他にも「口に入れるものなので得体の知れない弁当は食べたくない」(50代男性全国紙記者)「あのスーパーヒーローが転落しているその場にいることがやるせなく、とても食べる気分になれない」(30代男性スポーツライター)という意見も。
40代男性出版社編集者は、こういう。
「現場で焼肉弁当は腹に重いため食べません。取材対象から焼肉弁当以上の豪勢な便宜供与を受けている取材者(特に政治部)なんて掃いて捨てるほどいますし、これが供応とかいう問題は木を見て森を見ず的な議論だと思う」
一方、「食べる」派の典型は、この30代男性ノンフィクション・ライターの意見だろう。
「食べます。食べたうえで『清原の焼肉弁当』でエッセイ一本書きます。特上なのか上なのか、その店の常連だったか否か。なぜ焼肉弁当なのか。どこの店なのか。楽しそう。清原の気持ちに近づく上でも、食べない選択肢はこの場合はないかと」
50代男性コラムニストも、
「ここぞとばかりに食べます。どんな弁当か、その中に清原の人となり、もしかしたらその時の心境も語られているかもしれないからです」
と、ノリノリだ。ネタとしてむしろ食い気味に食べたい人が多い。
「食べます。それも写真を撮影次第、どの程度温かいかなどの情報も入れておきたいので、できるだけ早く食べます。今回の事件の性格を考えると、拾える材料はすべて拾いたい。食べるのも取材のうちであり、むしろ食べないのは職務怠慢と考えます。ネットであれこれ言われていますが、弁当ひとつで筆が鈍るわけがない。」(40代男性フリーライター)
「どういう弁当なのか食べてみないとわからない。食べて、その感想や味について原稿に生かせればいいと思う。供応を受けるのとは違うと思う」(50代全国紙男性記者)
「食べます。どんな弁当(味)か知りたいから。食べない理由が見つからない。食べないほうが失礼」(30代男性スポーツライター)
「たぶん食べます。弁当の中身もネタになるかもしれないから。ただし、奢られっぱなしは気持ち悪いので、何回もは食べません」(40代男性週刊誌デスク)
「個人的には食べたいですね。美味いのかまずいのか、それだけでも分かれば彼の心境を推し量る材料の一つになりそうです。ただ、現場で食えば批判されるのは目に見えていますし、悩むんでしょうね。あと、食べるなら何らかの形で代金を支払うべきだとは思います」(50代全国紙男性記者)
「供応」批判に対しては、こんな感じだ。
「スポーツイベントのプレスルームで主催者が振る舞うサンドイッチやお菓子やお茶の類と同じようなものだと思う。あれをいただいたからといって、大会運営の瑕疵を見逃してやったりはしないでしょう。特定の会社や記者個人にあてたものでなければ、『取材相手からの供応』とはいえないような気もします」(50代フリーライター)
「食べます。わざわざ返すのも大人げない。2000円程度の弁当では供応にはあたらないでしょう」(30代男性出版社編集者)
「食べる。とりあえず、開けて撮影。この場合、食べたとしても便宜を図るような類のものではないので、取材として食べる。食べないと言う方も、例えば記者会見先で出された食べ物とかお土産、受け取ってますよね」(30代男性カメラマン)
他にも、「食べ物を無駄にしたくないから食べる。代金を清原宅ポストに代入れとけばなおよし」(50代男性全国紙記者)「過去に清原被告と知った関係であれば、ありがたくいただくと思います。人としての関係性として、そんなに悪いこととも思えないです。書くことは書くと思いますけどね」(40代男性ノンフィクション・ライター)なども。