悪いことは続く。結局、高裁でも、最高裁でも服部氏の弟が持参した保険証書が証拠採用されることはなく、予備審問で下された18年の刑期は確定してしまった。
1997年にグラナダ刑務所に収監された服部氏が、6年後の2003年9月にティピタパ刑務所に移送された原因も、ブッディストのエピソードと同じように、彼の国籍がもたらしたものである。
「あるとき、日本のODAを使って、グラナダ刑務所に『図書館』が建設されました。建物正面に日の丸とニカラグア国旗が掲げられた立派な更生施設だったのですが、囚人たちに放火されて焼け落ちてしまったのです。そのため、刑務所内で唯一の日本人だった私は、ティピタパ刑務所に移送されることになりました」
服部氏の存在と図書館放火の因果関係は不明だが、ティピタパ刑務所へ移送されたのは幸運だったと服部氏は語る。
「ティピタパ刑務所には重犯罪者用の外国人監房があり、パナマから北米に麻薬を密輸する組織のボスなど、グラナダよりも『大物』の囚人が多かったのです。そのため、逆に、グラナダよりプリズン・ギャングたちの『統制』がとれていました。
そんなマフィアにもかわいがられていた一人のメキシコ人囚人、何でも手に入れる『調達屋』のホルヘが、私を手助けしてくれました。彼は日本人のことを尊敬していたのです『おれは日本のサムライが好きだ。お前らは凄い奴だ』、そして『メキシコのガンマンと日本のサムライは真の男だ』と。ホルヘには、さまざまな場面で本当に救われました」
こうして、さらに5年間をティピタパ刑務所で過ごした後、なぜか12年間で服部氏は刑期を“満了”し、出所した(2008年)。
どうして刑期が短くなったのかは不明だが、ニカラグアの司法は、それほどいい加減だということだろう。日本に帰国した服部氏やその支援者たちは『服部重次氏の冤罪を晴らす会』を立ち上げ、2009年10月、服部氏はニカラグア最高裁へ再審請求を行った。
・M氏の海外旅行傷害保険の保険金受取人は、服部氏や服部氏の会社ではなく、M氏の身内である法定相続人であること。
・虚偽の内容が書かれたスペイン語の「自白調書」へ署名を指示する様子を目撃していたリバス署の警官の証言があること。
・捜査長だった元国家警察警部(通訳同席で聴取した刑事)は「服部氏を疑う証拠はなく、彼の釈放を進言する報告書を提出した」と証言していること。
・服部氏に対する取調では通訳が介在しないことも多く、例えば、「Juji good, Free Japan, Sign.」の英単語とジェスチャーで自白調書への署名を指示する等、捜査が著しく適正手続きを欠いていたこと。
いずれも理に適った指摘のように思われるが、2014年6月、ニカラグア最高裁が再審請求を却下したため、現在、ニカラグア最高裁に対し、再度の再審請求を行う準備を進めている。
「日本に戻ってこられたのだから、これ以上、ニカラグアに関わる必要もないじゃないかと忠告する人もいますが、これは私だけの問題ではありません。私の子供たちを『犯罪者の家族』という烙印から解放するためにも、私は再審請求を続けるつもりです」
服部氏の戦いに決着がつく日は、いつになるだろうか――。(了)