ち歩き、自分と同年代の頃、父が何を考えていたかを思い巡らすらしい。その弟が62、僕は64になり、この歳になってわかることがあるんですよ。僕も弟も結局は漫画を書いたり音楽をやったり、父ちゃんそっくりたいって。それも母が重荷をほどくように、ボケてくれたおかげなんです」
今後も母のこと、そして父の人生を思いつつ、昭和のある家族が長崎で生きた物語を紡いでいきたいと、岡野氏は家族の待つ我が家へと坂を上っていった。
【著者プロフィール】岡野雄一(おかの・ゆういち):1950年長崎市生まれ。漫画家を志し1970年に上京。出版社勤務を経て1990年、離婚を機に息子と帰郷。地元タウン誌の編集長などを務め、父の死後、認知症になった母との生活などを8コマ漫画で掲載。2009年『ペコロスの玉手箱』を、2012年『ペコロスの母に会いに行く』を自費出版。その後、西日本新聞社から再出版され、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2013年に森崎東監督で映画化もされ、キネマ旬報日本映画ベスト1に輝く。160cm、68kg、O型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2014年12月26日号