ここで考えなくてはならないのは、韓国、中国の世論がどう動くか。韓国にとっては同胞の問題です。日本が難民を受け入れているなら「自分たちも」という世論が沸き起こり、積極的な支援に向かう。
一方、中国はどうか。日本と韓国の状況、各国の世論は無視できません。北朝鮮崩壊は避けたいという配慮も働く一方、これまで通りに国境を警戒して、脱北者を逮捕し、強制送還していていいのか、という議論が生まれる。しかも習近平国家主席は金正恩の核政策や冒険主義的行動に対し、堪忍袋の緒が切れる寸前まできている。そんな状況だからこそ、これまでの政策を変更して、難民を受け入れるという習近平政権の決断が現実味を帯びてくるのです。
もちろん難民が大量に発生する現実に北朝鮮も手を拱いているだけではありません。
ただし打てる手は限られている。これまでのように脱北を試みる人を力で抑えるしかない。ここまでくれば、亡命を取り締まる側の人間が脱北者になる瞬間がやってきます。とすれば、独裁政権の崩壊は時間の問題。私はこれを期待したいわけです。
当然ながらこの計画にはアメリカの支持と承認が不可欠です。政権崩壊後、在韓米軍が中国を無視して北朝鮮に一方的に進出するといった行動を行なわないという約束が必要です。つまり米中間ですみやかに、北朝鮮を非武装地帯にするなど緊急の協議をまとめなければなりません。
「難民受け入れ宣言」はリスクが少ない上、武力衝突に比べて人的にも物質的にも被害が軽微で済みます。何よりも日本には、最初の一石を投じる責任がある。
現在の朝鮮半島問題には、日本の植民統治が深く関係しています。日本の降伏で朝鮮半島に権力の空白が生まれた。そして国際政治の力学によって、北と南に分断され、そのあおりで北朝鮮に軍事独裁政権が誕生した。
日本にとって北朝鮮の難民はほかの国の難民とは根本的に違います。語弊を恐れずに言えば、独裁政権下で苦しむ北朝鮮の人びとは、かつて日本国民として同胞だった人びとの子孫です。彼らが亡命を求めた場合、日本には受け入れる道義的な義務と責任があるはずです。
「難民受け入れ宣言」は、人道的な面から見ても、歴史的な背景を考えても日本だけが行ないうる有効な方法ではないか、と思います。
※SAPIO2016年4月号