──教師を志して北海道教育大学を受験して失敗し、上京したという一部の報道もあるが、上京はやはり父親への反発からか。
「北海道教育大を受けた事実はまったくありません。姉だけでなく、叔父や叔母など親戚が教師だらけだったので、それだけはなりたくなかった。かといって、農業を継ぐのも嫌でした。それで、東京に行けばいいことがあるんじゃないかなって感じで、ある意味、逃げるように出てきたのです。
私のところでは、同級生の友だち百二十人のうち、六十人が中学校を卒業して東京に集団就職していました。残った六十人のうち、三十人は農家を継いで、高校に行ったのは三十人しかいない。そんな田舎でした。
で、高校を卒業すると、東京に出る友だちもいっぱいいたし、それも集団就職。私はそれで東京に出てきて段ボール会社で働き始めたんです。ただ、東京で自分の好きなことをやろうっていう程度でした。そこで初めて、現実がいかに厳しいかに気がついたわけです。私が一番思い出したくない青春です。そうして、やっぱりどこかの大学に入らなきゃまずいなと思いはじめたのです」
菅は一念発起し、法政大学法学部政治学科に入学する。もっとも、そこからすぐに政治家を志したわけではない。
「大学は別に法政大学でなくてもよかったんです。当時は、いつかは田舎に帰らなきゃまずいだろうな、と思っていましたから。そうして働きながら大学を卒業した。
だけど、まだすぐにはうちに帰りたくないし、他の大学生はそこから就職するというし。本を読んでふらふらしながら考えているうち、この世の中は政治が動かしてるんじゃないか、と気がついたとでもいえばいいでしょうか」
(敬称略)
※SAPIO2015年10月号