佳代子さんはエスエス製薬の創始者・泰道照山氏の孫娘。青山学院大学在学中に、彼女の聡明さと美貌に惹かれたのが当時、新進気鋭の国会議員だった純一郎氏だった。佳代子さんが大学在学中の1978年にふたりは結婚。その年に長男・孝太郎、1981年に次男・進次郎氏が生まれた。しかし──小泉家の知人が明かす。
「結婚当時、小泉家は“女系家族”でした。純一郎氏の母親や姉が選挙を取り仕切って、もう1人の姉が家事を受け持つ。表舞台に出るのは政治家で長男の純一郎氏でしたが、小泉家を中心で支えていたのは3人の女性でした。そんな中に長男の嫁として入っていったのが佳代子さんでした。才媛で、物事をハッキリと言う彼女が、小泉家で居場所を見つけにくかったのも無理もありませんでした」
結婚からわずか4年後の1982年9月、純一郎氏と佳代子さんは離婚した。当時妊娠6か月、お腹の中には三男・佳長さんがいた。佳代子さんは4才の孝太郎と1才の進次郎、幼い2人の息子を残して小泉家を離れ、実家のある鎌倉でひとり、佳長さんを出産した。
長男、次男の親権は小泉家が持ち、純一郎氏の母や姉が母親代わりとして育てて行くことに。三男の親権は調停の結果、佳代子さんが得た。宮本家関係者がいう。
「身重の体で家を出なければならず、しかも、自分のお腹を痛めて産んだ2人の子供と離ればなれにならなければならない。佳代子さんの悲しみと苦しみは想像できません。それでも、とにかく幼い佳長さんを抱えた佳代子さんは生活のために働かなければならなかった。そこで、不動産会社に就職して資格も取り、営業などの仕事を始めたんです」
同居していた母親に子育てを手伝ってもらいながら、佳代子さんはシングルマザーとして働き続けた。息子には「私は母親ではありません。世帯主です」と言い聞かせながら育てたという。
※女性セブン2016年3月17日号