常に精神的なプレッシャーをかけられた。「3年神様、2年人間、1年ゴミ」とされ、1年生がしゃべっていいのは「はい」「いいえ」「違います」の3つだけ。当時の横浜高校、中でも野球部には不良しかいなかった。俺も人のことはいえないが、あまり大きな声ではいえないようなことをやっていた連中も多い。卒業した野球部の主将は、関東一円の総番長だったそうだ。
俺は1年から背番号をもらっていたので免れたが、他の1年はまさにゴミ扱いだった。ストレス解消のため先輩から凄まじいイジメを受けていた。砂利の上に正座して説教されるのは当たり前。中には毎日、隣駅の自販機までコーラを買いに行かされた部員もいた。カネなんてもらえない。「せんえん」と書かれた紙切れ1枚渡されるだけだ。100人いた1年生は夏前に30人ほどになった。
練習態度が悪いと監督が3年を叱る。すると3年が2年を叱り、最後に2年が1年を叱るから倍々ゲームになっていった。スパイクを履いたまま飛び蹴りをするとか、頭にジュースの王冠を載せてアップシューズで殴られた。毎日、誰かが頭から血を流していた。
■愛甲猛(あいこう・たけし)/1962年、神奈川県生まれ。横浜高では1年からエースとして活躍、3年時に全国優勝を果たす。プロ入り後は野手に転向。ロッテ、中日で勝負強い打撃を武器に活躍した。現在はインターネット動画サイト「ニコニコ生放送」でトーク番組を放送中。
※週刊ポスト2015年8月14日号